2.遭遇戦
人間の世界を現地の言葉であらわすと、アランというらしい。
そして、その中にある最大の大陸が中央大陸。
魔界から侵略を開始した魔王軍は、ニブラス王国の王都の隣に魔王の居城ネガパレスを創造し、その国を落とした。
以降、旧ニブラス領は魔王領となり、魔王軍の本拠地となったのだ。
濃い障気にも似た濃密な魔力は、魔人や魔界の生き物には心地よい空間を造り出す。
ゆえにここは人間にとっては息を吸うだけでダメージを与えられる死の地であった。
その地の利に甘えて、防御のための策がおろそかになってはいなかったか、と俺は今も考えている。
勇者たちのように、ここを突破できる存在がいることを計算に入れていなかったツケが魔王様の敗北と魔王軍の敗走を招いたのではないか、と。
しかし、魔王が倒れたことでこの地に満ちていた暗黒の魔力は薄れ、普通の人間でも立ち入ることができるようになっている。
だが、まだ訪れるものはいない。
それは勇者たちがまだ人里に帰還しておらず、魔王討伐の報せが人間の間にいきわたっていないからだ。
その人気の無い街道を、俺はもくもくと歩いていた。
魔王軍の全軍は、勇者に敗れるか、魔界へ撤退しているはず。
つまり、この道を通るのは俺しかいないわけだ。
つい昨日までの喧騒が嘘のような静けさである。
ニブラスを征服した魔王軍は七体の魔将にそれぞれ方面軍を預け、近隣諸国に侵攻した。
いくつかの国は滅び、また瀕死の状態にまで追い込まれた。
だが、勇者の登場が事態を一変させた。
全ての方面軍が敗北し、七体の魔将は全員魔王領に撤退してしまったのだ。
まあ、あの勇者ならさもありなん。
魔将様方は強力だったが、勇者はそれ以上だったというだけだ。
「今ごろ、勇者たちは凱旋パレードだろうか……いや、まだだろうな」
魔王を倒した勇者は、かなりの傷を負っていたようだった。
魔王軍の追撃を警戒して、どこかに身を潜めているのかもしれない。
「それに比べたら、俺の旅は気楽でいいねえ」
俺の荷物は一振りの剣と、数日分の食料くらいだ。
なにせ、職場と住居が一夜にして無くなるなんて予想外で、それが起こったあとの準備などできているわけがないのだ。
「まあ、人間の村にでもつけばなんとかなるだろう」
楽観的、というよりは破れかぶれ、なるようになれ、というのが今の俺の内面的に正しい。
ほとんど魔王領から出たことない俺は地理的にも不案内。
食料も持つか不明。
ないない尽くしで逆に楽しくなってきた。
遠くに喧騒が聞こえてきたのは、感覚的に魔王領を出たあたりだ。
リオニア王国と、確か地図には書いてあったと俺は思い出す。
獣魔将ゼオン率いる魔獣軍に蹂躙されたが、激しい抵抗によって勇者の到着まで持ちこたえた強国だったはず。
それはさておき、喧騒の音である。
近付くにつれて、激しさは増していく。
どうやら、ただのケンカ程度ではなく、本格的な戦いのようだ。
「さらわれた村人を返してもらうわ」
「くくく。お前らごときにできるわけなかろう」
近くに寄ると、女性二人に対し男性十人が襲いかかっている状態だ。
街道には、すでに三人ほど事切れた亡骸が転がっている。
不意の遭遇戦か?
女性と死んだ者らは似たような皮鎧を身に付けていた。
軽量なうえにそれなりに硬く、素材が希少ではないのでよく傭兵や冒険者が身に付けている。
おそらく、彼女らは冒険者なのだろう。
襲っているほうは、村人を返せ、と言われていることから人攫いもやる盗賊だということが推測できる。
分隊規模の兵を拠点の周囲に巡回させている盗賊か。
なかなか規模の大きな集団のようだ。
そして、数は力だ。
勇者や魔王様といった規格外の強者を除けば、数の多い方が勝つのは世の常識だ。
だが、俺の目的は冒険者になること。
であるならば、冒険者らしき彼女らを助けることがそれに繋がるだろう。
幸いにして、俺には力がある。
少なくとも、この盗賊たちよりは強い力が。
足に力を込め、ダッと駆ける。
駆け抜けざまに剣を抜き、今にも女冒険者に攻撃を仕掛けそうな盗賊を一人切り捨てる。
ザンッ!
という音は後から聞こえた。
剣を振る速さが目に見えないために、音と映像が錯覚を起こしてしまうためだ。
錯覚を起こしている時点で、彼我の実力差があることがわかる。
どさり、と物言わなくなった盗賊は地面に倒れた。
想定外の状況に、俺以外の全員の動きが止まった。
「え? ワルト?」
ワルトというのが死んだ盗賊の名前らしい。
まあ、覚える必要はない。
なぜなら。
「お前らは皆死ぬ」
からだ。
まだ呆けている盗賊連中を二人続けて切断する。
技を使うまでもなく、力と剣の切れ味だけで倒せる。
この時点でようやく、盗賊の中にも事態を理解する者が出始める。
「テメェ!?」
腰に差した大振りのナイフを抜こうと動く盗賊。
だが、対応するにはもう俺の剣がその盗賊の喉をかっ切っていた。
血が吹き出す喉を押さえて、しかし出血は止まらずその盗賊は倒れた。
「な、何者だ!?」
「名を名乗る意味はない。なぜならお前たちはもう死ぬからだ」
俺の言葉に、盗賊たちが激怒する。
「ふ、ざけんなッ!お前たち囲め!なます切りにしてやれ」
リーダー格の盗賊に素早く駆け寄り、激昂して指示を出した姿勢のままあの世へ送る。
具体的には剣を振るい、首をはねるだけだ。
やけに軽やかに盗賊の頭部は跳び、二度バウンドして転がった。
統制を失った集団はもろい。
リーダー格が殺された盗賊たちは逃走を図る。
しかし、下手に逃がして増援を呼ばれると少々厄介だ。
目の前のリーダー格の亡骸からナイフを取り出し、投てきする。
逃げようとしていたうちの一人の背中に、勢いよくナイフは突き刺さった。
さらに逃げ遅れた一人を背後から接近し、素早く首をはねる。
そこでようやく、冒険者の二人が動いた。
一人ずつ盗賊を倒したのだ。
どんなに実力が劣っても、逃げる相手の方が不利。
ちょっとの差など簡単に逆転するほどに。
俺は最後の一人に、手持ちの剣を投げつける。
狙いはあやまたず、刃は最後の盗賊の背を貫き、心臓と命を失わせた。
戦闘開始から十分もたたずに、盗賊の分隊は全滅したのだった。
「助かったよ、旅のお方。あんたずいぶん腕がたつね」
二人の女冒険者のうち、年かさの方が話しかけてきた。
二十後半、いやもっと上だろうか。
ベテラン風味を漂わせている。
「それほどでもない。君らが無事でよかったが……お仲間は残念だったな」
「……まあね。けど私たちは生きている。それが重要さね」
「確かに、そうだな」
「おっと自己紹介がまだだったね。私はリオニア冒険者ギルド所属の冒険者ミスティだ」
「俺は……自由騎士のギアだ」
仕えるべき主を持たず放浪する騎士くずれ、それが自由騎士だ。
ただそれなりの実力があれば、勧誘もされるし、仕官もかなう。
瓦解した魔王軍の騎士くずれという点では間違ってない。
「自由騎士さんね。あ、そうだ。あんたもちゃんと挨拶しな」
もう一人の女冒険者のことをミスティは促した。
剣を持つだけで、腕が震えている。
筋量にあった武器を持つのが戦士の基本なのだが。
訓練のためか、鍛えるためか。
どちらちしろ、実戦ですることではない。
「あ、はい。リオニア冒険者ギルドの見習い冒険者リヴィエールと申します。リヴィとお呼び下さい」
「ミスティさんに、リヴィさんね。……とりあえず場所を変えようか」
「……そう、ですね」
それぞれの事情を聞きたいのはやまやまだが、どう考えても十人以上の死体が転がるこの場所はおしゃべりにはふさわしくないのは確実だった。
俺はそれなりに慣れてはいるが、リヴィと名乗った冒険者は吐き気をこらえているような顔だった。
ミスティの方は、顔をしかめてはいるが平気のようだ。
なるべく街道から距離を取るように、俺達は移動した。