125.対吸血鬼戦の終わり、そして。
吸血鬼軍は潰走し、もはや軍隊としての体をなしていない。
一時は魔王軍本営を陥落してもおかしくないほどの威勢を誇った彼らが、魔王軍の援軍による攻勢にあっけないほど簡単に敗れた。
その敗走の中、ぽっかりと隙間のように凪いだ場所がある。
俺と吸血鬼の継承者が向かい合っている場所だ。
「継承者同士、やはり引かれ会う定めなのだ」
吸血鬼はそう言った。
「そんな定めなどどうでもいい。聞かせてくれないか?あんたが魔王になったら何がしたいのか」
「私が魔王になったら、だと?……そんなことは決まっている。魔界を吸血鬼が支配する夜の世界へと変え、未来永劫我々が統治するのだ」
「それだけ、か?」
俺は、その言葉を話ながら心底がっかりした顔をしていたに違いない。
自分が魔王としてどう統治していくのか。
何を成すのか。
それをこの吸血鬼は持っていない。
というか、この魔王継承戦に参加しているやつらはみんなそうだ。
上司の命令を実行するためだとか、自分達の種族を繁栄させるとか、代わり映えのない。
まだウラジュニシカの魔王となって、魔王軍全てを滅ぼす、の方が具体的だ。
「それだけ?どういう意味だ」
「俺はな。リヴィが笑ってくれる世界を望む。ただ面倒なのは、彼女は自分だけ楽しくても嫌なんだよな。彼女の周りにいる人達がみんな笑顔で楽しくなけりゃ、笑えないんだ。んでもって、彼女の周りにいる奴らも同じように周囲が楽しくなけりゃ笑えない。そういう風になっちまった」
「何を世迷いごとを」
「昔さ、世界のみんなが幸せでなけりゃ、個人の幸せなんてないって言った人がいたことを思い出した」
「それがどうした!!……!?」
しびれをきらした吸血鬼の左腕が宙を舞った。
俺の大太刀が斬ったためだ。
別に神速の抜刀術を使ったわけではない。
ただの斬撃に過ぎない。
「見えないか?俺の剣が」
「な、なにを!?」
吸血鬼は一歩下がった。
恐怖を感じたためか。
「身体能力と攻撃を見切る目というのは必ずしも比例しない。どんなに鍛えても攻撃を避けられない者はいるし、素人なのに攻撃の当たらない奴もいる」
吸血鬼にとって見えない斬撃は恐怖でしかなかった。
話を聞いているだけで、今度は右腕が飛んでいった。
痛みはある。
そして、肉体が再生していく感覚がある。
だが、再生すると同時にまた切り飛ばされる。
「まったく見えない。私は……私は強いはずだ!」
「だから、強いことと攻撃を避けられることは違うんだって」
再生したばかりの腕が二本とも斬られるのを、吸血鬼は動けずに見ていた。
エネルギーはほぼ無限で、いくら斬られてもそこは再生する。
だが、再生するたびに斬られるとなると話は別だ。
まったく行動できずに痛みだけが継続する。
魔王。
その単語が吸血鬼の脳裏に浮かぶ。
無知蒙昧にも、己自身がなろうとしたそれは、本当は目の前の男のような姿をしていたのだろう。
痛みを耐えることができるのは、それがいつか終わると知っているから。
だが。
だがしかし、永遠に痛みを与え続けられると知ってしまったなら。
それを覆すことのできない意思あるものは、それを捨てることでしか、痛みを感じなくなるほど心を壊すしかできなくなる。
その吸血鬼が選んだのも、それだった。
吸血鬼が動きを止めたのを見て、俺は剣を振るのをやめた。
その顔に浮かんだ笑顔は、その吸血鬼がもう心を全て捨て去ったのを示していた。
「じゃあな、名前も知らない吸血鬼よ」
俺は剣を一閃させ、吸血鬼の首を切り、瞬時に突きを放ち心臓を穿った。
魔王軍では、もちろん対吸血鬼の戦闘も研究されていた。
驚異的な再生能力を持つ吸血鬼は敵対するとなれば厄介に過ぎる敵だ。
ならば再生能力を発揮させずに仕留めるしかない。
その方法は、首を落とし同時に心臓を貫くことで、魔力の供給と再生能力を切り離すというものだ。
ラグなくほぼ同時に攻撃を行わねばならないため、難易度は高く修得した者は少ないと聞いた。
俺も動いている吸血鬼相手では難しいと思っていたが、力任せの見切りもできない奴だったので、問題なくできた。
俺がもし魔王となったなら、望むのはただ一つ。
リヴィの笑顔だ。
そのためには、俺の知るみなが笑顔にならなければならない。
それはとても大変なことだ。
だが、魔王となると決めたからにはやらなきゃならない。
俺が命を奪った全ての者のためにも。
首魁である継承者を倒したことで、吸血鬼軍の敗北は決定的になった。
樹人、鉄小人、蜥蜴人、石人の四種族は再び魔王軍へ帰順した。
また魔人族内でも十倍以上の戦力差をくつがえした新体制魔王軍への評価は上昇した。
そして、本営の包囲軍を奇襲したサラマンディア軍は、反対派の魔人族の中から、魔王軍への協力者が現れたことを意味していた。
大貴族サラマンディア家の魔王軍方としての参戦は、大きなインパクトを魔人族に与えたのだった。
「それで、お帰りになる、と?」
ボルルームは残念そうに言った。
「ああ、侵攻基地の転移門を開いてくれ」
魔界に帰って来たのは、ウラジュニシカに魔界を見せたかったからだ。
その結果として、奴が考えを改めず、魔王軍と魔界を滅ぼそうとするなら止める。
ただ知ってほしかったのだ。
魔界に住まう者たちも、命があって、何かを考え、生きている、ということを。
本営包囲戦が終わったあと、鉄小人の攻城兵をぶちのめしたウラジュニシカに聞いてみたのだ。
「どうだった」
と。
「悪くない」
とウラジュニシカは答えた。
だから、大丈夫だと思ったのだ。
それに、人間界のニューリオニアがどうなったのか心配もあった。
ウラジュニシカは。
「あれは我の命令で動く。我がいなくなれば動きを止め、そして土に還るだろう」
と答えた。
念のため、英雄冒険者たちをニューリオニアに呼び集めたのは無駄になったか?
いや、なにがしかの効果はあっただろう。
「まあ、魔界の方も落ち着くでしょう。なにせ武闘派の吸血鬼は壊滅状態、台頭していたエルフ族も落ち目になりましたし、しばらくは平穏が続くでしょう」
「そうか」
「そういえば、サラマンディア家で大見得をきってきたそうですね」
「あ?」
「ギア・サラマンディアは魔王となります。必ず、でしたか」
「どっから報告が行ったんだか」
「あなたは魔王となる。それは覚悟の上、と思ってていいんですね?」
「……ああ」
「わかりました。ではもう一度魔界に帰ってくることを期待しております」
ボルルームと、暗黒騎士たちに別れを告げ、俺たちは魔王軍本営を出た。
外で待機していたサラマンディア軍とヴォルカンには魔王軍との合流を指示した。
「よし、待たせたな」
「あとはいいんですか?お父様、お母様のお墓とか……?」
リヴィの提案に首を横に振る。
「二人の魂はもうここにはいない。とっくに霧散して、世界のどこかへ行ってしまったさ」
「ギアさんがいいなら、いいんですけど」
「いいんだ」
墓には何もない。
二人の生きた人生が残されているだけだ。
本営から程近く、人間界侵攻への転移門が設置された侵攻基地は警備の兵以外の人影はない。
誰もここには用はないのだ。
魔界が乱れた今、魔王軍は魔界の秩序を維持するのに精一杯だった。
人間界への転移門などは無用の長物でしかない。
まあ、今回はそれで助かったが。
転移門に魔力を注ぐと青白い光がパチパチと魔法陣を描く。
『渡界先を設定してください』
「人間界、ニューリオニア」
無機質な声に、俺もやや無機質に答えた。
『今回の転移は片道となります。開門してから百数えると閉門します』
「だ、そうだ」
注意事項を二人に確認し、俺は門に足を踏み入れた。
遠く離れた二点をつなぐ魔法の門を抜けると、そこはよく見知った地だった。
「ここは……」
しかし、ここはニューリオニアではない。
「我が指定させてもらった」
「どういうことだ、ウラジュニシカ?」
門を潜り抜けてきたウラジュニシカ。
その後ろから戸惑った顔をしたリヴィ。
「ここはニブラス。お前たちが魔王城と呼ぶところだ」
「それは知ってる」
「ここで雌雄を決しよう」
ニブラスの騎士ウラジュニシカはそう言った。




