111.魔王軍の全てを打ち滅ぼす者
モモチは神聖都市国家サンラスヴェーティア所属の諜報員である。
本人は忍者を自称している。
その職業が何を現しているのかは、この大陸の人間はよく知らない。
そして彼女は魔王城から帰還し、サンラスヴェーティアに復帰した後から、各地の神殿の内部調査を命じられていた。
魔王軍が去った今、教会内部がどんな状況なのか、上層部が知りたがったからだ。
アルザトルスの伝道者は偽装だ。
ただまあ、勇者の加護の送り手としてのアルザトルスは彼女にとって信仰までは行かないが祈りの対象であるのは確かだった。
ニューリオニアに訪れたのはその任務の一環だった。
魔王城に近かったリオニア王国は勇者一行に多くの援助をしており、その縁で国王であるグルマフカラとは顔見知りだったのもあり、情報をある程度共有しながら任務を進めていた。
そして、彼と再会したのだ。
向こうは気が付かなかったようだが。
たかだか一般神官兵の錫杖の一撃なぞ、モモチにはほとんど効かないが、殴られた感じにするためにどこか切らなくてはならないな、と思っていた矢先。
その錫杖は止められた。
おお、けっこうやる奴もいるんだなー、と思っているとその人物の物腰とか話し方が記憶を刺激することに気付く。
あれ、こいつ暗黒騎士の隊長じゃね?
と思ったのは、神官兵が逃げたあたりだ。
本能が逃走を選んだ。
そして、グルマフカラ王と大司教を利用して、暗黒騎士の狙いを探ろうとしたのだが。
呼んだのがグルマフカラ王だということがわかり、がっくりきたのが今朝である。
後は、謁見と会談と決闘の様子を見ていただけである。
異変、というのはホッとした時に起こる。
それはモモチの経験則である。
忍者、忍びたるもの油断してはいけない、ということでもある。
パリン、と乾いた高音がニューリオニア中に響いた。
音だけ聞いた者には何が起こったのかわからなかっただろう。
しかし、異変を目の当たりにした者もいた。
城壁を守る衛兵たちだ。
彼らの目の前で堅牢な城壁はパリンと音をたてて消え失せた。
ニューリオニア全てを囲む城壁が一斉に消えたのだ。
次に異変を察したのは、グルマフカラ王とベルルオーニ伯爵、忍者モモチだった。
音に続いて、けたたましい音をたてて老人が一人、謁見の間に入ってきた。
「レビリアーノ!?いかがした!」
城壁のレビリアーノ。
リオニア最高の白魔導師の一人であり、ニューリオニアの城壁を魔法で生み出している。
ほとんどの時間を瞑想し、魔法の維持に当てている。
はずだった。
「陛下、申し訳ございませぬ。城壁が、我が魔法が破られました」
見ると、レビリアーノの顔は青ざめており、全身に裂傷が走り、血が流れている。
「魔法を破られたことによる魔力の逆流、ですか」
見たことのあるモモチがレビリアーノの状態をそう判断した。
敵の魔法使いの魔法を障壁などで打ち消したりすると、魔法に使われていた魔力が使い手に逆流し、その肉体を傷つけることがある。
それを、レビリアーノがやられたのだ。
「いったい、何がそんなことを……いや、それよりも衛兵に急を知らせよ!」
その命令は、実行されなかった。
飛び込んできた人影が、グルマフカラ王を斬ったからだ。
それは全身を金属鎧で覆い、ボロボロの外套をまとった戦士、いや騎士か?
咄嗟に、レビリアーノが放った城壁魔法がグルマフカラ王に大きな傷をつけるのを防いだ。
しかし、すでにレビリアーノは息も絶え絶えである。
「モモチ殿、至急、あの男を呼び戻してくれ」
そう叫んで、ベルルオーニが前に出る。
襲撃者の狙いはわからない。
しかし、国王を傷つけたのだ。
ベルルオーニが戦う理由になる。
そして、相手はこちらより強いことも感じ取れる。
皮肉にも優秀な冒険者だったゆえに、相手の力量を察知できてしまうのだ。
その強さの差は、ベルルオーニを時間稼ぎとしかみなせないほどだ。
だが、その時間こそが状況を変える一手になる。
「伯爵も命を惜しんでください!」
そう言うとバッとモモチは飛び上がる。
「シッ!」
襲撃者は何かを投げる。
それはモモチに当たるが、彼女は逃走に成功する。
「我が目の前でよそ見をするか!」
ベルルオーニは短刀を突きだす。
相手のモモチへの対応の隙、そして得物である巨大な鉄板のような両手剣の取り回しから考えると、この一撃は防げない。
その後に斬られるとしても、致命的な一撃になりうる。
その短刀は相手の鎧の隙間を突き刺す。
が、その手応えはひどく硬いものだった。
ベルルオーニが顔をしかめる。
最善と思って、悪手を打ってしまったのに気付いたからだ。
金属鎧の下からのぞいた濃茶色の硬質な装甲。
幼い頃にみた甲虫や鍬形虫のようなクチクラの角皮。
「よそ見などしてはおらぬ。御霊の察知力、鬼の筋力、虫の外骨格、得た力は一つとして無駄にしてはおらぬ。我が目的を果たすまで」
振り下ろされた両手剣は、ベルルオーニ伯爵を両断した。
「お、のれ!……陛下!!」
どさり、とベルルオーニの亡骸は床に転がった。
その、無念そうな顔を見つつ、しかしグルマフカラは冷静しを保ったまま、襲撃者に声をかけた。
「何が目的だ」
答えがあるとは思っていない。
ベルルオーニが稼いだ時間を無駄にしないために、こちらも時間を稼ぐのだ。
声で、口で、舌で、言葉で。
「……噂を聞いた」
意外なことに、襲撃者は答えた。
「噂?」
「リオニア王国が、魔王軍の暗黒騎士と手を結んでいる、と」
「……!?……それは……」
起きた出来事だけ見れば事実だ。
ついさきほどまで、グルマフカラは魔王軍の暗黒騎士と思われる男と仲良く話をしていた。
「我が祖国の名誉にかけて、それは許されぬ」
「祖国……まさか、お主は!」
「我はニブラスの騎士ウラジュニシカ。魔王軍の全てを殺しうる者」
ニブラスの騎士。
勇猛果敢、精強無比、大陸最強の騎士団。
様々な呼び名で謳われるこの騎士たちは、しかし魔王軍侵攻の際にわずかな数を残して、全滅したといわれる。
生き残りがいるのは知っている。
しかし、それがこんな人外だとは!?
王国騎士団団長や副団長が強いことは知っている。
だから、ニブラスの騎士もそのくらいだと思っていた。
だが、だがだ!
想定外にもほどがある。
「私を殺すか?人を、人である私を」
「人か否かは関係ない。魔王軍の敵か味方か、だ」
「私自身は魔王軍とは敵対していたのだがね」
「戯れ言無用」
ウラジュニシカは鬼の剛力で、剣を振った。
その刃にかすっただけで、人間なら消し飛ぶほどの威力で。
爆発のような轟音。
そして、火花がグルマフカラの前で散った。
彼は見た。
黒い影を。
「お、おお、間に合ったか!」
フルフェイスの兜の奥の、ウラジュニシカの目が驚愕に見開かれる。
剛力で振り下ろした剣を止める、わずかに反った刃を持つ剣を。
「我が剣を止めるか」
「力だけならドラゴン並だな」
俺は、しびれる手に驚きながら、その威力でも傷一つつかない大太刀の剛性に感心した。
「お前が暗黒騎士か?」
「退職したんだがな」
「なるほど、お前が呼んでいたのだな」
「いや、呼んでない……が……?」
「確かに呼んだ。今も力強く我を呼んでいる。魔王の力が」
そこでピンときた。
俺以外にも、魔王の継承者として人間界で活動している者がいる、と聞いてはいたのだ。
それがこいつだ。
魔王の継承者は引かれ会う、という。
獣人のジレオン、海魔のガルグイユ、竜と不死のフレア、奴らが俺と出会ったのは、この力のせいなのかもしれないと思っている。
こいつと出会ったのは、偶然ではない、のかもしれない。
「お前が関係者なら、仕方ない。倒すだけだ」
「望むところだ、暗黒の騎士よ。我はお前を倒し、お前らを倒し、魔王となって、魔王軍の全てを滅ぼすのだ」




