10.獣の奔流、立ちはだかるは暗黒
帰り道。
深夜というには、まだはやい。
しかし、家々の灯りが消え、人々が眠りにつく時間帯。
俺は城壁の上にいた。
夜警の兵士たちにいぶかしげな目で見られながらも、城壁から身を乗り出して向こうを見る。
今は俺にしか見えないが、もう少しすれば兵士たちも見えるだろう。
魔獣軍の姿が。
魔王軍の獣魔将ゼオンに率いられた勇猛果敢な獣人と、魔獣の軍団だ。
既にゼオンその人は勇者に倒された。
だが、その残党はまだ残っていたのだ。
つまり、ゼオン殿は軍団を捨ててネガパレスに帰ったのだ。
それでは、バルドルバと同じではないか。
俺の上司であった暗黒騎士隊第一隊長兼騎士魔将バルドルバは、勇者に攻められた際、配下の指揮を放棄し、ネガパレスの守備に入った。
彼の配下の暗黒騎士は指示もなく、自己判断で動き全滅した。
ゼオンもそうだったのだろう。
配下の魔獣軍は上司の指示もなく待機していた。
そこへ伝えられるゼオンの死、ネガパレスの崩壊、魔王の敗北。
魔王軍が敗走した時、そこにいたのは一個の野獣だった。
野獣たちは本能のまま、駆け抜け、襲い、かみつき、食らう。
その群れともいえない群れが、今リオニアスへ攻め寄せてきていたのだった。
「あァ!商店街が」
衛兵の一人が悲鳴をあげた。
城門は閉まる。
だが、城壁の外にある商店街には壁はない。
襲いかかってくる魔獣軍に対抗するすべは……ない。
「ここの常駐部隊は!?」
俺の声に兵士の一人が、答える。
「わ、私たち衛兵だけであります」
「ならば冒険者ギルドへ連絡してくれ、まだ“白月”のユグドーラスがいるはずだ」
「あ!ユグドーラス様ならあるいは……あ、あなたは!?」
「俺は……戦う」
城壁の上から俺は飛び降りた。
「え!?」
壁の出っ張り、商店街の屋根や煙突で落下の勢いを軽減し、無傷で降り立つ。
大通りを駆ける。
不安そうな人々の目が俺を追う。
姿が見えなくても、街に近づく脅威を察しているのだろう。
「行くぞッ!」
押さえていた闘気を全開にする。
あわよくば、これで帰ってくれればと思ったが、そう上手くはいかないようだ。
小動物の魔物は逃げるが、中型、大型の魔獣は足を止めない。
剣を抜き、走る。
走りながら切る。
狼型の魔物を切り、犬型を蹴飛ばし、虎型を踏み潰す。
俺を抜けて行きそうな魔物を追いかけ、切り飛ばす。
バルカーよりも速い攻撃をかわし、いなし、防ぐ。
それでも、あっという間に傷だらけになる。
「“暗黒”」
俺が使える四つの魔法の一つの内“暗黒”を使う。
これは低コストの暗黒魔法で、相手の視界を一定時間奪う魔法だ。
相手の視界を奪うということは行動に制限をかけられるということ。
一対一の戦いでは非常に有効だ。
だが、今のような一対多の戦いでは時間稼ぎにしかならない。
それでも時間は稼げる。
剣を振るい、獣たちを切り裂くための。
このリオニアスという街を守りきるための時間を。
何時間たったか。
どれほど切ったか、わからないが俺はまだ戦っている。
すでに剣は血でぬめり、切れ味は落ちている。
ので、その重さを利用して叩き斬るという使い方をしている。
「しかし、これほどの戦力を保有していながらなぜ攻めきれなかった?」
もし、俺がいなければ魔獣軍はいまごろ商店街を落とし、城壁を破り、街を蹂躙していただろう。
もし仮にゼオンがこの全力突撃を開戦時にしていたら、労せずにリオニアは落ちていたはずだ。
「まあ、もしも、仮にの話だな」
もう、魔王軍はない。
そして、俺は一人の冒険者としてここにいる。
「上手い飯を食べさせてもらった」
それだけで、俺は戦える。
忠義とはまた違うもので、俺は戦えている。
この街で出会った者たちはまだ少ない。
バルカー、ニコ、ユグドーラスに冒険者ギルドの冒険者たち、それにリヴィだ。
たったそれだけの縁で死地に飛び込むなど昔の俺では考えられない。
「それにしても、まだか」
俺はそれを待っている。
この状況を変えうるファクターを。
魔獣たちを斬り倒し、血しぶきを浴びながら、剣を振り、魔法を放って。
待ちながら、戦い続ける。
俺の後方で大きな魔力のうねりを感じたのは、大型の熊の魔獣を両断した時だ。
それは詠唱にのって、俺のもとへ届いた。
「我が界境は我が腕にて弾いたり、月下の光よいざやまたたけ“障壁”」
そう、ようやく、ようやく届いた。
月の光が降り注ぎ、やがて光の壁となって内と外を隔てる。
外に弾かれた魔獣たちは障壁に体当たりをするが、その程度では傷一つつかない。
「さすがだな。“白月”」
「まったく、一人で飛び出すなど正気の沙汰とは思えませぬぞ」
ユグドーラスは城壁の上で都市全体を覆うほどの障壁を展開していた。
この街を守るには彼の登場が必須。
待ったかいはあった。
「だが時間は稼いだ。お前が戦場に現れるまでの数時間をな」
「ええ、感謝しておりますとも。リオニア冒険者ギルドを代表して礼を申します」
「礼はいらん。簡単でいいから回復してくれ、まだ敵はいる」
「簡単におっしゃる」
ユグは障壁を維持しながら詠唱することなく、俺へ回復魔法をかけた。
みるみるうちに傷が癒え、体力が回復し、ついでに剣の切れ味も戻った。
バルカーにかけたのとは数段違う魔法だろう。
まったくありがたいことだ。
これでまだまだ戦える。
「障壁の外へ出るぞ、俺を弾け」
「本気ですか!?」
ユグに笑顔を返す。
ユグは苦笑いをして、障壁魔法の内部から俺を弾いた。
体当たりをしていた魔物を一気に斬る。
さて、これだけの魔獣が一斉にここに来るわけはない。
誰かが指示を出しているはずだ。
そいつを探して倒す。
もう都市に侵入されることを考えなくともいい。
ならば俺は全速力で走ることができる。
魔獣たちはどこから来たのか。
これだけの数の魔獣が集まるとなれば、開けた土地ではないだろう。
森。
この付近にある森に集結し、そして夜を待って襲撃を始めた、というところか。
つまり、この襲撃の進行方向に逆らって進んでいった先の森に首魁がいるはずだ。
俺は笑う。
波のように迫り来る獣の大群を前に。
だが、さきほどまでのようにいつ来るかわからない助けを待ちながら戦うわけではない。
俺の背中の、リオニアスはすでに守られている。
すう、と息を吸う。
街からだいぶ離れた、もう見られることはないだろう。
俺は二つの魔法を同時に行使した。
「来たれ、我が戦の衣、黒き闇“暗黒鎧”、閃け、我が腕の先に、煌めきをも呑み込む黒刃“暗黒剣”」
魔力が青白く、俺からあふれ鎧と剣の形となる、
俺の身に装着された黒い鎧と、握られた黒い剣。
その姿こそ、暗黒騎士としての姿。
鎧を召喚する魔法“暗黒鎧”。
この鎧をまとっていれば、物理、魔法ともに防御力が上昇する。
さらに駆動補助機能もあるため、瞬発力、機動力もあがる。
そして、いつも使っている剣に魔力を注ぎ、黒き刀身の魔剣へと変化させる“暗黒剣”。
これを使うことで、切れ味が向上し、魔力を高効率で攻撃に転化できる。
この姿になることで、あの人間最強の勇者とも互角に戦うことができるようになるのだ。
ただ見た目はあからさまに、魔王軍の暗黒騎士である。
そのことを知られたくない俺は、人目につく商店街前での戦いの際には温存していた。
だが今は街から離れている。
俺の力を存分に発揮できる。
目の前の雲霞のごとき魔獣の大群も、その後ろに控えている魔獣軍の要人も、まとめてなぎ倒してやろう。




