たわしの恩返し
1
御犬さま(約一歳)が、亀の子たわしを口にくわえた。
茶色の毛並みをもつ小型日本犬に、和風要素が追加されてしまった形になる。
とりあえず一枚、写真撮影。
「こらこら、それがないと鎌が洗えないじゃないか」
手をのばすも遠ざかる。
尻尾がはげしく揺れている。
いまかいまかと待ち受ける、御犬さまに跳びかかる。
日本庭園を駆けまわる柴犬の姿を、ひたすら撮りまくったあと、ようやく亀の子たわしを取り戻した。
これで汚れた鎌を洗える。
土と草汁にまみれたのであり、血で汚れたわけではない。
鎌というのは、草を刈る道具であり、命を刈り取る武器ではない。
はじめて死神に大鎌を持たせて描いた人も、遠い未来、遥か東方の地にて、大鎌がロマン武器に昇華されるとは想像できまい。
きっと真剣に……いや、意外とノリノリだったのだろうか。
これマジすげえカッコイー、的な勢いで描いていたのだろうか。
雑草のごとく湧きあがる雑念にまみれていると、御犬さまが、またしてもくわえていらっしゃる。
今度は、鎌を。
鎌の柄を口にくわえて、刃をきらめかせていらっしゃる。
「忍犬スタイル? 牙という武器の他に、鎌を使いこなそうと?」
日本ではじめて鎖鎌を使いだした人は……いや、余計なことを考えているときではない。
写真を、ではなく、危ない。
洗えないだけでなく、危ない。
双方ともに危ない。
しかし、跳びかかってくる御犬さまは、とにかくかわいい。
夕刻、自宅でお祀りしている不動明王さまの御前にて真言を唱え、仏前にて般若心経を唱えたのち、御犬さまにドッグフードを捧げる。
御犬さまは、水をばっしゃばっしゃと飲んだのち、やわらかい寝床でくつろぐ。
人間も食事をする。
眠る御犬さまを観賞しながら、玄米と漬物をよく噛んで食べた。
腹六分で病なし。
健康大事。
御犬さまと素敵な散歩をするため、全力疾走ができる程度の体力は必須となる。
食後の甘味はプチ贅沢なロールケーキ。
スイーツも大事。
歎異抄を読みかえして時を過ごす。
水シャワーを浴びて身を清めて、布団を敷いて横になる。
丹田に意識をおきながら静かに呼吸をくりかえす。
御犬さまがやってきて横で眠った。
幸せに満たされて寝入る。
2
妙な夢をみた。
小さな亀があらわれて、助けてくれたお礼をしたいと言ってきた。まったく心当たりがないので丁重にお断りしたのだが、どうしてもというので考える。
結果、なにか御犬さまに楽しんでもらえるものを頼んだ。
小さな亀は、動揺するかのように身体をゆらし、沈黙を保っていたが、やがて首肯した。
ゆっくりゆっくり遠ざかる亀の姿を見守っていると、背後から声をかけられた。
振り向くと、蟷螂がいた。
蟷螂もまた、助けてくれたお礼をしたいと言ってきた。
まったく心当たりがないので丁重にお断りしたのだが、どうしてもというので、なにか御犬さまに喜んでもらえるものを頼んだ。
蟷螂は、微動だにせずこちらを眺めていたが、やがて了解し、羽を広げて飛んでいった。
目覚めても記憶に残る、じつに奇妙な夢だった。
3
早朝、身を整え、真言と般若心経を唱えたのち、御犬さまと散歩にでる。
緑豊かな山々をながめつつ、ゆったりウォーキング。
犬仲間との和やかな交流。
そして、ウオーキングからの全力疾走。
インターバルを挟んでの全力疾走。
最近、身体が健やかで軽やか。
気持ちのよい汗を流しつつ帰宅を果たしたわけだが、門前に、誰かいた。
見た目はやせっぽちの女の子。
お世辞にもきれいとはいえない身なりの女の子は、こちらを見て、おどおどしていた。
尋ねてみても、いまひとつ要領をえない。
御犬さまが吠えもせず、尻尾をふりふりして女の子をみていたので、お客さまとして上ってもらうことにした。
腹を鳴らし、一昨日から何も食べていない、などと告げられては朝食を召し上がってもらうほかない。
よほど疲れていたのだろう。
水を飲み、お粥を食べ、黒糖饅頭を食べると眠りに落ちた。
興味津々の御犬さまも、お子さまの眠りを邪魔することはなく、見守るかのように横で待機していた。カッコかわいい。撮影。
昼頃、目覚めた女の子から話を聞いた。
十歳にも届かないかと思いきや、もうすぐ十二歳になるという。
発育がよろしくない。
女の子が語るところによると、昨日の夜、父親から家を追い出されたらしい。
近所の公園で休もうとしても、蚊がたくさんいて眠れない。しかたなく歩いていると、なにかに呼ばれたような気がした。歩いて、歩いて、歩きつづけて、たどり着いたのがここだとか。
心身衰弱のあまり幻聴でも聞いたのかもしれない。
なんであれ、嘘はついていないだろう。
ネグレクトは確定とみていい。
御犬さまと女の子が仲良しになっている。
遊んでいる間に、女の子を保護したことを警察に報告、相談する。
撮影に励んでいる間に、男女ペアの警察官がやってきた。
女性警察官は、女の子の身体にアザを発見したらしい。
話には出ていないが、日常的な暴行があったとみるのが妥当である。
このまま親元に返すのは危険なので、施設で保護してもらうことになった。
はずであった。
4
保護施設に移るはずだった女の子は、しばらく家で預かることになった。
施設にも限界があったらしい。
保護施設員も、警察官も口を濁していたが、本来絶対アウトだろう。
一応、地元の名士枠に収まっているので、信頼という名のもとに、お願いされてしまった。
お子さまと御犬さまに不安な眼差しを向けられては承知せざるをえない。
女の子の服など、こちらの気が回らない分野での協力を要請して、前のめりな諒解をもらった。
現場主義のホワイトグレーな大人たちを見送りに出向くと、門前に、お世辞にもきれいとはいえない格好の、バックパッカーがたたずんでいた。
いや、そういう低予算旅行者というよりは、遭難者に近い風貌。
女性である。
若い女性ではあったが、どうしようもなく不審者であった。
即座に職務質問がはじまり、帰るタイミングを失った保護施設員とともに話を聞いた。
女性の口からは、一人旅、修行という単語が出てきたが、ようするに迷い人であり、路頭に迷っている人であった。門前で動かず立っていたのは、なにかに呼ばれたような気がしたから、だという。
嘘にしては、あまりにも荒唐無稽。
薬物常習者にしては、あまりにも正常な受け答え。
恰好が不審者なだけで、犯罪者ではないだろう。
よって、ホワイトグレーな三人の大人たちから、複雑な視線を向けられた。
問題の女性からも、ちょっと困ったような感じのスマイルを向けられる。
ボールはこちらにあり、さてどうするかと考えていると、タッタタッタと御犬さまが駆けてきて、一声吠えて戻っていった。
これもなにかの縁でしょう。
そんな便利な言葉でまとめあげ、女性に食事と宿を提供することになった。
女性が所持していた物騒なサバイバルナイフは、警察官が没収した。
5
風呂から出てきた女性は、思った以上に若かった。
二十歳そこそこだと思われる。
こちらが提供した男物の作務衣を着こんでいるが、それがまた似合っていた。
女性が背負っていたバッグには、肉の塊が入っていた。
罠にはめて息の根をとめてサバイバルナイフで解体したイノシシの燻製肉。
塩や調味料が足りないため、味はいまいちというが、それはあくまでも人間基準であり、つまりはちょうどよいジャーキーといえた。
御犬さま、大喜び。
おもわず写真を撮りまくってしまうほどの喜びようであった。
御犬さまを中心として、誰もが仲良くやれそうな予感。
その予感は外れることなく、その日の夕食の準備段階から、お客人たちは心底楽しんでいた。
精米したての米を炊き、漬け物を刻む。
新鮮なキュウリに味噌をつけて食べる女の子と、塩をなめつつ熟れたトマトをほおばる若い女性。
米が炊けると、どれだけ飢えていたのかと思うほど、おいしそうに銀シャリを食べる。
すごく安上り。
おもてなしの精神がいくらか傷ついたものの、満足そうなのでよしとする。
部屋数は多いが、女子ふたりは同じ部屋で布団を敷いた。
御犬さまもそちらに行ってしまい、少々、いや、かなり寂しい。
6
滞在中、何もしないのは悪い気がするというので、農作業や掃除などを手伝ってもらう。
御犬さまの遊び相手としても最高の女の子は、亀の子たわしの扱いがうまいのか、風呂場の汚れをすっかり落としきった。
たくましすぎる女性は、刃物の扱いが異様にうまく、鎌をつかっての草刈りはもちろん、研ぎまでできる優秀さを発揮した。
女の子の両親から捜索願いは出されず、保護施設の収用問題は解決せず、つまりは何も変化はないまま、前触れもなく問題があらわれた。それは女の子を保護して一週間が過ぎたころであり、たくましすぎる女性が山に入り、イノシシを捕獲、解体してきた翌日のことであった。
女の子の父親の、代理人を名乗る人物が、高級車をのりつけてあらわれた。
悪い顔をしていた。
同じような人相の奴らを、三人ほど引き連れて敷地内に入ろうとしたのを、御犬さまが吠えて止めた。
なにやら威勢のいい怒鳴り声が飛びかっていたが、血と臓物の臭いがとれないでいる若い女性が、ピカピカに輝いている鎌をもってあらわれ、眼光鋭く睨みつけることで静かになった。
門前にて、相手の言い分をきいた。
ようするに、小学生の女の子を誘拐、監禁している事実を世間に公表されたくなければ、所有している山林をお手頃価格で売り渡せ、ということだった。産廃土砂などの、ゴミ捨て場にでもするのだろう。
「なるほど、お断りします。おかえりください」
保護していることは警察も把握しているわけだが、暗黙の了解によるグレーな対応である。いざとなれば、知りませんでしたで通すかもしれない。さすがに逮捕までされたら本気で抵抗するが、そのあたりは良心というか、恥を知る精神性を信じよう。
「警察とは互いに連絡を取り合っていますので」
相手方は、できるかぎり誇張して世間に広めて、徹底的に叩きまくるぞ、といいたいらしい。被害者の両親の素性など、すぐにさらされ、どちらがまともかはすぐに知れる。しかし、一度広まったネガティブなイメージを払拭するのは難しい。世間というのは、そういうものだろう。
「なにをどういわれようが、こちらの返答は変わりませんので」
捨て台詞を吐きながら帰っていった。
こちらの社会生活を抹殺するために動くか、あるいは、なにか別の手段をとるのか。
しかし、連中はどうやって女の子の居場所を突き止めたのだろうか。
御犬さまが、女の子の前に立ち、牙をむいて威嚇しておられた。
とてもかっこいいので写真撮影。
よい出来なので、これもあとでSNSに上げようとおもう。
きっと多くの「いいね!」をいただけることだろう。
7
事態を警察に報告した。調べてくれるらしい。女の子の両親にも事情をたずねにいくそうだ。保護施設には警察から連絡を入れるという。これでいくらか事態は進展するだろう。
食事の席には、暗い顔をする女の子がいた。
となりには御犬さまが座っている。
風呂に入って身体を洗いまくっていた女性が、女の子をなぐさめつつ、こちらの様子をうかがう。
「心配することはなにもない」
泣きそうな顔で、あの人たちを知っていると、女の子が告げた。
父親が金を借りている相手だという。
何度か家にあらわれて、そのたびに怖い想いをしてきたと、泣きながら伝えた。
「なるほど、あとでもう一度、警察に連絡しよう。そして何度でもいうが、心配しなくていい。ああいう連中があらわれるのは、なにも今回が初めてじゃない。先祖代々の土地を狙う輩は、いままでにだってたくさんいた。今回もだいじょうぶ。心配しなくていい。きみが心配することはなにもない」
きみのせいではない。
何度も何度も伝え聞かせて、ようやく安心したのか、眠ってしまった。
敷いた布団に運んだあと、本当に大丈夫なのかと、もう一人のお客さまから尋ねられた。
刃物をもって襲撃に向かいそうな眼光をしておられる。
「嘘はいっていない」
どうやって対処するのか。
「とくになにもしない」
不審な表情をうかべる女性に、苦笑しながら伝える。
先祖代々、守り受け継いできた土地は、神仏といった見えない存在によって、ガチガチに守護された神域といってもいい場所であり、邪なる意思によって犯すものあらば、ただちに罰が下されるであろうと。
そのあと、渋い表情をうかべる女性に、とりあえず様子を見守るよう伝えた。
8
夜、不動明王さまの御前にて、ひたすら真言を唱えつづける。
己の内にある、邪なるものを祓い清めんがために、無心となって唱えつづけて、たぶん小一時間。
起きていた女性に、少女の様子を尋ねる。
深く眠っているようで、そばには御犬さまがついているという。
眠れないというので、御神酒を下げて飲むことにした。
ぐいぐい飲むタイプらしい。
つられてこちらも飲んでしまい、御供えもしていない酒を持ってくる。
なにか恐ろしい武勇伝を語っていた気もするし、見える山林はだいたい所有地だと伝えると、イノシシ狩り放題じゃん、といってゲラゲラ笑っていたような気もする。
早朝、いくらか酔いは残っているものの、いつもの時刻に目覚めた。
テーブルに倒れるように眠っていたので、身体が痛い。
相手も似たような体勢で眠っているが、そのまま放置して身支度を整える。
真言および読経を終えて、散歩の時間であるが、御犬さまがあらわれない。
気になるので部屋の様子をうかがう。
女の子が眠り、御犬さまも横になって眠っていた。
せっかくなので、敷いてある布団に酔いつぶれた女性を運んだ。
失礼ながら、意識のない人間を運ぶのは重労働。
しゃがみこんでしまった。
暗くてわかりづらかったが、布団が汚れている。
御犬さまの足を、きちんと清められていなかったようだ。
予定外のフリータイム。
いまひとつ頭も働かないため、水を飲みつつテレビを見ることにした。
ニュースをみる。
街中で、ビルの倒壊という深刻な出来事が起こったらしい。
上空からの映像が流れている。
巨大な肉球スタンプにしかみえないのだが、なにをどうしたら、あんな壊れ方をするのだろうか。




