無自覚な男
こんなことするなんて、らしくないと分かっている。
いつも体良くあしらい、適度な距離を置きながらの関係を続ける自分たちの間に、こんなものが必要ないことぐらい分かっている。
しかし、あの時――この店の前を通りがかかった時、ふいに目に入ったその深い緑の鮮やかさに、彼女の顔が浮かんだのだ。
それが何を意味しているかなんて分からない。ついでに言えば、今自分がしている行動もよく分かってはいない。
ジュエリーショップに入り、カットされた緑の宝石がシルバーのネックレスにはめられたこれを眺めるなんて、我ながらどうかしている。
ましてや……。
「あの……これ、ください」
指で指し示し、にっこり笑う店員に声をかけるなど、本当に今日はどうかしていた。
―――◆―――◆―――
「あの、これは……」
「やる」
「え? でも……」
「上司からの押し付けだよ。奥さんに贈るつもりが、趣味じゃないと押し返されたんだと。で、俺に回ってきた。……ったく、彼女なんていないって散々言ったのに……」
「そうなんですか……」
お下がり。彼女じゃない女。
少なくとも俺は、目の前の彼女が傷つくような意味を持つ言葉を吐いたつもりだったのに、コイツは眉をひそめない。
それどころか手に取ったネックレスに目を輝かせ、嬉しそうに笑った。そして幸せそうに口元を緩ませ、こちらを向いた。
「ありがとうございます!」
なんて。俺にはかけてもらう資格のない言葉を、とても大事そうに言って。
だけど同時に思う。そう言えば、この関係になってからプレゼントを贈ったのは初めてかもしれないと。
「隼人さんからのプレゼント、初めてですよね。私、すごく嬉しいです」
そう思ったのは、どうやら彼女も同じだったらしい。彼女はシルバーのチェーンに指先を伸ばすと、器用に自分の首につけ、輝く緑の宝石・エメラルドを胸元に当て、見せた。
「……どうですか?似合って、ますかね?」
自分じゃ分からないのですが、と言葉を続けた彼女は、照れ臭そうに笑いながら人差し指の指先でエメラルドに触れる。
そんな中で……いや、そんな中だからこそ俺は思い出す。ジュエリーショップの店員が言っていた言葉を。
エメラルドの宝石言葉の1つ、「幸福」を。
いまの彼女は、幸せだろうか。
こんな俺と、恋人でもない、友達にも戻れない関係を続ける彼女は今、幸せだろうか。
ズルズルと爛れるように続いているこの関係の先に、彼女の幸福はあるのだろうか。
今目の前に彼女の喜ぶ顔が見えると、その想いが余計に強くなり、俺は目を背けた。
『別れよう』
そう言えたら、どれだけいいか。
この関係を終わらせたら、彼女に本当の幸福がきっと訪れる。それは分かっている。
それでも、俺は……。
「……幸福、か……」
エメラルドがもたらす幸福を手放したくなくて、その言葉を飲み込んだ。
「隼人さん?何か言いましたか?」
「いや、別に。……シャワー、浴びてくる」
「あ、はい。いってらっしゃい」
いつか訪れる別れなら、そのいつかが来るまで鎖で繋ぎとめよう。
それがいつかは分からないが、出来ることならずっと……彼女が俺との時間を喜んでくれる間だけは、いまの関係が続いてほしい。
冷やした頭の中で、俺はそう願わずにはいられなかった。