無間地獄へ誘うのは……
怪談の定番メリーさんを、自分流にアレンジ。
あるところの一軒家に、一人の女の子が住んでいた。両親とともに仲睦ましく、幸せで平穏な毎日を送っていた。
この日は女の子の四歳の誕生日、女の子は両親と一緒にプレゼントのおもちゃを買いに出かけた。
おもちゃ屋に向かう途中の車の中では、たいそう心躍るといった風で、女の子は落ち着かない様子だった。
入った店には、目を引くおもちゃがたくさんあった。その中から女の子が選んだ物は、綿を詰め込んで作られた西洋女性の人形だった。
髪は金色で瞳はつぶら、微笑みを醸す薄紅色の唇が特徴的だった。
着ているドレスも細かな装飾が施されており、人間であれば令嬢と呼べるほどの見目よい容姿をしていた。
家に戻ったあと、女の子は人形に「メリー」と言う名前をつけ、ままごとの仲間として迎えることにした。
「はじめまして、メリーさん。これからよろしくね。」
女の子はメリーをとても大事そうに抱きしめた。
その日から、女の子は毎日メリーと一緒だった。時には友達や家族と語らうように話しかけ、別の時には茶会を模した玩具で婦女子仲間を演じたりもした。
寝る前にはメリーに「おやすみ。」と声をかけ、同じ布団で寝るのが常だった。
おそらくは、メリーにとってもこの生活が幸せだっただろう。ずっと続けばとも思ったかもしれない。
しかし、この夢心地とも言える生活は、永遠とはならなかった。
残酷にも時は流れ、女の子も年を取った。それにつれ、女の子の興味もメリー以外に移ろうようになった。
メリーと一緒にいる時よりも、出かけている時間が多くなった。
メリーを抱いていた手には、今は化粧道具が握られている。
髪を梳かす櫛も、メリーに使われることはもうないだろう。
茶会の玩具も、どこかにしまわれてしまった。
ふと、女の子がメリーを抱え上げた。背丈も髪も伸び、顔立ちもメリーが来た頃よりだいぶ変わっていた。
最初にメリーが見たのは、冷たく無表情な女の子の顔。次に見たのは、ダンボール箱の仄暗く閉じた世界だった。
それからのメリーは、数えきれないほどの苦痛に苛まれた。
ようやく外が見えた時、かつてとは違う別の女の子がメリーを抱えていた。
すぐに母親らしき人が駆け寄り、汚いから捨てなさいとメリーを取り上げ、地面に叩きつけた。
次に来たのは、近くの小学校に通う男子児童たち。メリーを見つけるや否や、人体実験と称して髪を毟り、右足を引きちぎった。
「首なしにんげーーん。」などと愉快そうに叫びながら、首を引きぬいてははめこみを繰り返した。
男子児童が去ったあと、やってくる人はいなかった。
代わりに来たのは、黒いカラスと野良犬たち。
ドレスを餌と見たのか、カラスはメリーの体を執拗に啄ばんだ。そのたびにドレスは破れ、その跡から綿が飛び出た。
右目をつつかれた時には覆いが取れ、綺麗な瞳が光っていた部分は単なる穴になってしまった。
野良犬も似たようなものだ。メリーに齧りつき、振り回し、し尿を引っ掛け、足蹴にして去って行った。
すべて終わった頃には、メリーはかつての令嬢の雰囲気とはかけ離れた、汚れたボロ人形となっていた。
それからさらに時は流れた。メリーを捨てた女の子は成人し、社会人となっていた。
勤め先の商社では、業績が芳しく人当たりもいいと、彼女の評判はとてもよかった。
この日、彼女はいつものようにパソコンで業務連絡の確認をしたのだが、そこに一通の見慣れぬメールがあった。
”あなた、今どこなの?”
文面にはこうあった。
送り元のアドレスは身に覚えのないもの、いたずらか送り間違いのどちらかだろう。
彼女はそう思い、深く考えずにメールを削除した。
彼女が一日の業務を終えて帰宅する途中、電車の中で携帯電話のバイブレーションが起動した。
見ると、そこにはメール――商社で見たものと同じアドレスからのものが、一件入っていた。
”わたしを捨てたあなたは、何をしているの?”
メールにはこう書かれていた。
さすがに今度は彼女も憤りを覚えた。誰かを捨てる真似をした覚えはない、この忙しい時によくもこんなくだらないことができるものだと。
暫し時間が過ぎたあと、冷静になった彼女はこちらが相手にしなければいいと思い、メールを削除した。
アドレスを受信拒否フィルターにかけることも忘れなかった。
目的の駅に着いた彼女は、今日は早く寝ようと帰宅を急いだ。
アパートの自室に着いた彼女は早速入浴を済ませ、寝巻に着替えた後に翌日の予定確認を行った。
今日は一件ミスがあった。次で挽回しなくてはならない――勤め先での評判が気負いとなったのか、スケジュールの決定に時間がかかり、気付いた時には深夜を過ぎていた。
そろそろ寝なくてはとベッドに横たわったところ、不意に固定電話の着信音が響き渡った。
できれば無視したいが、会社からだったら緊急の可能性がある――彼女はしぶしぶ出ることにした。
「もしもし?」
電話からの返答はなかった。
「もしもし?あの、どなたですか?」
彼女はしばらく呼びかけたが、一向に返答がない。これもか、とうんざりしたところで――声が返ってきた。
「……やっと……見つけた……。」
それは、声の枯れた女が振り絞って出すような、乾いた響きの声だった。
「あの、どなたですか?用があるなら、早く言ってくれませんか?」
「……ずっと……ずっと、探してたの……捨てられてから……ずっと……。」
捨てられた――その言葉で彼女は一つ思い当たった。
「携帯のメールあなたなのね?一体、何のつもりよ。私は誰かを捨てたことはないの。」
怒鳴り散らしたい気持ちを抑え、彼女は静かに口にした。
「……あなたが……忘れただけ……わたしは……覚えてる……絶対に……忘れない……。」
受話器の向こうからの恨みごとに怖気を覚えた彼女は、早々に切り上げようと畳みかけた。
「いたずらなら結構です!もう、切りま――」
「フフ……フフフ……。」
その笑いには、思わず声が出なくなるほどの冷酷さを感じた。尋常ならざる不気味さ、そして背後から刃物を突き付けられたかのような威圧感に、彼女は動くこともできなくなった。そして――
「わたし……メリー。今……そっちに行くから……。」
声の主がそう告げたあと、受話器からは何も聞こえなくなった。
彼女は甚大な困惑と動揺の最中にあった。
最後に聞いたメリーと言う名前、あれは子供のころに遊んだ人形の名前だったはず。人形自体は不要になって捨てたのだ。
ひょっとして、捨てられたというのはそのことか。だとしたら、電話をかけてきたのはあの人形か。
そんなはずがない――そう思いながらも、彼女は落ち着けずにいた。
とにかく、警察か誰かに助けを――そう考えたところで――
コン、コン。
と、玄関のドアがノックされた。
不意のことに驚くも、そのおかげか彼女の動揺は消えたようだった。
そうだ、このアパートはガードマンが深夜帯、様子見に巡回するんだった。
助かった――そう思った彼女は、ためらいなくドアを開けた。
しかし、いたのはガードマンではなく――おどろおどろしい格好の西洋人形だった。
もとは金髪だったであろう毛髪は茶色く汚れ、先の方にはヤニのようなものがこびり付いていた。
それの付く頭部も、半分はざらついた禿げ頭になっている。
衣服と思われる巻き布は八つ裂きなうえにひどく黒ずみ、そこから汚物処理場を思わせる腐った臭いが立ち上っていた。
腰の部分は横に半分ほど断裂し、そこから大量に飛び出た綿にも、小蝿や蛆が集っているのが見える。
愛くるしい瞳のあった個所は右側が陥没しており――そこから血を思わせる赤黒い液が滴っていた。
そんな人形が、取れかけの首を支えながら彼女を見ていたのだ。
「やっと……会えた……。」
電話で聞いた不気味なかすれ声、それとまったく同じ声で、人形が話した。
そして、ゆっくりと彼女へ近づいて行った。
「ひっ……。」
彼女はドアを閉めることも忘れ、後ずさった。
激しい動悸で呼吸も滞るほどの恐怖を、彼女は感じていた。
それでもなお、人形は近づくのを止めなかった。
「あなたに……捨てられたから……わたしは……。」
尻もちをつきながらも、彼女は後ずさった。しかし、気付けばもう壁際であり、下がることはできなくなった。
「やめて……お願い、来ないで!」
彼女は懇願したが、人形が聞き入れることはなかった。右足がないにもかかわらず、まるで浮いているかのように近づいてくる。
醜怪な姿で憎悪とともに歩くそれは、まさしく死神の形相と言えた。
「わ、悪かったから。私が……悪かったから。」
不意に、人形が両手を突き出した。そして、たった寸刻で彼女の体に馬乗りになり、そのまま喉元に手をかけた。
「あぅ……ぁ……おね……やめ……て……。」
とてつもない力が彼女の喉笛を押し潰す。まるで、人を殺める術を会得してきたような所業だった。
「許さない……許さない……。」
ふと、オレンジの光が彼女の目に入る。それは――非常用ブザーのスイッチだった。
彼女は力を振り絞り、ブザーに手を伸ばすが、まったく届かなかった。
人形を押しのけようにも、喉を潰されているせいでうまく力が入らない。
「……ぁ……。」
やがて、彼女の意識は混濁し、薄らいでいった。
喉を圧迫する力がさらに強まる。女性らしさの残る薄紅色の口元が、醜く歪んだ様な気がした。
「絶対に……許さない……。」
人形がそう言ったのを最後に、彼女の意識は完全に消え去った。
◆
ふと聞こえた声で、私は目を覚ました。
ここは、どこだろうか。見慣れない天井が目の前に広がっていた。
場所を確認しようとしたが、どうしてか体が動かない。目を動かすことすらできなかった。
不意に視界に入ったその存在を見て、先ほどの声の正体が分かった。それは、一人の女の子だった。
ただ、子供にしてはやけに体が大きい気がする。顔立ちは相応に幼いが、どう見ても不自然だ。
私の目の錯覚だろうか。多くの疑問が頭をよぎるが、目の前の女の子が私を抱き上げたことで我に返った。
それで分かった。女の子が大きいのではなく、私が小さいのだと。
視界の隅に映ったままごとセットのティーカップ、それが私が愛用する物と同じ大きさだったのだ。
ひょっとしたら、この子が助けてくれたのかもしれない――そう思い、礼を伝えようとするが、声が出ない。
どうやら、今の私は何もできない状態の様だ。抱き上げられた感覚だけは、はっきりと感じるのだけど。
私を両手に抱え、優しく見つめながら、女の子はこう口にした。
――はじめまして、メリーさん。これからよろしくね。――
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