転生しても公式と解釈が合わなくて辛い
「まぁ、田舎の貴族が廊下の真ん中を歩いているわ!」
「自分が邪魔だと気付いていないのよきっと!」
私の目の前にはいかにも『私、虐めっ子です!』という女子二人が高笑いをしていた。初対面の彼女達に田舎者だ、道の真中を歩くなと騒がれているが、私はこの二人が見えた時点で右に移動している。逆にこの二人が真ん中に並んで道幅を狭めているのだが、彼女達はちっともそのことに気付いていない。彼女達を避けるように身を捩る男子生徒の悲壮感に、私は心の中で手を合わせた。
「確かに私は隣国の田舎貴族ではありますが、現在真ん中を歩いてらっしゃるのはお二方ではありませんか?」
「まぁ田舎貴族風情が口答えをしておりますわ」
「身の程知らずね」
「……」
彼女達によると田舎貴族には人権など無いらしい。確かに私の出身国は農業と酪農が盛んなので田舎の印象を受けるが、この国と同じくらい発展している。彼女達は勉強不足だ。隣国の留学生である私を意味なく貶している時点でも浅慮と言えよう。
「やだ、家畜の匂いがしそうね」
「私は肥溜めかと。畑の肥料になるんでしたっけ? ごめんなさい」
彼女達に彼女達は私を素直に見逃す気はないらしく、言い足りないとばかりに散々私をこき下ろしている。田舎非難が終わると、今度はやれ勉強がちょこっとできるくらいで、そこそこの外見で男漁りを……うんぬんかんぬんと悪口が続いた。
さすがに聞くに堪えないなぁと思い始めた頃、妙に耳に残るヒールの音に気付く。規則正しく鳴り響くその音が不意に止まり、私は笑っている彼女達の後ろにいる人物に目を見開いた。そこにはこの世のものとは思えない、美しい少女が静かに佇んでいる。
「お二人とも、このような狭い廊下の真ん中で何をされているのかしら?」
「「ハーディング様!?」」
二人は後ろを確認すると、飛び上がるようにして左右に道を空ける。
ハーディングと呼ばれた美少女は視線だけで二人を眺め、薔薇色の唇をほんのわずかに引き上げた。
「私もここから山を越えた田舎貴族ですけれど、通してくださるのね。お優しいこと」
「そ、そんな! ハーディング様は公爵家のお方! 田舎貴族だなんて……!」
「留学生の彼女と私は別なのかしら?」
「ハーディング様はこの学校で最も優秀で、お美しい方です! こんな田舎貴族と比べ物になりません……!!」
「勘違いなさらないで」
「ハ、ハーディング様?」
「どなたが相手でも、私とは比べ物にならないわ」
堂々とした物言いと自信に溢れた笑みに、私もその場にいた二人も見惚れて何も言えなくなった。それぐらい彼女は魅力的で、美しかった。
「ごきげんよう」
彼女は私に目配せをすると再びヒールを鳴らして去って行く。そんな彼女の姿に、私は稲妻に打たれたような衝撃を受けた。そして誰とも知れぬ女の記憶が頭の中に一気に溢れ出すのを感じ、クラリと目眩がする。
(ヴィクトリア・ハーディング公爵令嬢!)
この瞬間、私はこの世界に生まれる前、ここではない別の世界で生きていたことを思い出した。その世界でしていたゲームにこの世界はとてもよく似ている。いや、そのものだという確信があった。
ドクドクと忙しなく動く胸を手で抑え、小さくなっていく彼女の背中を私は見つめ続ける。
間違いない。私はきっと、彼女に出会うためにこの世界に生まれてきたのだ。
***
前世のおぼろげな記憶の中で、まず第一に思い出したことは、私はオタクであり、夢女子という、二次元キャラクターとの恋愛を好むオタクであったということだ。
私はこの世界と瓜二つの学園恋愛ゲーム【黄昏の月】の大ファンで、とりわけライバルであるヴィクトリア・ハーディングに入れ込んでいた。
公爵令嬢であるヴィクトリア・ハーディングの立場は所謂主人公のライバルキャラだが、ただ意地悪をしてくるようなライバルではない。彼女は貴族として誰よりも気高く美しい。隣国から留学という名目で転入してくる主人公、アマリア・サトクリフの目標ともなりえる真のライバルだ。
ヴィクトリアはハーディング公爵家の一人娘で、才色兼備という言葉がよく似合う美少女だ。プラチナブロンドに孔雀の羽のような美しい藍色の瞳を持ち、攻略対象の一人である王太子の婚約者でもあった。
乙女ゲームとしては珍しいことに、このゲームは彼女との所謂百合エンドと呼ばれる恋愛を匂わすエンディングが存在しており、百合好きの間では神エンドなどと言って持て囃されていた。
私はスチルコンプリートのために百合エンドを攻略したのだが、攻略後に私の人生はすっかり変わった。狂ったと言っても良い。百合エンドを見た私は、この出会いは運命だったのだ、と気持ち悪いことを考えるほどヴィクトリアに傾倒することになった。
『ヴィ、クトリアッ……! 尊い……!!』
コントローラーを握りしめたまま、私は語彙力を無くして泣いた。家族にも引かれるほどの号泣だった。
ヴィクトリア沼に陥った私は己の給料の大半を彼女に費やした。
モデルだといわれたヨーロッパの都市を一人で旅行したり、あまり出ない彼女のグッズを何箱も買い漁った。SNSでは常に彼女の素晴らしさを発信し続け、毎日決まった時間に大量にコメントを残す私のSNSが、実はbotじゃなく手動だと判明した際、ゲームファンの間で大きな話題となった。
『ヴィクトリア信者が怖すぎるんだが』という謎のスレッドがたてられたりもしたし、誕生日には彼女を祝う三段重ねのケーキをオーダーメイドして一人で食べた。さすがに苦行すぎたので、二度としないと誓ったが、翌年も同じ誓いをすることになった。
「運命だ……ヴィクトリアを攻略しろという、神様の思し召しだ……!」
そんな私の気持ち悪さを神様が哀れと思ったのか、あっぱれと思ったのか、私はこの世界でゲームの主人公、アマリア・サトクリフとして生まれることができた。あのヴィクトリアの出会いもゲーム通りだったことに気付いた私が、百合エンドを目指したのは必然と言えよう。
まず私は百合エンドのために死に物狂いで勉強をすることにした。大前提として、ヴィクトリアの攻略は全てのパラメータが一級品でなくてはならない。勉強、体力、雑学、運動、振る舞い、流行、全てに気を使わなければならなかった。少しでも足りなければ違う誰かのルートに入ってしまう。
そしてここで大事な他攻略対象者。ヴィクトリアのまわりにいる顔の按配が良い殿方とほどほど~に仲良くし、親友にならねばならなかった。本人達がいかほど美形で性格がよくても私の頭の中はヴィクトリアだけだ。口説かれればドキリとはするものの、ヴィクトリア一択の気持ちは変わらない。ヴィクトリア>>>>(超えられない壁)>>>>イケメン、は揺るがなかった。
「サトクリフ嬢は優秀ね。素晴らしい成績だわ。満点だなんて、私負けて誇らしいと思ったのは初めてよ」
学年一位になった時のヴィクトリアの台詞は100万回聞いたはずなのに、私は号泣しそうになった。私の推しが私を褒めている! 誇らしいと! 言ってくれている! 好き!!!!!
発狂しそうになる口を抑えて「光栄です」と声を絞り出した。
「サトクリフ嬢、貴方の乗馬のセンス、嫌いじゃなくてよ」
「ふふ、近頃の貴方は朝露を浴びて蕾み開く薔薇のよう。貴方を口さがなく『田舎貴族』だなんて笑った蕾はきっと萎れているわね」
「貴方は非の打ち所がない人、物語の聖女も貴方には及ばないかもしれないわ」
「ねぇ、サトクリフ嬢、私と肩を並べてくれる貴方を、アマリアと呼ばせて頂きたいの。私もヴィクトリアと、呼んで欲しいわ」
私はこれらの言葉に心臓を何度止められたかわからない。どんなに辛くてもこの言葉を生で聞くために私は生まれてきたといっても過言ではない。あぁ、ヴィクトリア、貴方はどうしてヴィクトリアなの? 貴方が最高すぎて私死にそう。
学園生活も終わりが近付くとさらにヴィクトリアと行動することが増えた。自分が転生している件や本物のアマリアがどうなったのか、本来悩むべき重大事項が見事に頭から吹っ飛んだ。百合エンド以外どうでも良くなってしまった私は主人公失格である。
「そうよ。私は陛下の子供……王太子、兄上との婚約も目眩ましと虫よけのようなものね」
ストーリーの終盤、国を揺るがす大事件が起きるが、そこにはヴィクトリアの秘密が関係してくる。彼女は公爵令嬢で王太子の婚約者という身分だが、実は王子とは兄妹なのである。王宮に勤めていた医師だった女性と陛下が愛し合って生まれた子供、しかし女性は何者かの殺されてしまう。陛下はまだ赤ん坊の彼女を弟であるハーディング公爵にこっそり預けたのだ。
実はその犯人は……みたいなミステリーもあるのだが、私はゲームクリア済みなので犯人も知っている。念のためにと証拠を山ほど集めたが、まっくろくろすけ過ぎて大した苦労はなかった。優秀な主人公補正頭脳とヴィクトリア愛の前には苦労など塵に等しい。むしろ楽しくすらあった。
楽しすぎて、真夜中に証拠品をひと~つ、ふた~つと数えていたら、女子寮には「生首を数える女の亡霊」の怪談が誕生した。幽霊の正体見たり、なんとやら。
「ねぇ、アマリア、私、幸せなの。あんなことがあって、これからが大変だってわかっているのに、貴方がそばにいると思うだけで、不安がなくなって、心が温かくなる。ありがとう、エメラルドの瞳を持つ幸せの小鳥、貴方に望んでほしい。私と、一緒に歩む未来を……」
こんな台詞を美少女が涙を流しながら言うのだ。ノーと言える人間が存在するのだろうか?
私は即座に首を縦に振った。抱きしめられ、私より少しばかり背の高いヴィクトリアの肩に顔を埋めた。死ぬかと思うくらい幸せだった。
卒業後、私は是非にと誘われヴィクトリアが治めることになったハーディング家の領地に行くことになった。ヴィクトリアはこの世界で初の女公爵になるらしい。それを近くで見ることができるという欲望に勝てなかったので即決した。両親は泣いていた。
(エンディングはもう終わった。これから先は私が知らないヴィクトリアとの物語が生まれていくんだ……!)
学園を卒業した私は主人公チートとも言える頭脳と美貌を持っている。彼女のためなら惜しみなく使う所存だ。私の知らない未来が待っているとしても、そこには少しの憂いもなかった。
***
(あ~~やばい~~心臓が~~止まりそう~~!)
ハーディング公爵領に到着した夜、好きな人から寝室へいらっしゃいとお呼び出しがかかった。いつかはそうなる。だって百合エンドだし。と思ってはいたものの、さすがに当日に何かがあるなんて思いもよらなかった。でも大好きなヴィクトリア相手なら、なんでも許せてしまう。自分が粗相をしないかどうかの方がよほど不安だ。
(でもヴィクトリアは意外と天然みたいなところもあるし……いや、あれは敵を欺くための演技だったっけ?)
もしかしたら、ただパジャマパーティーなのかもしれない。ヴィクトリアは孤高の人で、女友達がいなかったのだ。変に期待したら格好悪いことになりそうだ。落ち着いて気合を入れ直そう。
「よし」
私は扉の前に立ち、長く息を吐いてノックする。
返事が聞こえ、恐る恐るノブをまわす。扉が開いた先に待っていたのは眩いばかりの美少女だった。
「アマリア、いらっしゃい」
「ヴィクトリア、お邪魔するわ」
私はソワソワしたままヴィクトリアの部屋に足を踏み入れる。部屋には大きな天蓋つきの寝台、絨毯は彼女の瞳の色と同じ藍色だ。ヴィクトリアの夜着は上下に別れたラフなもので、少し意外だった。
「それで、お話って何かしら?」
「まぁ、座って頂戴。お茶を入れるわ」
「こんな時間に飲んだら眠れなくなっちゃうわ」
「そ、そうね……」
私がおどけるように笑うと、ヴィクトリアは頬を染めて黙ってしまう。
え、まさか寝ないような何かを自分とするつもりなのかと、私は動揺と期待に胸が高鳴ってしまった。ドキドキと心臓がうるさい。
(ええええ、ヴィ、ヴィクトリアと一夜を!? 共にしちゃうの!? 私!?)
私はヴィクトリアに勧められてアンティークチェアに腰を下ろす。ヴィクトリアが淹れてくれたお茶は華やかな香りがした。ヴィクトリアは私のすぐ横の席に座ると、チラリと視線だけで一度私を見て、目を逸してしまった。え、私何かした? 鼻息あらかったのだろうか? 興奮しているのがバレていたら相当恥ずかしい。
「ねぇ、アマリアは……私のことをどう思っているの?」
「え……」
「直球に聞いてしまうのも、恥ずかしいのだけれど……私のこと、愛してくれている?」
突然の質問に私はカァアアと顔が熱くなる。眼の前のヴィクトリアは手で胸を抑えて私をじっと見つめていた。その白い頬が先程よりずっと紅潮していて、私は耳まで熱くなる。
「も、勿論! 誰よりも……あい、してる!」
「アマリア……!! あぁ、嬉しい……!」
ヴィクトリアは目に涙を浮かべ、居ても立ってもいられないとばかりに私に抱きついてきた。ヴィクトリアの細い腕に収まると、彼女が愛用している香水がふわりと香って、心臓がドキドキと煩くなる。
「改めてありがとう。アマリアと一緒にいる時だけは、本当の自分でいられた。……ううん。もうこれからはずっと本当の自分でいられる」
「え!? ヴィクトリア!?」
ヴィクトリアはパジャマのボタンを一つ一つ丁寧にはずしていく。そこに現れたのは白い胸だ。私は大パニックである。お互いの気持ちを確認したばかりなのに、三段跳びで大人の階段を登ってしまう可能性が出てきた。私はアワアワと慌てて目を手で覆ったが、欲望に負けて指の間からしっかりと眺めてしまっていた。すごく見たい!!
(……あれ?)
しかし私はヴィクトリアの胸を見て違和感を覚えた。ヴィクトリアの胸がいつもより小さい気がする。いや、前から慎ましいなぁとは思っていた。でもちっぱいは正義だし需要あるし……と、あんまり気にせずいたのだ。しかし指の隙間から見える胸はちっぱいどころか無だ。板だ。胸板だ。
これではまるで……
「ありがとう、アマリア。私を、男に戻してくれて……」
「……は?」
パジャマを脱いだヴィクトリアの上半身は、腹筋が割れ、臍の位置が高かった。ボコリと首には突起が出ている。この瞬間、私の頭の中には凄まじい勢いで前世の記憶が飛び交った。
「じ……」
「アマリア? どうしたの?」
「じ、じ……」
「時事?」
「地雷だあああああああああああああ!!」
「ア、アマリア!?」
夜中だとわかっていても叫ばずにはいられなかった。
私はこの場面を知っている。ヴィクトリアの部屋で、主人公が衝撃の告白を受けるこのワンシーン。
(百合エンドは百合エンドだけど……!!!!)
確かに私が攻略したのは『百合エンディング』で間違いなかった。
しかしこの百合エンドは携帯ゲーム機に移植された際に改変されたものだ。
(気づかなかった!! ミニゲームも追加要素も何も無かったから気づかなかった!!!!!!)
続編は無理だと諦めていた中、声高らかに発表された移植版。新エンディング、機能、BGM、ミニゲームのも追加された豪華なもので、私は喜び勇んでソフトを予約した。店舗特典の中にヴィクトリア花嫁verのアクリルスタンドがつき、グッズ欲しさに5つも購入したのだ。
『え、な、何で……?』
しかし真っ先に攻略した百合エンドを見て、私は崩れ落ちた。死んだ。心が。
私が愛した百合エンドは主人公が添い遂げることを決めたヴィクトリアが実は男でしたという『どうしてそうなった?』感満載のエンディングに改変されていた。
あんまりな改変に某掲示板は荒れ狂い、沢山の百合好きとヴィクトリアクラスタがゲーム機を投げ捨てた。
『う、嘘だ……ヴィクトリア……』
画面ではヴィクトリアが『自分は男だ』と告白し、エンドロールが流れる。そして最後の最後で男に戻ったヴィクトリア、いや、ヴィンセントが、大きなお腹を撫でる主人公と笑顔で寄り添い「男でも女でも良い。でも私の子供はちゃんと本当の性別で育ってほしい」とおどけて終わった。
私はそのスチルを見てさらに死んだ。結婚して子供ができることが最も良いハッピーエンドだと思い込んでいるスタッフを呪った。到底受け入れられないエンディングに、私は荒れ、移植版は心の平穏のために無かったことにした。
……ということを、なぜこのタイミングで思い出してしまったのか!!??
「移植版だけは! 移植版だけは絶対にいやああああああ――!!」
「アマリア落ち着いて!」
「ぎゃあああああ!!」
「ア、アマリア!?」
私はヴィクトリアを押しのけて自室へと猛ダッシュした。後ろからヴィクトリアもどきの声がしたが無視して速攻部屋に戻って鍵をかけ、テーブルを引きずって扉を塞ぎ、耳も塞いだ。何も聞こえない。知らない。これは夢なのだ。そうに違いない。
***
ヴィクトリア・ハーディング改め、ヴィンセント・ハーディングは朝から頭を抱えていた。予想外の展開に、結局一睡も迎えず迎えた朝、太陽が目に痛い。ついでに頭も痛い。
「それで逃げ出されたのか! 折角の初夜を!」
「うるさい」
「これが笑わずにいられるかよ! 至急来いって電報がきたから早馬走らせてみればこの報告! 最高すぎるだろう! あれだけ準備しておいて……! ヒィ――!! 腹が痛いっ!!」
ヴィンセントの目前で大笑いしているのは異母兄弟である王太子、ラッセル・フリューゲルだ。赤髪に精悍な顔つきの美青年はヴィンセントと並んでもあまり兄弟には見えない。ラッセルもヴィンセントも母親似なのだ。
「夜通し説得しようとしたが無理だった。返事すらしてもらえない」
「振られたのか~~ご愁傷さまだな~~」
「でも一度は愛していると言ってくれたんだ……!!」
アマリアは兄以外で初めてヴィンセントが認めた人物だった。努力家で、なんでもできるヴィンセントに食らいついてくるところが好きだった。ヴィンセントの成績を超えても「光栄です」と慎ましく返事をする謙虚な姿勢も好しい。
彼女に惹かれるようになって、女の格好で並ぶ自分がどれほど嫌だったことか……。兄や友人達のように、異性として見てもらえることが羨ましく、悔しかった。だからアマリアが他の異性ではなく、自分を選んでくれたことは不遇だったヴィンセントの人生で最も幸運なことだと思っていた。
「彼女、本当に私を女性だと疑っていなかったのだろうか……」
「あいつ女性愛者だったのか?」
「いや、そんなことはないと……」
「思いたいわけか」
「……」
ラッセルの言葉にヴィンセントは黙り込んだ。
ヴィンセントはアマリアがラッセルや他の友人達の言葉に頬を染めているのを見たことがある。だから彼女を異性愛者だと思っていた。その上でヴィクトリアと一緒に生きることを選んでくれたのだとすれば、諸手を挙げて本来の性別を喜んでくれると思っていた。しかし結果はこのとおりだ。
逃げ出され、部屋には入れてもらえず、説得も聞き入れられず無視され、挙げ句に執事長のキースから「アマリア様に馬車を準備するよう頼まれております。多分お国にお帰りになるつもりかと……」と聞かされて失神しそうになった。今は馬車の準備が遅れていることにして時間を稼いでいるが、引き止める術がまるで思い浮かばない。
「今更女性愛者だと言われても、私は彼女のご両親にもう結婚の許しも頂いている」
「まずアマリアに許可を貰うべきだったな」
「……それは反省している」
アマリアには男だと告白した後でプロポーズする予定だった。ベッドで愛を確かめ、寝ているアマリアの指にこっそり指輪をつけておこうと思ったのだ。なんて陳腐なことを考えたのかとヴィンセントは痛むコメカミを押さえる。恋に浮かされて馬鹿になっていたとしか思えない。
「どうすれば良いんだ……」
「まだ公に発表してないんだし、諦めれば良いんじゃないか?」
「諦める!? 彼女を損得で考えるお前達に誰がやるものかッッ!!」
「ヴィクトリア、そんな怖い顔をしては折角の美人が台無しだぞ?」
「私はヴィンセントだ!!」
現在のヴィンセントはドレスではなく、黒いスラックスにシャツというシンプルな格好をしている。その姿に女性らしさは殆ど無く、青年然としていた。元々成長期がきて、女装も厳しくなっていたのだ。卒業前は化粧で何とか誤魔化していたが、そろそろ限界だ。喉仏も大きく突出していて、リボンやチョーカーがないと隠せなくなっていた。
「うーん。まぁ、お前が俺に悩みを吐露するなんて珍しいし、一つアドバイスでもしてやろうか」
「嫌な予感がするが聞くだけ聞こう」
ラッセルはニヤニヤと笑いながらヴィンセントに耳打ちをする。ヴィンセントの眉間の皺は時間が経つにつれどんどん深まり、しまいには不愉快を隠さぬ険しい顔になった。
「……ぐらいすれば許してもらえるだろ。まだ直してないから少し大きいんだろうし、いけるいける!」
「よし、ラッセル。貴様を殺す」
ヴィンセントはラッセルの襟を掴んで拳を振り上げた。ヴィンセントの腕はラッセルより一回り細いものの、筋肉が付き始めているので攻撃力もそれなりだ。ただでは済むまい。
「おいおいおいっ!? シャレにならんぞっ!?」
「その口を永遠にきけぬようにしてくれる!」
「まぁまぁまぁ、騙されたと思って!!」
「私は貴様を信用しない!!!!」
「……俺おまえの兄兼王太子なんだけど」
ラッセルは昔から王太子とも思えないほど気さくな性格で、幼少時は(仮初めの)婚約者だったヴィンセントを連れ回して悪戯ばかりしていた。信用など4割くらいしかできない。
しかし残り6割を捨て置けないのが困る。ラッセルは昔から人を見る目があり、優秀で柔らかい頭脳を持っていた。突飛とも思える意見を出し、それが功を奏すことも多々あったのだ。
(だがさっきの意見を実施するのは……)
ラッセルのアドバイスを取り入れるのであれば、ヴィンセントが取り戻したものをもう一度失う上に精神に多大なダメージを負うことになる。しかもヴィンセントがアマリアのために準備したプレゼントが最悪の形で水泡に帰すことになるのだ。よっぽどの非常事態じゃなければアドバイスを取り入れたくない。
「だ、旦那様!」
「どうした?」
慌てて部屋に駆け込んできたメイドに、ヴィンセントは眉を顰める。この屋敷のメイドで、ノックもせずに部屋に入るような無礼者は雇っていない。であれば、ノックを忘れるほどの非常事態が起こったのだ。
「奥様が! 馬車が用意できないなら歩いて帰ると仰っていて……!」
「歩いて帰るって……彼女は本気か……?」
隣国まで山を一つどころか三つは越えなければならない。多分実際は歩ける大きな街まで移動して馬車を借りるつもりだろう。アマリアはそこまで無知じゃない。
「お、どうやら非常事態みたいだなヴィンセント!」
「……眩暈がしそうだ」
ヴィンセントは白い額を抑える。取り入れたくない兄のアドバイスが頭を過った。
***
早朝、私は現実逃避を止めて実家に帰る準備をしていた。ヴィクトリアなら何でも許すと言ったな。あれは嘘だ。ヴィンセントは許さん。
「ちょっと気後れはするけど仕方ないわよね」
両親には涙を浮かべて見送られてしまったのに、早々に帰宅することになってしまった。ちょっと帰りにくいが、事情を話せばわかってもらえるだろう。夫でもない異性の家に、娘を置いておきたい親などいないはずだ。
コンコン
硬質な音が窓から聞こえ、振り向けば見たことのある赤髪の青年が窓枠にぶら下がりながら手を振っていた。ここ3階なんだけど……。私は溜息をつきながら窓に近寄り、鍵をあける。
「よっ! 元気かアマリア」
「ラッセル様……」
「様なんて要らないだろ。公の場じゃないんだから」
ラッセルと呼ばれた青年は、何のためらいもなく部屋に入ってきた。彼は『黄昏の月』の攻略対象の一人である王太子だ。一国の未来を担う存在のくせに何をやっているのか、とも思ったが、彼がこうやって自由気ままに遊びに来ることはよくあった。もしくは妹……弟の様子を見に来たのだろう。
「……ラッセル、窓から入ってくるのはやめてください」
「悪い悪い。アマリアの部屋はもう簡単に入れてもらえないからな」
「え? あぁ、もう寮じゃないですからね」
「いや――……それだけじゃないんだけどな……」
「?」
私は言葉を濁すラッセルに首を傾げながらも追求はしなかった。今はとにかく帰る準備をしないと。馬車の準備が遅すぎるので、メイドには歩いてでもこの屋敷を出ると伝えていたのだが、ラッセルが来ているなら馬車があるはずだ。私が馬車を借りられるところまで乗せて貰えるかもしれない。地獄に仏とはまさにこのことである。
「ところでアマリア、何やってるのか聞いていいか?」
「実家に帰る準備です。ヴィクトリア、私に女だと嘘をついていたんです。耐えられません」
「お前、女性愛者だったのか?」
「……女性が好きかと言われれば微妙ですね。私は好きになった人が好きなんです」
「じゃあ良いだろう。性別くらい。嘘は嘘でも仕方がない嘘だったんだから、見逃してやれよ。ヴィンセントは男だけど美女と見紛うくらい美人だし、子供だって作れるだろう?」
「性別!? くらい!?」
「お、おぉ……なんかごめん……」
私がものすごい剣幕だったせいか、ラッセルは肩をすくめ、ドン引きながら小声で謝罪する。
「まぁ、今の暴言に関しては許して差し上げます。その代り貴方の馬車に乗せてください」
「お前本当に帰る気か?」
「勿論。はい、この荷物を持ってくださいね」
「……おいおい。俺は王太子だぞ?」
「そうですね。そして私達は友人です。友人が困っていたら助けるものです」
私は問答無用でラッセルに大きなトランクを2つ渡した。私は一つ。計3つのトランクが帰宅用の荷物だ。残りはいずれ送ってもらおう。着払いってこの世界にあっただろうか? 最悪諦めることも考えよう。
私は部屋を出て玄関に向かう。メイドの女性達がおろおろしていて申し訳ないが、今回に限っては時間がないのでスルーさせてもらうしかない。もたもたしてヴィンセントがやって来たら困る。彼の顔を見て、悪態をつかない自信がない。
「なぁ、アマリア」
玄関の扉の前、私を通せんぼするようにラッセルが立ち塞がった。ラッセルはどちらの味方なのか、と私は非難するように彼を睨む。
「何ですか?」
「さっきも言ったが、嘘をついていたのは事情があるんだ。あいつは第二王子で、命を狙われていた。女なら王位は継げないし、陛下の子供だとバレても殺される可能性は低くなるだろう?」
「わかっています。でも嫌なんです。私が愛しているのはヴィクトリアであってヴィンセントじゃない。急に推しが男性化する二次創作のような話を公式だと言われたファンの気持ちなんて、ラッセルには絶対わかりません」
「……既に言ってる意味が全然わからないな」
ラッセルは私の発言が理解できず苦笑いしていた。美形王子にオタクの気持ちなどわかるまい。
「アマリア!!」
「!」
もたもたしていたら聞きたくない声が背後から聞こえた。その声はヴィクトリアよりも少し低い。あぁ、そうか。とっくに声変わりしていたのに無理をしていたんだなと気付いて胸が痛む。ヴィクトリアはとっくにいなくなってしまっていたのだ。
私は苦々しい気持ちのまま振り返る。その視線の先に見えたものに、口を大きく開いて固まってしまった。
「ヴィク……ヴィンセント……その格好……」
ヒュ~、とラッセルが茶化すように口笛を鳴らす。まわりにいるメイド達は頬を染めながら口を抑え、キースは頭を抱えていた。
「引き止めるのが遅くなってごめんなさい。ドレスを着るのに、手間取ってしまって……」
私達の目の前には、美しい花嫁が立っていた。
体にぴったりとしたマーメイドラインのドレス。裾には繊細かつ綺羅びやかなレースが大胆にあしらわれている。その姿は店舗特典のアクリルスタンドになっていた花嫁verのヴィクトリアと全く同じだ。
(ずっと、ずっと生で見たかったヴィクトリアの花嫁姿……!!)
最悪だった移植版ソフトはすぐに手放したが、特典のアクリルスタンドだけは捨てられなかった。
移植版では男に戻り、新郎として結婚式を挙げていたはずのヴィクトリア。しかしアクリルスタンドは花嫁姿だ。移植版じゃない百合エンドの未来に、このヴィクトリアがいたかもしれないと思うと、手放せなかった。
「お願い行かないで……貴方に捨てられてしまったら、私……」
「ヴィクトリア……」
「アマリアお願い……私は貴方を愛しているわ。少しでもまだ私を愛してくれているのなら、行かないで……!」
花嫁姿のヴィクトリアが駆け出して、私を力強く抱きしめる。高いヒールを履いているせいか、身長差がさらに増え、私の顔はドレスの胸元にあるリボンに埋もれてしまった。
(おおおおおお推しが……尊いいいいいい……!!)
私の頭はすっかり目の前の『ヴィンセント』を『ヴィクトリア』と認識してしまっていた。推しが私を抱きしめていると思うだけで脳が茹だって死にそうになる。鼻血が出そうだが、白いドレスを汚してなるものかと歯を食いしばった。
「なぁアマリア、ここの領地はごたごたがあって安定していない。全部じゃなくても良いからヴィン……じゃなかった。ヴィクトリアを手伝ってやれないか?」
「……で、でも」
「アマリア。貴方が望むなら私ずっとドレスのままでいてもいいわ。でもそうなったら、何も知らない男達にまとわりつかれてしまうでしょうね。情けないけれど、それが少し怖いの」
ヴィクトリアは私から少し離れて、唇を噛みしめていた。気高く、怖いものなど何もなさそうなヴィクトリアが怯えていると思うと、新たな扉を開いたような気持ちになった。守りたい、この美少女。
「た、確かにそうだわ! こんな可愛いヴィクトリア! 襲ってくれと言っているようなものだもの!!」
「……そうね。えぇ本当にそう。怖いわーすごく怖くてたまらないわー」
「おいヴィクトリア、頑張れ。顔がひきつってんぞ」
「……うるさい」
私は二人のじゃれ合いなど耳に入れず、ヴィクトリアにちょっかいをかけるであろう男達を想像して戦々恐々としていた。ヴィクトリアの言う通り、女神の如く美しいヴィクトリアに求婚しない男なんているはずがない。ラッセルだって血がつながってさえいなければ今ここでヴィクトリアに膝をついていたはずである。
「それに、早く領地をなんとかしないといけないものね! 私、頑張るわヴィクトリア!」
「アマリアッ……! 大好きよ!」
「はうっ!!」
ヴィクトリアは嬉しそうに私の目尻に唇を落とした。一瞬見えた輝かんばかりの無邪気な笑顔に、魂を持っていかれそうになった。大丈夫? 私生きている?
「ぶは、ぶはははっ!! 襲われるって……!! 冷徹のヴィンセントがっ!! ……ヒッ!」
何がおかしいのかわからないが、ラッセルの盛大な笑い声が背中越しに聞こえる。しかし小さな悲鳴が聞こえたかと思うと急にシンと静かになった。振り返ればラッセルは顔を真っ青にして固まっている。
「ねぇ、アマリア。昨日のことはごめんなさい。これお詫びなのだけれど、受け取ってくれる? お揃いの指輪なの」
「え……」
ヴィクトリアは私の指に銀色の指輪を嵌めてくれた。ぴったりと私の薬指に馴染んだ指輪には、深い青のサファイアが輝いている。ヴィクトリアの指にも同じデザインの指輪があったが、宝石はサファイアではなくエメラルドだ。お互いの瞳の色だと気付き、頬が熱くなる。
「シンプルだから何にでも合わせられるでしょ?」
「そ、そうね……」
「ふふ、お揃いね。アマリア」
少し恥じらうように笑うヴィクトリアに、私の頭は真っ白になった。女神を超越しつつある推しが尊すぎる。少し胸に違和感というか、ひっかかりを覚えるけれど、ヴィクトリアに幸せになってもらいたい気持ちはあった。そうだ。その第一歩として、領地が安定するまで彼女を支えれば良い。そこから折り合いのつく関係を探すのも悪くないと思えた。
「そうやって指輪渡すのか……ゴリ押しだな……」
「ん? ラッセルどうかしたの?」
「……兄上、何か気になることでも?」
「い、いや……何でも無い……こえぇ……もう余計なこと言わないから睨むなよ寿命縮まるだろ……!!」
「睨む?」
私が振り返ると同時に、ヴィクトリアもキョロキョロと頭を動かして何かを探し始めた。まわりにいるメイド達は頭に?を浮かべている。当たり前だが、王太子であるラッセルを睨んでいる人間なんていない。さらに詳しく聞こうとラッセルを見れば、顔色が病人のように悪くなっていた。
「ラ、ラッセル大丈夫? 顔が真っ青通り越して白いけど……」
「だ、大丈夫だすまん……本当にすまん……」
「いや、大丈夫なら謝らなくても良いけど……」
「いや謝らせてくれアマリア……逃してやれなくてすまん……」
「逃す??」
ラッセルはなぜか私にひたすら謝っているが、心当たりがない。どうしたものかとヴィクトリアを見上げれば、手を握られ、華やかな微笑みを向けられた。
「アマリア大好きよ。もう逃してあげないんだから」
「はうあっ……!!!」
冗談を恥ずかしがりながら言う推しが尊い。
私は心臓を抑えて呻き、ラッセルのことなどもはやどうでも良くなったのであった。
……よって、その言葉が冗談ではなかったことに、悩殺された私が気付くわけもなく。結局私がヴィンセントの本気に気付くことができたのは、彼から逃げる気も失せた頃であった。
領地であったごたごたの件は、犯人がヴィンセントの義父(公爵)であり、悪事を働いていたせいです。
ヴィンセントはその後も惚れた弱みで女装を続けたため、女性よりも男性にモテるようになりました。
閲覧ありがとうございました。