レアル・アゴリー、二人の出会い。
大体三年前だか四年前の話になる。
オレたちの最初の出会いは、夕陽の差し込む寮の一室だった。
「は、初めまして。魔導科のシアン・ソフィアって言います」
「おう。精霊科のレアル・アゴリーだ」
不安げな目でオレを見つめている、青髪ツインテールの女の子は、如何にも人見知りといった感じだった。
なんつーかこう、オレの機嫌を伺っているというか。
あー……。
違うな、こりゃ。
「そんな身構えなくていーぜ。気軽にレアルって呼んでくれればいいから」
同い年だけど、この部屋としてはオレのほうが先輩になる。
そもそも科が違えば寮も違う。だから本来、一般的な魔法を学ぶ魔導科であるこいつがオレと同じ部屋になることなんて、有り得ないことだった。
でも、オレだってシアン・ソフィアの噂くらいは聞いたことがある。
ここ一、二年で瞬く間に頭角を現した冒険者――プリム・ソフィアの妹が、魔法学院に通っている。
そして、プリム・ソフィアの妹とは思えないくらい、魔法の才能がないと。
だからこいつは、悪い意味で有名な奴だ。
とはいえオレはそんなことに興味がない。魔法学院に入った以上は才能の有無なんて関係ない。
自分が学びたいから、そうでなくても目的があるからこそ、ここに来たんだ。
才能がない。実力がない。だったら別の方向性が見つかるかもしれない。
オレは精霊を呼び出せるから精霊科に入った。それが、自分に向いてると思っているから。
だからこいつも、自分にあった道を見つければいいんだと思う。
「よ、よろしく……」
シアンはびくびくしながら、二段ベッドの上に昇っていく。下のベッドはオレの私物が散乱しているから、自然と自分が上だと判断したのだろう。
机からシアンの様子をうかがっていると、ベッドに昇ったシアンは結局そのまま降りてこない。もぞもぞと物音だけは聞こえるから、布団にくるまっているのだろう。
……まだ夕飯も終わってないのに?
ま、まあ人にはなにかしらの事情があるだろうし、布団に包まるのが好きって奴もいるのかもしれない。
だからオレも気にすることなく、やりかけのレポートに視線を落とす。
『自然界における精霊の存在証明について』
……兄貴すまん。オレはSランク兄貴の妹だって胸を張りたいが、こんな難しいタイトル自体が理解出来ない!
なんだよ証明って。そこにいるからいるもんだ。証明するとかしないとか関係ないだろ!?
シアンを気遣って、声を上げることだけは止めておく。代わりにクシャクシャと髪を掻く。
くっそー。でもこのレポート仕上げない限り単位貰えないしなぁ。
「くっそー……」
おっと、ついぽろりと口から漏れてしま――。
「……」
「うおっ!?」
必死に頭から文章をひねり出して唸っていたら、ベッドの上からシアンが覗き込んでいた。
「び、びっくりしたぞ」
「ご、ごめんなさい。でも、それ……」
「精霊に興味あるのか?」
シアンの視線はオレを越えて机の上に広がっている精霊科の教材に向けられていた。
精霊科の授業は、魔導科よりももっと難しい。
実技は余裕なんだけど、オレなんか頭が悪い所為で座学には付いていくのも厳しいくらいだ。
「精霊は、魔力を乗せた言霊に反応する。目には見えないけど、魔力を通して訴えると反応してくれる。だから、その……魔力を通して存在を証明することは、できるんじゃないかな」
「……お、おう」
おっかなびっくりといった表情のソフィアは、呆気に取られているオレの表情を伺っている。
しまった。失敗した――そんな顔をしながら。
「お前、凄いな」
「……え」
「うん、うん。そうだよな。精霊魔法っていつもそう使ってたし。なんでオレそれに気付かなかったんだろうなーっ!」
理屈を説明して貰えばあとは難しいけど簡単だ。拙い文章だけどレポートの完成に一役買ってくれた。
文章を必死にひねり出しながら、レポートを進めていく。そこまで数は求められていないから、ソフィアのその理屈があれば通るだろう。
「そこ、表現が違う」
「えっ」
ソフィアに指摘された所を見直して、慌てて修正する。
……こいつ、本当に落ちこぼれか?
なんで自分の学ばない分野について、しっかり説明できるんだ?
オレなんか普通の魔導科の授業にだってついていける自信ないぞ。
「そこは、もうちょっと精霊に語りかける部分を強調した方が良いと思う。精霊科の先生は……その、意識が強いから」
「ああ、そうだな。オレもそう思う」
うん、やっぱりだ。
こいつは、オレが精霊科だから怯えてる。
精霊科は、エリート気質が非常に強くて、他の科を見下してる傾向がある。
だからオレが素直にソフィアを褒めて、目を丸くしていた。
「ソフィア、お前凄いなぁ」
「え、え、え」
「普通は使わない分野の知識まで学んでるんだろ?」
「う、うん。魔法に関わることなら、なんでも覚えておこうと思って」
「すげぇ。お前の情熱すげえじゃん」
純粋に、尊敬する。
オレなんか感覚で魔法を使ってるタイプは、どうしても魔法を理屈では考えられない。
風と水の精霊に問いかけて、出来ることをしてもらう。
精霊科で学んでいるのは、その『出来ること』の分野を広げることだけだ。
だから座学は本当に苦手だし、必要ないと思ったから学ぶ気も全然ない。
「す、凄くないよ。ワタシなんか魔法が上手く使えないし、お姉ちゃんとも違うから――」
「あぁ? お前の姉さんなんて関係ないだろ」
「え……」
「お前が魔法を学んで、その知識を蓄える。オレが凄いと思ったのはそこだ。お前の姉さんなんて知らない人間のことは知らん」
「…………っ」
ソフィアが、息を呑んだ。
多分こいつは、自分自身を姉と比べて自己評価がまともに出来ないんだ。
姉なんて自分には関係ないのに。
オレだって兄貴がすげー冒険者してるし、比べられることもあるけど。
「だからシアン・ソフィア。『オレ』は『お前』が凄いと思ってる」
「あ、ありがと……」
「で、そのですねーソフィアさん」
「は、はい」
未だにベッドの上からオレを見下ろしてくるシアンに向けて、精霊科の資料を広げてみせる。
「よければもうちょっと、オレの座学手伝ってくれないか? ぜんっぜん座学ダメでよ……」
「……っぷ。あはは。なんなの、それ。精霊科のくせに」
「なんだよ。精霊科がみんなエリート集団なんて思うなよ。実技は完璧だけど座学は本当にダメなんだぞ」
「あはは。……はい。ワタシでよければ、お手伝いします」
にっこりと、ソフィアが笑顔を浮かべた。
その笑顔を見て、心臓がドクンと跳ねた。
……やべ。こいつ、笑うとめっちゃ可愛い。
落ち込んでる顔なんか全く似合わない。
笑顔でいて欲しい。こいつの笑顔を、もっと見たい。
「シアン、って呼んで良いか?」
「え、あ……は、はい。その……よろしく。レアル」
「おお。よろしくな、シアン!」
降りてきたシアンと握手を交わして、机を並べる。
シアンの教え方は非常に丁寧で、オレでもわかるくらい細かく説明してくれる。
なんだよこいつ。なんで先生より分かりやすく説明できるんだよ。もういっそオレ専属の教師にでもなってくれればいいのに。
――そんなことを考えながら、たまに慌てふためくシアンの表情を楽しむのが、オレの日課になっていた。
少しの時間が流れて、オレは精霊科の主席になれた。それもこれも、全部シアンのおかげだ。
シアンはシアンで、魔導科の成績は相変わらず酷かったようだけど……オレはわかっている。シアンはシアンで、花開く分野が必ずあるって。
それまでは、オレが守るって、決めたんだ。
でも、精霊科の実技演習……一ヶ月の長期課外実習を終えて帰ってきた時には、シアンは学院から姿を消していた。
教師にも、魔導科の生徒にも声を掛けて事情を調べようとした。
正確な答えは得られなかった。
でも、少なくとも――家の事情ではないことだけは、問いただした生徒の反応から、察してはいた。
守りたかった。シアンの笑顔を、守りたかった。
……守れなかった。
………
……
…
「そんでもってお兄ちゃんに泣きついてきた可愛いレアルはどこに行ったのかなぁ!」
「うっせーぞ馬鹿兄貴!」
洞窟を奥へと進みながら、兄貴は何度もオレをからかってくる。
くそ、プリムさんみたいに甘やかしてくれる兄妹がオレも欲しかったよ!
「魔石は見つからないしゴブリンたちに異変が起きてるようだし。どうせ負ける勝負だ。せめて冒険者としての仕事だけでもしないと馬鹿にされちまうな」
思い出話に花を咲かせながら、異変に気付いた兄貴は魔石採掘を諦めて解決の為に歩き出していた。
こういう切り替えするところは、真面目な冒険者なんだよなぁ。
「レアル、なんなら戻るか?」
「ッハ。兄貴を放っておいたら危なっかしくてヒヤヒヤするよ。仕方ねーからオレが見守っててやるよ」
「おぉ。それはマジで助かるな。レアルが見守ってくれるなら兄ちゃん百倍だ」
「ばーか」
くすくすと笑いながら、洞窟の奥へと進んでいく。
何が起きているかはわからない。もしかしたら、誘いの峡谷みたいなことが起きているかもしれない。
大丈夫だ。シアンのほうにはプリムさんがいる。あの人がいるなら、安心できる。
…………オレが、守りたかったんだけどな。




