お姉ちゃん、精霊より凄かった。
「わ。本当に霧が濃い……」
誘いの峡谷に一歩踏み入れば、あっという間に視界が霧に閉ざされた。
一メートル先も見えない霧は、しっかりと傍にいないと途端に皆と離ればなれになってしまいそうだ。
ワタシは馬車の中から、左右を守ってるお姉ちゃんとレアルを見守る。
「霧なら、オレに任せてくれ」
シャン、と音を鳴らしながら、レアルが袖口から鈴を取り出す。
精霊科の魔法使いに支給される、精霊へ呼び掛ける鈴だ。
「水の精霊ウンディーネ。風の精霊シルフに呼び掛ける」
鈴の音を鳴らしながら、レアルがその場でくるりと一回転する。
ふわりと舞い上がるスカート。緩やかな風が、マントを持ち上げた。
「水と風に命じる。この霧を、晴らせ」
ビュウ、と一際強い風が吹く。濃霧はたちまちかき消されていき、すぐに視界が取り戻された。
が、それもワタシたちの進行ルート上だけだ。
霧の一部は残っている。十分と言えば十分だが、魔物からの奇襲を考えると少し不安が残る。
「まあ、こんなところだろ」
「ねえねえレアルちゃん。今のが精霊魔法なんだよね?」
簡単にやってのけたレアルに、お姉ちゃんが食いついた。
精霊科――所謂精霊使い、は冒険者の中でも珍しい。
だからこそお姉ちゃんは、レアルがやったことに興味津々なのだろう。
「ええ。オレはウンディーネとシルフ……水と風の精霊を使役することが出来るので」
「ふむふむ……」
精霊魔法は、普通の魔法とは少し方向性が違う。
魔法は魔力を使うことで、特定の現象を発生させる。
でも、精霊魔法は違う。
精霊魔法は一定の魔力を使って、精霊を呼び出す魔法だ。
そしてその精霊によって、魔法のような現象を発生させる。
レアルが今やったのは、水の精霊であるウンディーネと風の精霊・シルフに命じて、霧を吹き飛ばした。
一見簡単に見えるけど、そもそも前提が違うのだ。
精霊は、本来見ることが出来ない。
でも、世界中のどこにでもいる、幻のような存在だ。
レアルのような、特別な魔法使いは、精霊に語りかけることが出来る稀少な存在だ。
精霊に出来ることならば、魔法使いよりも優れたことを実行できる。
そんなレアスキル持ちが集まったのが、精霊科だ。
「ふむふむふむふむ」
あ、これお姉ちゃんの面倒くさいパターンだ。
顎に手を当てて考えているお姉ちゃんは、思いついたとばかりに右手をまだ残っている霧に向けた。
「ウインド・フォール!」
お姉ちゃんが魔法を叫んだその瞬間、右手から暴風が放たれた。
風は霧にぶつかって、器用に霧だけを散らして見せた。
「うんうん。水の魔法で霧の水分を操って、風の魔法で一気に吹き飛ばせばいいんだね~」
お姉ちゃんは実に簡単にやってのけた。
……いやいや、簡単にやってるけどさぁ。
「お姉ちゃん、その気になれば雨とかも吹き飛ばせるんじゃない……?」
「うん。この魔法なら出来ると思うよ~。雨雲をどかーん! って吹き飛ばせば良いんだしね~」
自分で水を操る魔法なら理屈はわかるけど、霧などの自然現象はあまりにも範囲が広すぎる。
だから本来天候といったものは魔法でも変えようがない。
精霊魔法なら、天候の操作も可能だとも言われている。
それを、精霊に頼らずに成功させた。
「……なぁ、シアン」
レアルもさすがに口をぽかーんと開けて呆けている。
……うん。無理もないよ。
「お前の姉さん、まじで規格外だな」
「あはは。お姉ちゃんだからね」
「これがSSSランク、か。すげーな」
呆れつつ、お姉ちゃんを賞賛するレアル。
自分にしか出来ないと思っていたことを目の前でやられた割には、あっさりとお姉ちゃんを認めている。
こういう器の大きさというか、自分の出来ることを把握して、他の人の秀でてる部分を認められるのは、レアルの長所だ。
「霧も晴れたし、行こっか」
「うん」
「ああ」
お姉ちゃんが先導して、ファルシオンが後を追う。
レアルは御者台に座り、ワタシは馬車の中から二人と一頭の背中を見守る。
さすがにお姉ちゃんもレアルも周囲を警戒しているからか、口数は少ない。
ワタシに出来ることは、足手纏いにならないこと。
それくらいなら、ワタシにもまあ、出来るだろう。
「なあ、シアン」
「んー?」
こちらに視線を向けることなく、レアルが話しかけてきた。
顔を出せば、横顔くらいはなんとなく見える。
真面目な表情のレアルだ。試験の前によく見た顔だなー。
「何があっても、お前はオレが守るからな」
「へ?」
「今度こそ、だ」
「う、うん」
強い決意を思わせる言葉に、ワタシは思わず頷いてしまった。
へへっ、とこちらを振り向いてレアルが微笑んだ。
笑った顔は子供っぽくて可愛いんだよなー。と、しみじみ感じてしまう。
「じー」
「ひぇっ」
「ど、どうかしたんですか?」
気付けばお姉ちゃんがワタシとレアルを食い入るように見つめていた。
若干睨んでいるようにも見えるけど、ジト目で睨まれても可愛いだけだ。
「シアちゃんはお姉ちゃんが守るから、レアルちゃんには頼りません!」
ぷんすかと怒りながら、お姉ちゃんはそんなことを言いだしてくる。
いやまあ、確かにワタシもお姉ちゃんに守って貰う、って意識だけど。
「でも、プリムさんにはレッドドラゴンもどきの相手に集中して欲しいんですよ。だから、シアンはオレが守りますよ」
「い~のっ! シアちゃんはお姉ちゃんが守ります! ついでにレアルちゃんも守っちゃうから! ぜ~んぶ、お姉ちゃんに任せなさいっ」
「う、うす」
あまりの迫力にレアルは頷くことしか出来なかった。
何を張り合っているんだろう。ワタシとしては守って貰えるのは嬉しいし、お姉ちゃんが攻撃に専念してくれればそれだけ危険の排除も早いから良いことづくめなんだけど。
「お前の姉さん、独占欲すげーな」
「……独占欲?」
言われてみればそうかもしれない。
でも、お姉ちゃんがワタシに向けている愛情はあくまで家族愛だろう。
お父さんもお母さんも死んでしまって、残った二人だから。
ワタシがお姉ちゃんに求めているのは、それよりもさらに向こう側の感情だけど。
「シスコン姉妹」
「う……。れ、レアルだってよくお兄さんの自慢してたじゃないかっ」
「う」
寮の二段ベッドでは、ワタシが下、レアルが上を使っていた。
レアルは寝付きが悪い時はいつもワタシに兄――ルイスさんの自慢ばかりしていた。
こんな魔物を倒したとか、どういうクエストをクリアした、とか。
張り合ってお姉ちゃん自慢をしたこともあるけど、それでもレアルの兄自慢の方が多かったくらいだ。
「ブラコンレアル」
「し、仕方ないだろ。Sランクの兄貴が悪いっ」
「えー。本当にー?」
「ぐぬぬ」
クスクスとレアルと笑い合う。
うん、なんだかんだぎこちなかったけど、もう完全に繋がりは復活した。
お互いに足りない部分を補って、二人で兄姉の自慢をする。
ワタシたちの、いつもの光景だ。
「シアちゃんもレアルちゃんもいいないいないいないいないいないいな……――二人とも警戒して!」
和気藹々としている時間を、お姉ちゃんの緊迫した声が引き裂いた。
正面に視線を向ければ、遠くから霧が一斉に広がってくる。
すぐにお姉ちゃんとレアルが霧を晴らす。
晴らした先に――そいつは、いた。
それは確かに、レアルの言うとおりの存在だ。
レッドドラゴンの胴体と頭部。
大地を踏み締めるオーガのたくましい二足。
そして、尾にはベノムスネークが霧を吐いている。
あまりに異形。
レッドドラゴンが大半を占めているからこそ、気味の悪さは抑えられているけれど。
「……本当に、いやがった」
「希少種より、確かに強そうだね」
御者台からレアルが忌々しげにレッドドラゴンのようなものを睨み、お姉ちゃんはファルシオンごと馬車を守るように立っている。
ワタシは邪魔にならないように、馬車の中からそいつをじっくりと観察する。
レッドドラゴンと、オーガと、ベノムスネーク。
異なる三種類の魔物が混ざったような、異形の魔物。
「……キメラ」
『俺』の中の記憶が蘇る。
前世でいろんなゲーム、ラノベを読んでいた中に、ああいう混ざった魔物を示す言葉があった。
それは前世では、獅子の胴体にヘビの尾をもつ生物だったけど――まさに、合成獣と呼ぶに相応しい存在だろう。
「キメラ、ね。いい俗称だと思うよ」
「気を付けてくれ。こいつ……キメラは、口から酸を吐くって、兄貴から聞いた」
レアルの忠告を聞いて、お姉ちゃんは身構えた。
「ギャアアオオオオオオオオッ!」
キメラの咆哮を合図にして、お姉ちゃんは一気にキメラへ肉薄する――!




