お姉ちゃんの寝顔を堪能。
窓から差し込む日差しが、ゆっくりとワタシの覚醒を促してくる。
暖かいお布団と、暖かいなにかを抱き締めながら眠っていたワタシは、ぼんやりとした意識で意識を取り戻す。
「……っ!」
ぼんやりとした意識が、すぐに覚醒した。
目の前に女神が寝ていた。いや違う。聖母だ! 違う、お姉ちゃんだ!
お姉ちゃんがワタシの目の前ですぅすぅ、と穏やかな寝息を立てて眠っている。
驚いて身体を起こそうとしたが、お姉ちゃんが起きてしまうと慌てて身体を硬直させる。
「あ、そうか。一緒に寝たんだった」
寝る前の最後の光景を思い出す。
お姉ちゃんを押し倒して、王都まではお姉ちゃんを独占するって宣言して、お姉ちゃんを抱き締めて。
「~~~っ」
なにを。
なにをしているんだ、ワタシは!?
ああもう恥ずかしい! お姉ちゃんを独占したいって気持ちは本当だけど、どうしてそれをこんなタイミングで言うかなぁ!?
王都に行くまでにもっとメロメロにさせるとか、決意を再確認したのはいいんだけどさあ!
これじゃお姉ちゃんにワタシの気持ちバレバレじゃん! 王都に到着する前にお姉ちゃんに嫌われたらどうするのさ!
「うぐぐぐぐ……っ」
言ってしまったのはもう取り消せない。
腹を括るしかない。
お姉ちゃんを、とにかくメロメロにさせる。お姉ちゃんを攻略してみせる。
その手段は……まだ詳しく考えてないけど。
で、でもお姉ちゃんは家事全般をワタシに任せている。
いくらスキルは優れていても、経験に勝るものはない!
そう、だからしばらくは家事をこなせるアピールだ。
そうすればお姉ちゃんはワタシなしではいられなくなるはずだ!
……でもここはユリアルの屋敷だ。
客人として迎えられている以上、ワタシが家事をやろうとすれば当然メイドさんたちに止められてしまう。
彼女たちの仕事を奪わないためにも、ワタシは必要以上に出しゃばってはいけない。
うぐぅ。
「くぅ……くぅ……。えへへ。シアちゃ~ん」
「わぷっ」
お姉ちゃんがワタシの名前を呼びながら、ぎゅ、って抱き締めてくる。
まだ夢の中のお姉ちゃんは、いったいどんな夢を見ているのか。
ワタシの名前を呼んでいたのが、すっごく気になる。
でも、お姉ちゃんをゆっくり寝かせてあげたいから、起こすことは出来ない。
あー、お姉ちゃんの寝顔を間近で見られるの、幸せだなぁ。
整った顔立ちのお姉ちゃんは、立派な女性なんだけど、寝顔はどこかまだあどけない。
綺麗さと可愛さが両立している。
……お姉ちゃんの顔をまじまじと見つめていると、異様にドキドキしてくる。
わかっている。ワタシの視線はお姉ちゃんの……唇を見ている。
柔らかそうで、ぷにぷにしてそうで、艶めかしい、唇。
触れたら、いや違う。
その唇に触れたいんじゃない。
「じー……」
……お姉ちゃんの、唇。
ピンク色で、艶やかで。
ごくり。
自分でも唾を飲むのがわかる。
その唇に、吸い込まれそうで。
ううん、違う。言い訳なんかしない。
キスした――。
「っ!」
ブン、と鋭い音が耳に届いて、ワタシの思考は中断された。
続けざまにブン、ブンと音が窓の外から聞こえてくる。
お姉ちゃんを起こさないように、ゆっくりと身体を起こす。
幸いなことに寝ているお姉ちゃんは簡単に引き剥がせた。
窓からは中庭が見える。
「ランさん?」
中庭では、ランさんが剣の素振りをしていた。
振り下ろす度に、風を切り裂く音がここまで聞こえてくる。
それほど凄い威力なのだろう。
少し思い詰めた表情で剣を振るうランさんは、見ていてどこか不安を感じさせる。
ちらり、とお姉ちゃんへ振り返る。
静かな寝息が聞こえてくる。お姉ちゃんはまだ、夢の中だ。
……ランさんには、昨日、大分お世話になってしまった。
ワタシとランさんだけの、秘密だ。お礼を言っておくには今しかない。
ワタシはパジャマの上からローブを羽織ると、中庭に向かうことにした。
*
「――シアン様。起こしてしまいましたか?」
「あはは。気付かれちゃいましたか」
中庭に出ると、背中越しに声を掛けられた。
……まだステータスを見たことはないんだけど、ランさんってさりげに凄い実力者なんじゃないかな。
盗賊に襲われた時はふーちゃんが人質に取られてたから、満足に戦うことも出来なかったんだろうし。
「昨日はありがとうございました。おかげさまで……仲直り、できました」
「それはよかった。やはり姉妹は仲良くあるべきですからね。特に、シアン様とプリム様の場合は」
ランさんは振り返り、微笑んで祝福してくれる。
優しい人だ。きっとランさんがいなければ、今頃ワタシはおかしくなっていたかもしれない。お姉ちゃんを突き放してしまったかもしれない。
感謝しても感謝しきれないくらいだ。
「朝からトレーニングですか?」
「ええ。剣を振り、心を無にしたいのです」
「無に……」
「わかっています。私が剣に逃げていることくらいは」
ワタシが問わずとも、ランさんは答えを教えてくれる。
お互いに隠し事が通用しない、と思っているのだろう。
『逃げている』
ランさんは自嘲するけど、それは違う。
ワタシはお姉ちゃんに拒絶されることが怖いから、言い出せない。
ランさんは、違うんだ。
真実を告げてしまうと、拒絶されるとかそういうレベルじゃない。
貴族の世界がどんなものか、ワタシはよく知らない。
でも、グレイドさんがランさんに別の名前を与えて死んだ扱いにしなければならないほど、ドロドロした世界だってことくらいはわかる。
「ランさんは、言いたいんですか?」
ふーちゃんと、ワタシとお姉ちゃんみたいな姉妹の関係になりたいのか。
「実を言うと、わからないんです」
「わからない……ですか?」
「ええ。幼い頃からフリージア様を守る。それだけの為に剣を学びました。ですから、今の私は幸福ではあります。お父さん――グレイド様に温かく迎え入れて貰い、フリージア様の騎士として過ごせる。一度は死んだ身として、これ以上無い待遇です」
……一度、死んだ。
エリア・ユリアル。
ランさんはワタシに、本当の名前を教えてくれた。
ランスロット・アーデラは、エリア・ユリアルが生まれ変わった名前だ。
ランさんは、不満は抱いていない。それどころか、今の関係をハッキリ幸福だと、言葉にすることが出来る。
でも、ふーちゃんと姉妹として接したいと聞かれたら、揺らいでしまう。
それは、仕方の無いことだろう。
「ワタシは……その」
どう言えば、いいのだろう。
知ってしまったから、今の二人の関係を見るとどうしても歪さを感じてしまう。
でも、「姉であると告げてしまえばいい」なんて気安く言えない。
それはグレイドさんの気持ちを裏切ることになるし、なによりランさんも、ふーちゃんも不幸になってしまうかもしれないから。
「シアン様は、ご自分のことをお考えください。私のために、貴方の大切な時間を割かないでください」
「……でも」
ランさんは、ワタシの背中を押してくれた。
じゃあ、ワタシは?
ワタシはランさんに、なにか出来ないのだろうか。
お姉ちゃんみたいになんでも出来るわけじゃない。
ワタシに出来ることは限られている。
でも、ワタシはランさんに何かを返したい。
「私はこの気持ちを墓の中まで持っていくつもりです。グレイド様への感謝を込めて、私は騎士としてフリージア様を守る。それが、私の答えです」
そうきっぱりと言われてしまえば、ワタシはなにも言えなくなってしまう。
ああ、ランさんの言うとおりだ。
ワタシとランさんはよく似ている。
よく似ているから、ワタシはこんなにも心を痛めている――……。
「シアちゃん~~~~~どこ~~~~~~~!?」
重たい気分になりかけたところで、お姉ちゃんの叫び声が聞こえてきた。
ランさんと顔を見合わせて、クスリと笑い合う。
「プリム様もこうしていると、とてもSSSランクとは思えませんね」
「甘えん坊な、自慢のお姉ちゃんです」
そういえばワタシもまだパジャマだったし、部屋に戻って着替えよう。
お姉ちゃんがいて、無事に着替えられるかな……?
ま、まあ武術大会は明日だし、今日はのんびり過ごせるんだ。
再び素振りを再開したランさんの背中を眺めながら、部屋に戻るとしよう。