お姉ちゃんは、抱き枕。
用意して貰った寝室の、ふわふわなベッドに飛び込む。
普段だったら喜んでしまう高級ベッドでも、ワタシの気分は晴れやしない。
お姉ちゃんは、結婚を受けるのかな。
いや、違う。
断る理由がないんだ。
だって王家だよ? 王族だよ? 王家の誰かはわからないけれど、一般の冒険者が王家に迎え入れられることがどんなに凄いかって、ワタシでもわかるよ。
王族は、この国の中心だ。
お姉ちゃんほど有名で凄い冒険者なら、声が掛かるのも当然だ。
王族になれば、冒険者家業なんてしなくても裕福な暮らしが出来る。
危ないクエストを受ける必要もない。ワタシのために頑張らなくていい。
そうだよ。結局ワタシの我が儘なんだよ。
ワタシがお姉ちゃんを独占したいのは、全部ワタシのため。
お姉ちゃんの都合なんて考えてない、ただの我が儘だ。
お姉ちゃんに養われたい。
お姉ちゃんと一緒に暮らしたい。
お姉ちゃんに傍にいて欲しい。
ワタシの世界は全部お姉ちゃんなんだ。お姉ちゃんがいてくれるから、ワタシの世界は色褪せないんだ。
……家に、帰ろうかな。
ワタシがこのまま旅に同行しても、お姉ちゃんの気持ちが変わらないなら意味が無い。
お姉ちゃんを独占したくても、無理なのかな。
「失礼します。シアン様」
「……ランさん?」
「薬を持ってきました。プリム様は……旦那様に捕まっているので、まだ解放されませんが」
「ありがとうございます。でも、薬はいらないです」
「そうでしょうね」
……え?
ランさんはわかっているかのように、薬を乗せたお盆をテーブルの上に置いた。
そして、ワタシのベッドの端に座り込んだ。
ぼふん、とベッドが沈む感触。
ランさんはゆっくりと、口を開いた。
「シアン様は、プリム様の婚約を望んでない。それを妨害するために同行している。ですよね?」
「な、なんで」
ランさんは、ワタシの目的を見抜いていた。
どうして?
……いや、隠すつもりはなかった。というか隠していたらお姉ちゃんがワタシに夢中にならないから、多少強引でもスキンシップはしていた。
「目が」
「め……?」
「プリム様を見る目だけが優しいんですよ、シアン様は。他の人はどうでもいいから、お姉ちゃんだけいればいいんだ、と感じるほどに」
そ、そうなんだ。
「それに、シアン様に似ている人を知っていますので」
「ワタシに……?」
「ええ。想いを秘めて、隠し通そうとしていて。でも、ほんの少しのことで揺らいでしまう、弱い心の持ち主を」
たまらず上体を起こすと、ランさんは窓の外を見つめていた。
ランさんはワタシが身体を起こしたことに気付くと、こちらを振り向いて、自嘲気味に微笑んだ。
「シアン様。フリージア様には姉がいた話は、聞いておられますか?」
「え? あ、はい。お風呂で、聞きました」
ふーちゃんが物寂しそうに語っていた、お姉さんの話。
ふーちゃんが生まれた時に病気で死別してしまった、と聞いている。
「私です」
「え?」
「私が、フリージア様の姉なのです。……エリア・ユリアル。それが私の本当の名前です」
「え、え、え!?」
なんかさらっと凄いことを言われたんだけど!?
というかワタシが悩んでるのにどうしてランさんは身の上話を!?
……でも、落ち込んでいるよりかは気分が紛れる。
「私はフリージア様が生まれた年に、奇病に遭いまして」
「で、でもランさんは全然元気ですよね?」
「ええ。ですが私はユリアル家の跡継ぎとして――婿を取る人間として、駄目になってしまったのです」
ランさんは悲しそうな表情を見せると、お腹を――下腹部を、擦った。
もしかして……。
「ええ。私はその奇病が治る代償として、子を産めなくなったのです」
「っ――!?」
ランさんの言葉に驚くばかりだ。
違う。違う。子供が産めない。だから死んだ扱いになった。
『どうして?』
『子供が産めなくなっただけで?』
でも、ランさんはワタシの疑問への答えも語っていた。
貴族として、婿を取っても跡継ぎを産めない、と。
……貴族は、血筋を最も尊重する。とは聞いたことがある。
でも、だからって――。
「でも私は、旦那様――お父さんに感謝していますよ?」
「なんで!?」
つい、声を荒げてしまう。
だって、だって、だって。そんなの、あまりにも理不尽じゃないか。
子供が産めなくなっただけで、家族と、ましてや生まれたばかりの妹と離別させられる。
そんなことをされて、どうして感謝できるのだろうか。
「私は本来、その奇病で死ぬはずでした。ですがお父さんは国中を駆けずり回り、医者を、魔法使いを探し出し、私を救ってくれたのです」
「それはわかります。でも」
「子供が産めない長女であれば、私は必ず貴族の間で笑いものにされたでしょう」
「……あ」
「私を逃がすために。生きて、幸福を掴むために。お父さんは私に『ランスロット・アーデラ』の名前をくれました。生きる道をくれました」
ランさんの優しい表情を見て、ワタシはさっき感じた違和感の正体に気付いた。
グレイドさんは、ふーちゃんどころかランさんも同じように心配していた。
本来であれば愛娘と騎士だ。愛娘を危険に晒した時点で死罪と言い渡してもおかしくないくらい、グレイドさんはふーちゃんを溺愛している。
でも、結果はお咎めなしだ。
むしろ、ランさんが無事であったことにも感激していたくらいだ。
……娘、だから。
グレイドさんにとって、ランさんも愛娘だから。
「私は、フリージア様を守るために、お父さんに無理を言って騎士になり、ユリアル家に仕えているのです」
それはきっと、負い目でもなんでもなく――自分を守ってくれた父への感謝を、少しでも返したいから。
ランさんの視線は真っ直ぐにワタシに向けられている。
それは、お互いに腹を割って話そうという意味合いだろう。
「……ワタシは、お姉ちゃんが大好きです。ずっと傍にいて欲しい。だから、結婚して欲しくない、です」
「はい」
「わかってるんです。それがお姉ちゃんの幸せに繋がらないってことくらい。でも、でも」
「大事な想いは、言葉にしたほうがよろしいですよ」
「……っ」
それは、できない。
だって、怖いんだ。
お姉ちゃんが結婚することを望んでて、ワタシがそんな感情を抱いているのを知ったら。
ワタシたちは、姉妹ですらなくなる。繋がりすらなくなってしまう。
ランさんは、何も言わなくなった。でもずっと、ワタシを見て微笑んでいる。
「シアン様は、私によく似ています。自分を追い込む所も」
「う……」
「ですから、大事なことはしっかり言葉にしてください。私は語ることが出来ませんので」
……そうだ。ランさんはふーちゃんに打ち明けることが出来ないんだ。
知ってしまっては、その事実は表に広がってしまう。
そうなればユリアル家に迷惑も掛かる。
じゃあ、ランさんは一生、この秘密を抱えて生きていくの?
大切な妹に、姉として接せない。
辛いのか、と聞いたらランさんは首を横に振るだろう。
ランさんがどういう人かくらい、ワタシだってわかっている。
「わかり、ました」
ワタシの言葉に、ランさんはニッコリと笑ってくれた。
……でもごめんなさい。ワタシは臆病なんです。
伝える言葉は選ぶ。
それが、ワタシに出来る最大限の譲歩だ。
………
……
…
「シアちゃん、寝ちゃった?」
ランさんが出て行って、ほどなくしてお姉ちゃんが解放された。
その声色はいつもより寂しげだ。力の篭もってないお姉ちゃんなんて、初めてだ。
ベッドに潜り込んだ状態で、ワタシはお姉ちゃんの言葉を待つ。
「ごめんね?」
その言葉は、何に謝ってるんだろう。
いや、全部だ。
きっとお姉ちゃんはもう答えを出していて、それを告げないことにも謝っている。
だから。
「許さないよ」
「うっ」
起き上がって、お姉ちゃんを見つめる。
「あ、あのねシアちゃん。お姉ちゃんね――」
「だめ」
「え?」
ぎゅ、ってワタシからお姉ちゃんに抱きつく。飛びつくように抱きついて、お姉ちゃんをベッドに押し倒す。
「お姉ちゃんの答えはお姉ちゃんのものだから。言わなくていい」
「シアちゃん?」
ワタシがお姉ちゃんを押し倒してるなんて、初めてだ。
「王都まで、ワタシは絶対についていく。その間は、お姉ちゃんはワタシのお姉ちゃんだ。お姉ちゃんの、結婚の答えは、王都で、聞きたい」
「……うん。そうだね」
にっこりと、お姉ちゃんが微笑んだ。
身体を下ろして、お姉ちゃんに抱きつく。お姉ちゃんのおっぱいに顔を埋めて、全身でお姉ちゃんに抱きつく。
「いつもはワタシが抱き枕にされてるから。……今日は、お姉ちゃんがワタシの抱き枕だ」
「えへへ。うん。いいよ~。お姉ちゃんはシアちゃんのものだよ~」
聞こえてくるお姉ちゃんの声は、ワタシを受け入れてくれる優しい声色だ。
だからワタシは精一杯甘えるように、抱きつく力を強くする。
お姉ちゃんはそんなワタシの頭を優しく撫でてくれる。
いつものスキンシップとは少し違う、優しい触れあい。
「ぎゅ~」
「ぎゅーっ!」
暖かい。暖かいんだ。ワタシは今、お姉ちゃんを独占している。
ワタシだけのお姉ちゃんが、ここにいる。
不安が薄れていく。今だけでも、お姉ちゃんは傍にいてくれる。
……絶対に。王都までに、お姉ちゃんをワタシのものにする。
ワタシにメロメロにさせる。
絶対に、お姉ちゃんを、独占するんだー!