お姉ちゃんはご主人様?
「ほ、他に着るものはなかったんですか?」
「ええ。シアン様に合うサイズの普段着はありませんでした」
腰にしがみついてきたお姉ちゃんを引き剥がそうと抵抗する。
けれどお姉ちゃんがワタシの力で剥がれるはずもない。
ふーちゃんもランさんも、メイドさんたちも苦笑している。
そんな中、無表情を貫いているのはメイド長さんだけだ。
「って、何描いてるんですかっ!?」
メイド長さんは眉一つ動かすことなく一心不乱にキャンバスに向かって筆を走らせていた。
凄い、まったく狂いもせずデッサンが完成していく……ってお姉ちゃんとワタシ!?
「どうかしましたか? いえ、ワタクシは女の子同士の"触れあい"を絵に込めさせて頂いてるだけですから」
「すとっぷ! すとーっぷ!」
「えー? 私とシアちゃんの仲の良さを祝福してもらえてるんだよ~?」
それは嬉しいけど、あくまでワタシは、ワタシ『が』お姉ちゃんを独占したいんだ。
他の誰かにワタシたちを見られるのはくすぐったいんだ恥ずかしいんだ!
「っふふ。シアちゃんがメイドさんなら、お姉ちゃんはご主人様?」
「な、何を言い出すの、お姉ちゃん」
いつものようにニコニコと笑顔のお姉ちゃんだけど、どこか様子がおかしい。
椅子に座ったお姉ちゃんは、普段見たことのない妖艶な笑みを浮かべている。
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
「シアン、紅茶をいれなさい」
「ど、どうして」
「あら、貴女は私専属のメイド、でしょう?」
「お、お姉ちゃん……?」
お姉ちゃんどうしたの!?
いつものゆったりとした表情じゃなくて、ちょっと鋭い目つき。
くい、と顎を持ち上げられて、見つめられる。
いつもと違う鋭さに、心臓がバクバクしてしまう……!
「ね、シアン?」
「は、はい」
「ご主人様、でしょう?」
頭が、ぼーっとする。ぼんやりふわふわして、お姉ちゃんの言葉に逆らえない。
うぅ、なんだろう。嫌なんだけど、嫌じゃない。
顔がやけに熱い。心臓が痛いほど脈打ってる。
でも、でも。
おかしい。ワタシは今おかしくなってる。
こんなお姉ちゃん初めてだけど、すごく、すごく、ゾクゾクして。
『嬉しい』
「はい、遊ぶのはここまでっ」
ぱん、と手を叩かれてハッとする。
あれ、ワタシ、いま。
「……ふぇ?」
「えへへ。シアちゃんがそんな可愛い格好しちゃうからついつい遊んじゃった~」
「ふぇ……」
…………え?
遊び?
なんだろう。なんだろう、このもやもや感。
まるでお姉ちゃんに支配されてたみたいで、ワタシもそれが嬉しくて。
ち、違う違う! ワタシはお姉ちゃんを独占したいんだ。お姉ちゃんに独占されたいわけじゃ!
……それでもいいかなー。
ぶんぶんぶん!
あー! うー!
「のうラン。あれが演技じゃったと思うか?」
「いえ、きっと本心だったと思われます」
「メイドなシアちゃんを見ていると、お姉ちゃんも暴走しちゃうのだ!」
「メイド長さん早く別の服をー!?」
身の危険を感じて叫ぶけど、ワタシにメイド服を着せたメイド長さんからの返事はない。
「……我が生涯に一片の悔い無し、です」
「お医者さんーーーーー!?」
「いつものことじゃ。放っておけ」
キャンバスの前にいないと思ったら、鼻血を出して倒れていた。
ふーちゃんたちは慣れている光景らしいんだけど、ワタシが慣れていないんだよ!?
そしてメイド長さんは他のメイドさんたちに連れて行かれる。
大丈夫かなぁ。けっこう鼻血出てたみたいだけど。
「しかしシアン。お主はメイド服が似合うのう!」
「はい。私もそう思います。可憐なツボミに純白の花びらが舞っているかのようです」
「ね~。さすが私のシアちゃん!」
三者三様に次々とワタシのメイド服姿を絶賛してくる。
そんなに可愛いのかな……?
試しにと、くるりとその場で一回転してみる。
ふわりと舞い上がるロングスカート。
ふりふりのエプロンがどうにも落ち着かないけど。
うん、悪くな――って違う前世は男今の中身も半分男ぉ!
「シアン様どうかしましたか! お気を確かに!」
頭をぶんぶんと全力で縦に振る。
ぐわんぐわん。うー、頭痛い。
とにかく早く着替えないと。
「でもシアちゃんの魔法服が乾くまで、まだ掛かると思うよ?」
「そこはほら、お姉ちゃんの火の魔法でぶわぁーって」
この世界は日本とは勿論違う。けど魔法によって日常が支えられている。
雨で洗濯物が乾かないのなら、炎の魔法で渇かして、風の魔法で除湿してしまえばいい。
コインランドリーみたいなお店を開いている魔法使いだっているくらいだし。
「お姉ちゃんの魔法じゃ魔法服燃えちゃうよ~」
「うっ」
……そうだった。
ちょっと厄介なことに、お姉ちゃんが火の魔法を使えば全体攻撃で三回分だ。
どんなに火力を抑えても、服が保つ可能性の方が低い。
だから家では雨の日でも中干ししてたし。
おかげで家の中がやけにジメジメすることも多かった。
「ら、ランさんやふーちゃんは」
「申し訳ありません。私は火の魔法には疎くて」
「そうじゃのう。妾も風属性ばかりじゃし」
「う、うぅ」
かくいうワタシも『雷神の加護』スキルしか持っていないから、火属性の魔法とは無縁だ。
この世界の魔法は、基本的に四神――火、水、風、雷、それらの神の祝福をスキルとして受け取り、その属性くらいしか使えない。
お姉ちゃんみたいに複数のスキルがあれば使えるんだけど、この場で火属性の適正スキル、『火神の援護』を保有しているのはお姉ちゃんだけだ。
話を聞くとメイド長さんも保有しているらしいけど、ダウン状態だし。
「じゃあ今日いっぱいはこのままってこと……?!」
「やったっ。メイドシアちゃんを堪能できる!」
「……お姉ちゃん?」
さっきのやり取りを思い出して、かぁ、と身体が熱くなる。
あんなお姉ちゃんは見たことないし、その……悪くないかな、って。
「シアン。お主そういう趣味なのじゃな?」
「はぅあ!?」
違う違う! ワタシはそんな趣味じゃない!
ただお姉ちゃんがワタシを独占してくれるなら、それはそのままお姉ちゃんは結婚しないって意味も同然だから!
そう! だからだよ! だからワタシも嬉しくなっちゃうんだよ!
けっしてワタシがそういう趣味ってわけじゃないから!
「おっと……。フリージア様、もうそろそろ」
「む? もうそんな時間か?」
「はい。今夜にでも旦那様も到着しますし、受付を済ませるなら早めに」
「そうじゃったの。よしプリム、シアン。付いてくるのじゃ!」
壁掛けの時計を確認したランさんが、ふーちゃんに耳打ちした。
はっと顔を上げたふーちゃんは自分でも時間を確認して、慌ててワタシたちに声を掛けてくる。
「え? あ~。武術大会の受付だね」
「はい。受付は明日までですが」
「うんうん。なんでも早いほうがいいもんね」
お姉ちゃんとランさんはしきりに頷いていて、ふーちゃんはメイドさんが用意した少し動きやすそうなドレスに着替えていた。
泥だらけの服で受付に行くのは貴族として問題じゃー、って言ってるけど、ドレスを着ることは慣れてないのか落ち着きがない。
「着せ替え人形はシアンだけで十分なのじゃ」
「どういう意味!?」
「フリージア様はお顔も整っておられますので、色々な衣装が似合うのです。私もフリージア様の衣装を選ぶのが好きなのですよ」
「あー、わかるわかる~!」
お姉ちゃんとランさんはどこか通じ合う部分があるのか、けっこうな頻度で意見が噛み合っている。
一方その犠牲になるワタシとふーちゃんは、互いに顔を合わせて苦笑するしかない。
「ではコロッセオへ参ろうぞ。今年こそ妾が優勝する!」
ふーちゃんの言葉に表情を引き締めるランさん。
ニコニコと笑って後に続くお姉ちゃんの背中を、ワタシも追う。
……っは。まだメイド服だった。
着替え――はぁ、間に合いそうもない。
「……まぁ、お姉ちゃんが傍にいるから隠れてればいいでしょ」
フラウロスはユリアル家のメイドさんも頻繁に顔を出しているだろうから、メイド服がいてもおかしくないだろう。
……おかしくないよね?