はじまりと暗示 05
登城者の列に並び審査を受けると、門番に物乞いと間違われた。もう少し装いに気遣うべきだったかとも思ったが、書状を届ける役目に華美な服装は必要ないだろうにと首を傾げた。
「グリフォン卿より書状をお預かりしております。申請もこの通りありますし、秘書官にお目通り願います」
「偽者じゃないだろうな」
追い払われそうになりながらも信望強く低姿勢で話をしていると、騒ぎを聞きつけた神経質そうな細身の婦人が、胡散臭そうにこちらを見ながら近付いて来た。
「グリフォン卿の使者だと申しているのは、あなたですか?」
「はい。お伺いするお約束をさせて頂いております。こちらが書状でございます」
「そう」
こちらを一瞥したかと思うと書状に目を向け、一読すると婦人は答えあぐねている様子だったが、怪訝そうな表情を浮べながらも招き入れられた。
通された部屋は質素な作りで、窓には格子が嵌められ昼間なのにも関わらず薄暗い。通って来た城内の廊下などが絢爛豪華だったせいもあってより一層気品に掛けて見える。
「確認をして参ります。こちらでお待ち下さい」
口調は丁寧だが見下している雰囲気を隠す素振りはない。婦人は臭い物から逃れるかの様に部屋から出て行った。
何かが腑に落ちない。婦人たちの明らかに困惑している様子。その理由が何なのか情報を仕入れる為にそっと部屋を忍び出て、廊下を堂々と進んで行く。こそこそと動き回るよりもそうした方が意外と不審に思われない。現に誰一人としてこちらを気に掛ける者はいなかった。大事な来訪者があるらしく、皆一様に世話しなく廊下を行き来していた。
そんな中、三人の娘達が廊下の片隅に集まって楽しそうに話をしていた。忍び足で近づき柱の陰に身を潜めて耳を傾ける。
「ちょっと、聞いた?」
「なになに?」
「グリフォン卿のお気に入りのクリストファー・ウィンド様がいらっしゃるって話だったじゃない?」
「何を今更。その為の準備じゃない」
「実はね。ウィンド様の代わりに薄汚れた農夫が来たんだって!」
「えぇーーっ!」
「一目でもお会いしたかったのにー」
「私もぉ」
「でも、どうしてウィンド様はいらっしゃらないのかしら?」
「お見合いを仕組まれているって勘付いたんじゃない?」
「まあ、あの売れ残りの我侭姫にウィンド様は勿体ないわよね」
「確かに」
「我がまま姫ったら、さっきもワインの飲み比べするからあるだけ持って来いって言ってたわよ」
「うわー」
「私は兄君のローレンス様にお会いしたいわ」
「ウィンド家の方々は美形揃いって言うし、結婚が出来たら身を粉にしても尽くしちゃうのになぁ」
「あんたじゃ無理よ」
「何よぉ。夢を見るくらい自由じゃない?」
「そんな恋を夢みてたら、一生結婚できなくなるわよ」
「そうよねぇ」
娘達の花が咲くような笑い声の中に大きな影が近付いて来た。
「そんなに暇なら、仕事を増やしてあげましょうか?」
眼鏡を軽く持ち上げ鋭い視線を送る婦人に娘達は飛び上がった。
「いえ!」
「申し訳ありません!」
眉間に皺を深く刻んだ婦人の横をすり抜け、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「ここで何を?」
息を殺して隠れていたが、猛禽類のように鋭い目がこちらに向けられる。
「ちょっと用足しに出て迷ってしまいまして」
自分でも下手な言い訳だとは思ったが、婦人の視線が突き刺さる。
「不用意なことはなさいません様に」
部屋へ連れ戻されてしまったが、知りたい情報は十分に手に入った。地位や金目当ての嘘吐きな女性にも上辺だけ美しい女性にも飽き飽きし、一生結婚しないと宣言していたが、グリフォン卿が姫君の相手に自分を選ぶとは驚きだった。
「陛下はご不在ですが、グリフォン卿から何か伺ってはいまいか?」
「書状の献上を賜っただけで何も。書状には何とあったのですか?」
「詳しい事は申せません。しかし、あれはシルヴィア様宛の物です」
先程の噂話の我がまま姫と言うのは、シルヴィア・オーガストスの事らしい。彼女は第二婦人の第五子に当たる。自由奔放で国政にも無関心で、日がな一日お城で気ままに過ごしているという噂は聞いた事がある。
「では、姫君にお目通り願えますか?」
「何を申しておる? その様な事が出来るはずもなかろう」
「グリフォン卿の使者として、一目お会いする義務があるのではと思ったまでです。必要ないと申されるなら、これで失礼させて頂きます」
その言葉に、婦人は何やら思案していた。
「確かに使者に謁見もさせずにお帰り願ったのでは、グリフォン卿に対して失礼に当たりますね」
「直接書状をお渡しする様には賜っておりません。何かグリフォン卿にお伝えすべき事がございましたら、承りますが如何でしょう?」
こちらの意図に気付かれない様に低姿勢を貫くが、婦人は段々と疑い出しているようだった。一瞬だけ苦笑を浮べたかと思うと口元を引き締めた。何か裏があると思ったのかも知れない。
「伺って参りますので、こちらでお待ちを」
どうしたものかと思案しながら、この事を知ったらキャロラインや兄にまた何か言われそうだと苦笑した。対処策を思いつく間もなく婦人が戻って来た。
「どうぞ、こちらへ」
ピンと伸ばされた背中を眺めながら廊下を進んで重厚な扉の前まで来ると、両側に立てられた見張りの者達が派手な音を立てる扉を押し開けた。
「シルヴィア様、グリフォン卿の使者が参りました」
深々と下げた顔を上げると、姫様と呼ばれた女性は不貞腐れて頬を膨らませながら、こちらをチラッと見て部屋中に響くような溜め息を漏らした。
「挨拶など無用よ。こんな男と親しくなってどうしろと言うの? 冗談じゃないわ!」
全くこちらに興味を示さずに、そっぽを向いたまま姫は椅子の肘掛にもたれ掛かっていた。
「姫様! ご使者の前でそのような態度は失礼でございましょう」
「何の為にこんな地味なドレスを着て城で大人しくしていたと思っているのよ! おもてなしの準備も整えたって言うのに、なーんの意味も無いじゃない。バカみたーい!」
婦人は姫に態度を改めるように注意するが、姫は一向に聞き入れようとする様子は無い。
「陛下は私をお払い箱にしたいだけでしょう。他国との婚姻が何度も上手く行かなかったからって、手近な人物で済ませようって事なんでしょうけどね。美男子が相手だって言うから渋々受けたけど、私を甘えさせられる器も無い人間ばかりなのがいけないのよ」
姫とは名ばかりで、これならキャロラインの方がましだと思える。
「役不足と言う事でしょうか?」
「はあ? 私に貴方の相手をする気なんてないわよ。そこら辺の召し使いの方がまだマシ!」
思わず噴出しそうになるのを何とか堪えた。
「承知致しました。では、グリフォン卿にはそのようにお伝え致します。双方の合意に基づき、今回の件は白紙とさせて頂きます。陛下にお会い出来ずに失礼するのは心苦しいのですが、皆様の幸運を常に願っておりますとお伝えください」
その言葉に、その場にいた者達はざわめき始め、姫は訝しげにしていた。
「貴方は一体――」
垂らしていた髪を手で梳き、纏め上げると満面の微笑を湛えて答える。
「勿論、グリフォン卿の使者、クリストファー・ウィンドですよ。シルヴィア姫様」
その時の姫の唖然とした顔は、絵に描いて残しておきたいほど見物だった。
今回は何とか温和に片付きそうだが、これに懲りてグリフォン卿がお節介を焼く事を止めるとは思えない。それにしても、兄はこの事を勘付いていただろうに、どうして教えてくれなかったのだろう。