はじまりと暗示 04
一人旅は誰に気兼ねも要らず、アスケードまでの道のりは予想以上に順調だった。旧街道で出会った人の数は両手で事足りるほどだった。新街道とは違い道の奥まった所にしか街が無いからだろう。
約束の期日より余裕があり、馴染みの顔が集まる遊技場に足を向ける。昼間でも薄暗くジメッとした通りを抜け、紫煙が漂う店の中に入った。
「よう」
酒の入ったグラスを傾けていた頬に傷のある無精ヒゲを生やした男が、こちらに向かって愛想よく片手を軽く上げて合図した。所々に設けられたテーブルでカードゲームなどが行われていたが、その男は人々の群れから離れ、カウンターの近くで店内をそれとなく観察していた。
店内は喧騒に満たされ、近づいて話さないと声が掻き消されてしまう。端の席に移動すると、彼と同じ飲み物を注文した。
「久しぶりだな、ケイ」
兄の下で働く諜報員だが、顔は知っていても素性や本名は知らない。皆にケイと呼ばれているが、必ずしもイニシャルと言う訳でもない。
「聞いたか? レッドウルフが亡くなったらしいぞ」
唐突にそう言われたが、名前を聞いてもすぐに頭に浮かぶ顔はなかった。
「誰だ?」
「おいおい、ランドルフ・コーデイルの別名だ。お前さん、あそこの娘と友達じゃなかったか?」
ランドルフ・コーデイルは王の影で片腕として働いている人物だった。鋭い目をした体格のいい男だが、娘には甘く愛妻家でもあった。娘の誘拐事件をきっかけに少しの間コーデイル邸で厄介になったが、急に外交官としての任務を兼任する事になり各地を駆け巡っていた為、十年近く交流は途絶えていた。
「ああ、子供の気まぐれってヤツに付き合わされてな」
アリシア・コーデイルは当時十歳くらいだったが、周りから甘やかされて育った事が見た目からでも解るような女の子だった。甘い物が好きで彼女自身もマシュマロのように肌は白く体は丸かった。純粋で自分のいう事は何でも聞き入れて貰えると疑わない娘だった。彼女との約束通り、旅先からも手紙を何度か送ったが、一度も返信は無かった。
「それほど高齢と言う訳でもなかったはずだが、病気か?」
「真偽は定かじゃないが、どうやら屋敷中の者が惨殺されたらしい」
「本当か!」
驚きのあまり体がビクッと震えグラスを倒しそうになった。
「家族や使用人も? 強盗か?」
「ああ、メイドが一人行方不明で、そいつが内部から賊を手引きしたんじゃないかって」
「他に怪しい者は?」
「生き残ったのはその娘だけだ。エリーだかマリーって名前らしいんだが、どうも素性がハッキリしねえ。二十歳そこらでダークブラウンの髪と瞳で小柄な娘。他の身体的特徴は不明だと」
あの屋敷では二十人以上の人が暮らしていた。それだけの人間が殺されたのかと思うとやり切れない。アリシアの愛らしい笑顔と別れ際に見せた泣き顔が頭に浮かんだ。
「どこまで本当かは怪しいものだ」
「噂の八割方はガセネタだったりするからな」
「メイドにしたって、連れ攫われた可能性もあるし、まだ遺体が見つかってないだけかも知れないしな。生きて見つかりゃ、真相に近付ける訳だがな。まあ、調査の為に陛下も急遽お忍びで東の外れに向かったと言う情報もあるから、賊に入られたのは間違いなさそうだな」
「そうか」
「そんな暗い顔すんなって。俺も情報を仕入れに東へ行ってみるが、二ヶ月も前の嵐の夜の事だってんだから期待はできないな。あれだけの土砂降りじゃ痕跡は流されただろうし、目撃者も見つからないだろうな」
情報が全く入って来ていなかった事から推測しても、犯人の嫌疑があるのは国の要人なのだろう。そうでなければ、グリフォン卿や兄が話を持ち出さない訳が無い。
「そうだ、ジェイとアルはどこにいる?」
「あー、そう言えば近頃は顔を見てないな」
「何か言ってなかったか?」
「ジェイは人形の流通路について重要な情報を掴んでいる人物と接触をするって言ってたな。アルは補助として一緒に行動していた筈だが、そっちに連絡行ってないのか?」
ジェイが調べていたのは、どうやら闇市で行われている子供たちの人身売買のルートだったらしい。ここ数ヶ月、活動が盛んになっていたが実態が掴めずにいた。アスケードから他国へと売られる事もあり、情報を掴んで駆け付けても現場は抑えられず、いつも空振りだった。
「相手はどこの誰だ?」
「さあ、そこまでは知らんよ。俺には俺の仕事があるんでな」
「ジェイから枯れ木が届いてたんだが、それについてはどうだ?」
今、追っている麻薬は大まかに生や乾燥された葉物は『枯れ木』、液体や粉状の物は『花』という区分をして更に細かく分類していた。
「本当か? それは妙だな。新街道が通る前に一斉に取り締まりが行われた筈だが」
「それからだと、だいぶ時間が経ってるだろ」
「議会で悪い因子が枝葉を広げる前に根絶するべきだって、ゴードン・レイジングが指揮して、ちょっとでも噂があった場所は調べ上げられ、組織も機能しなくなるまで徹底的に叩き潰されたって聞いたぞ。残った奴らも怯えて近頃じゃ枯れ木を見ることは滅多にない。ああいう輩は頭を潰されちゃ手足は機能しないもんだ」
例のアリシア嬢の誘拐事件の際にゴードン・レイジングとは一度合っただけだが、どことなく威圧的で凄みのある男だった。彼を見たら悪人は皆逃げ出すと噂されているだけの事はある。
「だが、新しい頭を挿げ替えたのかも知れない」
「いやいや。信用が無いヤツがそう簡単に頭にはなれないさ。花は治療薬として多少は出回っちゃいるが、一体どこで手に入れたんだか検討もつかねえな」
「そうか。じゃあ、お手上げだな」
「いや、まだ手はあるだろう?」
「ジェイやアルに連絡が取れず、他は潜入や調査でここを離れてる。ケイだけが頼みの綱だったが、ケイほどの男の耳にも入ってないなんて、俺じゃどうにもできない。上にどう報告すればいいのか」
大袈裟に頭を抱えて途方に暮れた振りをして見せると、ケイは苦笑していた。
「猿芝居したってこっちにも仕事があるんだ。自分で何とかしろよ」
「ケイは冷たいな。仲間が心配じゃないのか? いざって時にはケイだって誰かを頼るんじゃないのか?」
咎める様な目をジーっと向けて続け、しばらく沈黙が続いた。テーブルに置かれたコップの中の氷が溶けてカランと鳴るのを合図にケイは溜息を吐いた。
「解ったよ! お前はいつまでこっちに居られるんだ?」
「登城の申請をしてから来たから、明日にも面会は出来るだろうし長くても三日だな」
「こちらの仕事の合間に俺も調べてやるよ」
「本当か! 忙しいのに悪いな」
ニコッと笑うとケイはどこか釈然としない顔をしていた。