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少なくともルナーリアは、幼すぎて自分の発言の異常性を自覚していなかった。
彼女は自身の視た光景を、そこに感じた恐怖を言葉にしただけだった。
だが、ヨシュアは違った。
彼は声を低めて問う。
「今日、これからここで?」
ルナーリアは頷く。
「どうやって?」
「わたくしをだきしめて、だんだん、つめたくなって……」
話しながら、ルナーリアの視界は見る見るうちに涙で滲んだ。
「君はそれを……」
そこで、ヨシュアは初めて言い淀んだ。
彼もどうすればいいのか、何を言えばいいのか、迷っているようだった。
ルナーリアの言を読み解けば、ここでこれから彼女の母親が亡くなるという意味であることは明白だ。
アンネマリーを見れば、突然の病などと言う可能性は低く、さらに「ルナーリアをだきしめて冷たくなる」という状況を深読みすると、「ルナーリアを庇って命を落とす」状況が浮かび上がる。
ところが、それと同時にここは国主の住まう宮殿でもある。
加えてヨシュアという国賓を招いている当時の警備の厳重さは言うまでもなく、まず第一にそう容易く不審な侵入者など許さないだろうし、何かあれば直ちに動ける範囲に両国の護衛が控えている。
それに比べて、幼い少女が見た白昼夢に一体どれほどの信憑性があるというのだろう。
幼子の吐いた他愛もない虚言と受け取る方が遥かに現実的であった。
実際、自分でさえも同じ状況にあればそう断じるだろうと、成長したルナーリアは思うのだ。
ところがヨシュアは――あれから十年近く経った今となっても、ルナーリアはその時の彼の心の機微を理解できずにいるのだが――ルナーリアの言葉に耳を塞ぐことも、彼女自身からも目を逸らすこともできたのに、そうしなかった。
「君はそれが、怖いんだね?」
ルナーリアはヨシュアの亜麻色の眸を、縋るように一心に見詰め、そして首肯した。
彼もルナーリアを安心させるように頷き返す。
そして、護衛の目からも逃れさせるように、ルナーリアの手をそっと引いた。
ルナーリアは不安を吐露したことでいくらか落ち付きを取り戻し、二人は先ほどよりも歩調を緩めて歩いた。
声を潜め、時折花に目を奪われるようなそぶりで周囲を欺きつつ、ヨシュアはルナーリアから情報を引き出していった。
「わたくしは、しろいおはながきれいなところで、うれしくってはしってしまうの。
そうしたら、おかあさまが、あぶないって…」
「お母君は君のとなりに?」
「ううん、おとなりはヨシュアさま。
おかあさまはうしろにいたの」
「君が走って行ったとき、私はどこにいました?」
「ええと、ええと……ヨシュアさまは……わからない。
ちかくにいなかったわ」
「……。
周りにはほかに何があったか分かりますか?」
「おみずがしゃわーってなって、きれいなところ……」
ルナーリアの説明は間違いなく拙いものだったはずだが、ヨシュアは彼くらいの歳の子供にしてはあり得ないほどの辛抱強さで、彼女の話に耳を傾けた。
彼はこれから起こる(と、ルナーリアが主張する)事のあらましを把握すると、長考の末、一つの結論を出した。
「君のお母君は助けられると思います」
ルナーリアは、こてりと首を傾げた。
実のところ、彼女は「自分が近くにいるとアンネマリーがいなくなる」ということ以外、何一つ理解していなかった。
「たすける?」
「君のお母君が、冷たくなったり、いなくなったりしないということですよ」
「ほんとう!?」
ここまで、表向きはお行儀よく庭園を鑑賞していただけに、彼女の興奮した声は人目を集めた。
その瞬間、彼は思わずといった様子で後方に気を配っていたように思う。
後方にはリートベルクの護衛しかおらず、細道で幼い二人を護るために配置された少数精鋭はヨシュアがある程度まで気を許し、信頼を置く者たちであるはずだった。
ヨシュアはすっと視線を前に戻し、ルナーリアさえ聴き逃しそうなほど抑えた声で低く呟く。
「これから君にひどいことをする私を、君が最後まで信じてくれるなら」
ルナーリアはその声の重苦しい響きに驚いて彼を見上げたが、ヨシュアは幼い顔立ちを険しく染めて、行く手を睨んでいた。
二人は、噴水のある中庭に差し掛かろうとしていた。
ヨシュアの視線の先を追うと、白い可憐な花が咲き乱れている。
その場所こそ、まさに彼女が白昼夢の中で目にした景色だった。
自然、恐れに立ち竦みかけたルナーリアの手を、ヨシュアが勇気付けるように握る。
ルーナ・マリアと呼ばれるその花は、リートベルクの国章にもあしらわれている彼の国の国花だ。
そして、生まれ落ちたときからリートベルクとの懸け橋となることを期待された赤子に、グランティエの国主御自らが名付けたその名の、由来ともなった花。
二人の対面の日に間に合うよう、公主の命でこの中庭は整えられた。
すなわち、ルナーリアがこの場所に足を踏み入れることは、各方面に織り込み済みのことなのだ。