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箱庭の国 side.R  作者:
第一章
2/7

1-1

「……ルナーリア、すまない」


目の前には、長年想い続けてきた人。


――嫌、やめて聞きたくない。


口を開こうにも、耳を塞ごうにも、叶わない。

自分の身体が思い通りに動かないことは、頭のどこかで理解していた。

ルナーリアは、ただ、この悪夢が過ぎ去るのをじっと耐える他ない。


彼はその端正な顔に苦悩を滲ませ、残酷な言葉を紡ぐ。


「身勝手な私を、赦して欲しい。

だが、私は、彼女のことを――」




* * *




「――!」


声にならない叫び声を上げて、ルナーリアは目を見開いた。

そこが見慣れた天蓋付きのベッドの上であることをまず認識し、ひとまずは安堵する。

しかし、今さっきまで彼女を苦しめていた夢の余韻は簡単に消えるものではなく、ルナーリアは、額にほっそりとした指をあて、呻くように呟いた。


「……悪夢だわ」


カーテンの隙間から、朝の訪れを報せる白い光が差し込む。

1日の始まりとしては、皮肉なほど爽やかだ。

今の彼女の気分とは裏腹に。


ルナーリアはのろのろと身を起こし、ベッドから降りる。

履き心地の良いルームシューズに素足を通し、腰までさしかかった長い髪を手櫛で梳きながら、うっすらと光を通すカーテンに近寄った。

カーテンと窓を一気に開けると、清浄な朝の空気が吹き込む。

春先の、まだ少し肌寒い風がルナーリアの白く透き通るような肌を撫ぜ、緩くウェーブがかかったプラチナブロンドを揺らす。

ルナーリアは気持ちを落ち着けるために、深呼吸を繰り返す。

愁いを帯びた淡いブルーの瞳に、髪と同じ、色素の薄い睫毛が影を落とした。


「あれは夢。

……ただの、夢よ」


その言葉は、ルナーリア自身の耳にも、そう思い込もうとしているような響きがあった。

侍女が朝の支度のために寝室の扉をノックする時まで、彼女はそうして窓辺に立ち竦んでいた。




* * *




「明日から、貴女も家を出ていってしまうのね……。

寂しいわ」


朝食の席で、感慨深げに溜息を零したのは、ルナーリアの母、アンネマリーだ。


「お母様ったら……。

お休みになれば、帰って来られるわ」


「そうは言うけれど、私が貴女くらいの年の頃は学校なんて行きませんでしたよ。

社交界デビューを済ませたばかりの淑女が殿方に交じって生活しなくてはならないなんて、やっぱりおかしいわ。

お勉強のためとは言っても、立派な淑女を目指すのなら、お屋敷で家庭教師を呼べば十分ではなくて?」


出立を明日に控えても、未だに納得しきれない母に、ルナーリアは微苦笑を浮かべる。

同じく困り顔になった父、クラウスが諫めるように言葉を掛けた。


「アンネ、それについては何度も話し合っただろう?

これはルーナがリートベルクに馴染むために必要な通過儀礼だ。分かっているね?」


「あなた……でも、ルーナだって心細いはずよ。そうよね?

全く知らない土地に、親の庇護もなく行くのですもの。

この国を出るのは、正式に嫁ぐときでも――」


「アンネ」


「……はい」


有無を言わさない夫の声音に、アンネマリーは肩を落とした。

娘の手前、常にはない威厳を出してみたものの、基本的には妻に甘いクラウスが内心おろおろし出す空気を感じる。

微笑ましいような、不甲斐ないような。

仕方なく、ルナーリアは助け船を出すつもりで口を開いた。


「心配してくださってありがとう、お母様。

私も本国と考え方の違う国に留学することに不安はあるけれど……やっぱり、先のことを考えるとリートベルクの文化や習慣に慣れておくことは大事だと思うの。

それに、リートベルクへは先にお義兄様が行って、準備を整えてくださっているから心強いわ」


「それは――いえ、そうね。

一番心細いはずの貴女が覚悟を決めているのだもの。

私も応援しなくてはね」


ルナーリアと同じ色の瞳を潤ませながらも、母親らしくにっこりと微笑む。

和やかな朝食の一時が戻ってきたことに安堵し、再びフォークを動かし始めたルナーリアだったが、次なるクラウスの一言に、内心凍りついた。


「ユーリだけじゃない。学校にはヨシュア殿下もいらっしゃる。

顔を合わせる機会がこれまで数えるほどしかなかったとはいえ、殿下が国を背負う者としての自覚をお持ちならば、大事な婚約者を右も左も分からない土地で放り出すようなことはしないだろう。

相手が王族とはいえ、わが公爵家はお前が殿下や周囲の人間に気後れするほど心許ない家柄ではない。

いずれは夫婦として支え合う相手なのだから、困ったときは頼りにしなさい」


今朝の悪夢が、ルナーリアの頭を過ぎる。

けれど、何も知らない両親を不安にさせるわけにはいかない。

ルナーリアは動揺を表に出すまいと、食事の皿から目線を上げ、クラウスとしっかり目を合わせた。


「はい」


懸命に微笑を維持しきった自分を、褒めてもいいと思う。




* * *




その日の午後、ルナーリアは教会に来ていた。

聖者を信仰する教派はルナーリアの苦手とするところではあったが、この教会は聖教にしては珍しく、聖者や聖女の像を置いていない。

不思議だとは思うけれど、不自由はない。

むしろ信仰すべき対象がいない教会に足を運ぶ信者は稀有なので、大抵はルナーリアの貸し切り状態である。

家人の目が届かない上、静かに考え事ができる場所として、彼女はよくここに足を運んでいた。


ここ、ルナーリアの母国グランティエでは、お茶会や夜会など、貴族が主催し、国の許可を得た公の場以外への女性の外出は好まれない。

だが、例外的に教会に赴くのは信心深さの表れであるとして歓迎されている。


遊びたい盛りの紳士淑女たちが、しばしば信仰心を隠れ蓑にして街へ繰り出すのは、最早公然の秘密と化しているが、ルナーリアは外出と言えば本当に教会へ行くか、国立図書館へ足を向けるくらいだ。

幼少期から婚約者が決まっており、その相手が相手であるだけに、滅多な行動はできないという自制が半分。

もうあと半分は単純に、そうまでして遊びたいという気持ちが芽生えないからだった。

彼らは、きっと刺激や出会いを求めているのだろうが、ルナーリアにはそのどちらも必要ない。


彼女には既に心から慕っている相手が居り、あとはその人と穏やかに想い合って過ごすことが望みだ。

そんなささやかな願いしか、彼女は持ち合わせていなかった。


しかし、そんなささやかな願いも、叶えるのは至難の業かもしれないと、ルナーリアは予感している。

全てはルナーリアが見る、予知夢のごとき不可思議な夢のせいだった。


侍女をいつものように少し離れた所に待たせておくと、ルナーリアはステンドグラスの前に跪き、顔の前に手を組んで瞑目した。

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