守り人ウェルと夕凪の刻
二人は森の入り口に戻ると、そこで待っていてくれたそれぞれの愛する人の腕の中へ飛び込んだ。
「ただいま、ダン……」
「ん……お帰り」
こうしてお互いのぬくもりを交し合えば、それ以上の言葉は要らないように思える。
きっとそれは、リアンとロギも同じだろう。
馬車の中にいたマルコムとエリシスも二人に気付き、足早にこちらに向かってくる。
「おお、ご苦労さん。役割は果たせたかの?」
アミーナはダンの腕から離れ、マルコムに微笑んだ。
「はい、無事に……。でも私たちの本当の役割は、それぞれの地を守っていくことだから」
「よう言うた。その通りじゃ」
マルコムが目を細め、鷹揚に頷く。
すると、エリシスがダンに向かって妙な事を言い出した。
「ダン、今マルコム老とも話していたんだが……。お前、その予知の力はいつからあったんだ?」
ああ、とダンが思い出したように目を上げる。
「いつからかなぁ。でもいつも見える訳じゃないんだ。ホントにたまに、かなり追い詰められた時なんかに、ちょっと後の映像が見える事があるんだ。予知なんてたいそうなものじゃなくて、予感くらいに思ってたんだけど。やっぱり俺って才能に溢れてるんだな」
カカカと笑って胸を反らすダンの頬を、エリシスがムニッとつまんだ。
「いててて! なんだよ親父、そんなガキん時みたいな真似……」
「それ、ウェルの守り人の能力だったんだよ」
「……あん?」
目を瞬かせるダンの後ろから、ロギが興味深げに顔を覗かせる。
「ウェル? 予知能力を持った守り人がいたんですか。どなたです、影の方でしょうか」
エリシスはダンの頬から手を離し、少し考えるような素振りでロギに答えた。
「ウェルガード・グレーデン……ダンの兄ですよ。もうとっくに死んでますがね。生きていればロギユール殿と同じ歳まわり……いや、ひとつふたつ下か」
「ああ、そう言えば以前ダンから聞きました。大変、才のある子だったとか」
「ふーん、兄貴の力ってそれだったんだ。生きてりゃ、さぞ便利な守り人だっただろうに」
事もなげにそう言ってダンが頭の上で手を組む。
「うむ。生きていれば……」
「……守り人?」
はたとエリシスとロギが顔を見合わせた。
「……ねえダン、ホントにお兄さんなのに会った事ないの?」
アミーナも少し気がかりでダンの袖をツンツンと引っ張ってみる。
「ん? ねえよ。俺が物心つく前から兄貴と親父は修行の旅暮らしだったし、俺が修行に出る頃にはもう死んでたからな」
エリシスが顎を撫でながらのんびりと言う。
「うーん。そう言えばそうか。ダンは守り人の覚醒が遅かったし、おまけに喘息があって母親が亡くなるまでは家で暮らしていたから……。だがお前が三歳くらいの時、確か一回家に帰ったからウェルに会ってるはずだぞ」
「アホかっ! そんな一度だけ家に来たお客さんみたいな奴を三歳のチビが覚えているわけないだろ」
ダンの抗議をよそに、エリシスは遠い目をして当時の事を話し始めた。
「ウェルは予知の力を差し引いても、子供とは思えぬ戦闘能力だったよ。いわゆる天才だな。……だがたった十歳の幼さで崖崩れに巻き込まれて逝ってしまった。予知したかもしれんが、本当に大きな事故で私も助けられなかった」
一心に耳を傾けるアミーナに向かって、エリシスがふと微笑む。
「皇女、ウェルは一度だけあなたにお会いした事があるんですよ。ヴォックスに用事があって、数日エデンの町に滞在した時に。当時我々は面倒事の請負なんかもしていて敵も多かったですし、まだ時期尚早とも思い、会ってはいかんときつく言っておいたのですが一緒に遊んだと言っていました。覚えていらっしゃいませんか?」
するとロギが、あっと声を洩らした。
「そう言えば一度だけ知らない黒髪の男の子が屋敷の花畑に入ってきて、遊んだ事があります。私の事をおかっぱ頭と笑って。覚えてないかいアミーナ、君はまだ確か三歳くらいで……そうだ、かけっこをした。アミーナをおんぶしてその子は走ったんだ。どうしても私に勝てなくて、アミーナを降ろして走れと言ってもそれじゃ意味がないとか言って……」
ふいにあの日の風が吹いたような気がした。
あの花畑。
おかっぱのロギ。
黒い瞳、そして黒髪の男の子……。
「私……そうだわ、その子におんぶされて揺れて落ちそうになるのを必死で背中にしがみついてた。最後にはみんな転んで、花畑で大の字になって。ロギが笑って私も笑って……その子も大笑いしてた」
アミーナが目を見開いて顔を上げる。
「思い出した……! 私、ダンと遊んだことがある」
ダンが呆れたように大きくため息をつく。
「俺じゃないって……。俺がアミーナを盗み見した時はロギは背中くらいまで髪長かったし、アミーナも七、八歳くらいだった。なによりその……俺は出て行けなかったって言ったじゃないか。それは兄貴だよ」
「でもその子……ダンにそっくりだった」
「うん。ダンの変身した姿に良く似ているね。背丈も髪形も、意地っ張りで口が悪いところも……笑い方も」
ロギも懐かしい記憶を辿り、目を細める。
その隣でエリシスが真面目な顔でダンに詰め寄った。
「そういえばそのすぐ後だ。ウェルが事故で死に、ダンに変身能力が覚醒したのは。……もしかしたら、自分も皇女を守りたくてお前の中にいるのかもしれないぞ」
ダンが呆然として、自分の顔をペタペタと触る。
「じゃあ、今まで時々先の事が見えたのは……。い、いや、そんな馬鹿な。でもおんなじ姿だって言うし……え、ホントに俺の中に居るのか!?」
「冗談だ、バカたれ。そういう所がウェルとは全く違う」
その場の全員が笑うと、アミーナがふと遠く空を見てダンの腕に手をかけた。
「……そうだとしても、もうすぐお別れよ。ほら、夕凪の刻がきた……」
森の木漏れ日がオレンジ色に変わり始める。
それは皇女として迎える最後の夕凪の刻。
「日が落ちればみんな普通の人間に戻るわ。お兄さんともきっとお別れだね……」
そう呟いて、アミーナはダンの耳をつまんだ。
ダンが見る間に縮んでいき、また十歳の男の子の姿になってしまう。
「……こら、何しやがる」
「形だけでもウェルにお礼を言いたいの。いいでしょう?」
アミーナはダンの前にしゃがみこみ、その黒い瞳をじっと覗き込んだ。
「ウェル、今まであなたが守ってくれていた事に気がつかなくてごめんなさい。おかげで無事に社の儀式を済ませることができました」
ダンがアミーナの瞳にニッコリと笑いかける。
「私ね、あなたの弟さんを好きになったの。もうすぐただの人間になるけれど、これからは弟さんが私の守り人。だから安心してね。今までありがとう……」
アミーナが小さなダンをぎゅっと抱きしめる。
ダンはその背中をポンポンと優しく叩くとアミーナの頬を両手で挟み、唇にそっとキスをした。
「……!」
揺れる黒曜石の瞳が伏せられ、そしてアミーナも瞼を閉じる。
その時、辺りは見る間に暗くなって夕凪の刻は終わりを告げた。
ダンの身体が大きくなり始め、その唇が離れていく。
気が付くと、皇女と守り人達全ての者から光る霧がたち、高く空へと昇っていった。
誰もが何も言わず、ただその霧を見送る。
紛れもなく、この光は自分たちの一部だった。
少し寂しいと思うのはアミーナだけではないだろう。
でもこれからは自分達の力だけで進む。
自分達はこの道を選んだのだから。
これからも過ちは繰り返され、その度に涙を流すのかもしれない。
それでも人は全てを分け合い、明日を信じて生を紡いでいくのだ――。
最初にポツリと言ったのはリアンだった。
「……行ってしまったのね……」
「ああ。でも私たちにはやることが沢山ある。振り返ってばかりはいられないよ」
ロギがリアンの肩を抱き寄せた。
「アミーナ……」
すっかり元の身体に戻ったダンがアミーナを呆然と見下ろしている。
「なあに……?」
アミーナがダンを愛おしげに見上げる。
もう小さくなることはない。
一緒に生きて、歳をとっていくのだ。
「今のキス、俺じゃない……」
「……は?」
「兄貴にじゃんけんで負けて……意識取られた。でもあいつ、今思うと俺が何出すかわかってたんだな。くっそー、やられた! て言うか、居た! あいつやっぱり俺の中に居たぞ!」
悔しさと動揺であたふたと騒ぐダンに、アミーナが思わず吹き出す。
「何笑ってんだよ! 大体、お前もお前だ。何で俺じゃない事くらいわかんないんだよ!」
「わかんないわよ、そんな事。いいじゃない、ダンの身体なんだから」
笑顔のアミーナに、ダンはやはり逆らう事など出来ないようだ。
「……ふん、しょうがねえ。一回だけ餞別にくれてやるよ。……もう戻ってくるなよな」
二人が手を繋いで空を仰ぐ。
うっすらと赤紫色が残る夜空には、もう無数の星が瞬き始めていた。




