二人のナイト
「この店で最後だ。早く来い」
ロギが町の居酒屋に、ずかずかと足を踏み入れた。
「なんだよー。なんかさっきからずーっと怒ってないか?」
続いてダンがチョコチョコとその後を追う。
居酒屋は大変な賑わいだったが、幸いにも空いていた小さなテーブルを見つけ二人は席についた。
「お前がアミーナに変なことを言うからだ」
普通の客を装うためにもロギは簡単なつまみとワイン、ダンにはケーキを注文する。
「いいじゃんか。そのおかげで上手く煙に巻いて、すんなり出てこられたんだから。大丈夫、アミーナは何の事かわかってないよ」
「それはそうだが……、万一私がそういう人間だと思われたら信用問題にかかわる」
すぐにテーブルに注文の品が運ばれ、二人は揃ってウェイトレスにニッコリと笑顔を向けた。
「私は日頃から、アミーナ以外のものに心を奪われる事がないように気を付けている。他のものに執着すると、いざと言う時迷いが出るからな」
ワインをロギが一気に煽るのを、ダンはケーキを口に運んびながら怪訝な顔つきでじっと見つめる。
「……ロギって二十歳は越えてるよな。まさかその精神で、いまだに清いカラダ……?」
「だからなぜ子供のお前がそういう事に精通してるんだ! ……まあ、それとこれとは話が別だ。心さえ囚われなければ何の問題もない」
ロギはしれっとそんな事を言い、またグラスにワインを注いだ。
「うわ……なんかタチ悪ぃ。うちのエロジジイと同じタイプか」
「ん? それはまさかエリシス殿の事か? ふうむ、あの方が……。人は見かけによらないものだ。実に理想的だな」
ロギが穏やかに微笑む。
その優しい雰囲気と中身はどうやら随分と違うようだ。
「うん。やっぱ俺、ロギとはうまくやれそうだ。ところで後ろを見てくれ。……振り返らずに」
ダンは口にくわえたフォークでわずかにその方向を示した。
「全くお前は……無茶ばかり言うな……」
ロギは銀の水差しでグラスに水を注ぎ、それをテーブルにドンと置いた。
そしてさりげなく、僅かに水差しの角度を調節する。
よく磨きこまれた水差しの側面が、ロギの後ろの様子を映し出した。
「あれは……」
「どーお?」
ダンが可愛い声で、白々しく小首を傾げる。
「間違いない、当たりだ。ただの商人があんな底に布を張った靴を履いているわけがない。足音を消すための用心だろう」
「ていうか、その手の気配がダダ漏れ。どうみてもありゃ、素人だなぁ」
ダンが笑いを噛み殺して、ケーキを口に放り込んだ。
その男は、室内なのに帽子を目深に被り、目だけは油断無くあたりを窺っている。
周りの客の会話に聞き耳を立てているようにも見えた。
「どうやる?」
ダンが楽しそうに聞くと、ロギはちょっと考えてから作戦を耳打ちしてくる。
「えー? それじゃ、俺の出番少ないじゃないか。つまんねーよ」
「いいや、お前の役は重要だ。お前の演技力と可愛らしさに期待してるよ」
ダンの頭をくしゃっと撫でてから、ロギは席を立ち食堂の奥にある手洗いに消えていった。
「なんだよ……ロギの奴、自分ばっかり楽しんでないか?」
ブツブツとぼやきながらも作戦は決行。
ダンは頃合いを見計らって席を立った。
「ごちそうさまぁ。すっごく美味しかったー」
演技の声でそう叫ぶと、テーブルの食器を重ねて片付け始める。
ダンはクリームのペッタリ付いたフォークをうまく親指で押さえ、例の男の方へ歩き出した。
そしてすれ違いざま、親指をうまく滑らす。
「ああっ! ごめんなさーい」
クリームの付いたフォークは見事に男の膝の上におち、ズボンを汚した。
男は椅子から飛び退き、自分の膝を唖然と見下ろしている。
「何やってるんだ、このチビ!」
男がダンに向き直り、眉を吊り上げた。
「ごめんなさい、お兄さん。ああ、ボクなんて不注意なんだろう。こんなカッコいいお兄さんの服を汚しちゃうなんて。早く水で落とさないとシミになっちゃう」
ダンが申し訳なさそうに目を潤ませると、男は可哀相になったようで語気を和らげた。
「あ、ああ……。まぁいいよ。拭けば落ちるだろうし……」
「僕、マスターに言って布巾をもらってくる! お兄さん、先におトイレに行ってて」
「ん……そうか。そうだな」
素直に男が席を立ち、言われるままに手洗い場に向かっていく。
「……はい、一丁あがり。ホントに悪ぃな、オッサン」
男の後姿を見送り、ダンはププとほくそ笑んだ――。
――その後、ロギが手洗から戻って来るのを待って、二人は悠々と居酒屋を後にした。
「やはり、今回の旅の日程とルートを探っていたらしい。見知らぬ男に雇われて、屋敷の周りを見張ったり、町の噂なんかを拾ったりしていたそうだ。雇われ者なんで、あまり情報は得られなかったよ。とりあえずトイレのフックに吊るしてきた」
思った通り、今回の儀式の妨害を企てている者が存在する。
敵、と呼んでもいいだろう。
どうやら快適な旅と言うわけにはいきそうにない。
「ふうん。やっぱりそういうコバエが動き出してるんだな。ロギもそれを確かめに来たんだろ? 買い物どころか、宿屋や食堂ばかり覗いてるじゃないか。だと思ったから俺もついてきたんだ」
ダンが得意げに鼻を鳴らしてみせる。
「本当にお前は賢いな。……さあ、帰ろうか。明日は早いからな」
ロギはそれだけ言うと、ダンの背中を押して宿屋街を抜け、商店街に出た。
「ああ、待っててくれ。この菓子屋に寄っていきたいんだ」
ロギが傍の小さな店に入っていくと、ダンもなんとなくその後に続く。
店の中は色とりどりのキャンディーや焼き菓子の甘い匂いで溢れていた。
(こんな店でいい大人が何を買うんだ?)
そうは思ったがダンは珍しい音符の形のキャンディーを見つけ、何気なく手に取った。
少量ずつ、小分けの袋に入っている。
「おお、それじゃ! わしが求めておった、ぐるぐる模様のキャンディーは!」
突然、ダンの手にしたキャンディーを取り上げ、一人の老人が嬉しそうに声をあげた。
「くぉらっ! ジジイ! それは俺が最初に見つけたんだぞ!」
欲しかった訳ではなかったが、思わずそう叫んでいた。
老人は怪訝な顔でダンを見つめている。
「なんじゃ、ぼうず。わしに取ってくれたんじゃないんかの? 同じやつならほれ、そこにあるじゃろ」
「え? どこ?」
そう言われて商品棚を見回したが、同じ音符の形の物はない。
「なんだよジジイ、どこにあるって?」
振り向くとそこにはもう、老人の姿はなかった。
ダンはキョロキョロと辺りを見回したが、やっぱり見当たらない。
「あ……やられた! くっそー!」
横取りされたと思うと、急に残念になってくる。
アミーナに買っていってあげれば、喜んだかもしれないのに。
(しょうがない。これでいいか)
ぐるぐる模様に影響されて選んだのは、蜜色のカタツムリ形のキャンディー。
ところが、ダンが支払いをしようと会計に行くと、やけに高価だ。
店員にそれを問いただすと、信じられない返答が返ってきた。
「え? 先程のおじいさんの分と合わせてその値段です。孫の君が払うからって、もう出て行ったわよ。どうぞお支払いを」
ダンの口が開いたままパクパクと鯉のように動く。
「あんの……クソジジイー!」
――そんなハプニングに見舞われながらも、ダンとロギは賑わう町でそこそこの収穫を得て、帰路についた。
「それで、そのご老人の分も払ってきたのか! あっははは!」
ロギが、ふくれっつらのダンの頭をポンポンと叩いて笑う。
「いいよ、もう。でも金の事よりも騙された事の方が悔しい」
ダンはもう、頭を叩くロギの手に抗議する気力もない。
「ところでさ。俺が持たされてる、この大量の菓子はなんなの?」
「ああ、それはアミーナへのお土産だ。その店の砂糖菓子は彼女の大好物なんだ。しばらくエデンには帰れないからな」
荷物を持ち上げたまま、ダンは呆れ顔になって、はぁーっとため息をついた。
「あんたの頭の中は本当にお姫様の事でいっぱいだな。可愛いっちゃ可愛いけど、色気はねえし、能天気で悩みとか全然なさそう」
「こらこら、何を言う。アミーナは素敵な娘だぞ。惚れるなよ」
「俺はしっとり美女が好みなんです。まあ、ロギに見捨てられたら可哀相だから拾ってやるかな」
夜道を歩きながら声を揃えて笑う。
笑いながらダンは、アミーナへのお土産のキャンディーが入ったポケットの膨らみをそっと荷物で隠した。