賭けの勝敗
「賭けに乗れよ、アミーナ。もしお前が勝てば、あの最後のキャンディ俺に食わせられるぞ」
「マグナ……?」
「もう、何を憎んでいたのかもわからなくなっちまった。リアも完全に俺の手を離れた。正直、この世界になんの未練もない」
首筋に触れるダガーの切っ先も構わず、アミーナは濡れた瞳でマグナを見上げた。
見返す彼の目は静かだが、その奥にはやはりまだ燻る炎が見える。
「だが生きている限り俺は止まらない。邪魔する奴は全て消し、どんな手を使ってもセルゲイは武器商の地として再興する。それが俺の生きる証だ。でもお前が賭けに勝てばこの歩みを止められる。負ければ……俺と一緒に生か死か、どちらかに行く事になる。一人くらい俺の手の中に残ってもいだろう」
「一人くらい……」
ルシルはためらいなくマグナを置いて死を選び、おそらくシーバスももう居ない。
そして今またリアンが離れていった。
不器用なマグナが歪に愛した人たちは、全て彼を置いて行ってしまう。
一人になったマグナは止まれない。
ただ全てをなぎ倒し、闇を突き進むだけだろう。
その身が燃え尽きるまで。
「どんな賭け……?」
問いかけると、マグナは少しいたずらな瞳を細めた。
「例の飴、お前が先に口に入れるんだ。しばらく吐き出さずにいられたら……後は俺が貰ってやる。口移しでな」
人差し指を自分の唇の前に立てて彼は笑う。
「すぐには薬も溶け出さないだろう。俺が貰う前に怖くなって吐き出したらお前の負け。その時は、お前を連れてこの場から一旦引く。そして計画を進めるだけだ。ベットのポイントは、本当に俺がそんなものを途中で貰うのかって事だな。……罠かもしれないぞ」
「……わかった」
うなずく静かな瞳の色に、マグナの顔から笑いが消える。
アミーナはポケットの中から蜜色のかたつむりを取り出した。
「生きてる私が手の中にあったら、あなたはそれを盾に罪を重ねるだけ。私はエデンの皇女だから……エデンと大好きな人たちを守りたいの。覚悟とさよならは昨夜のうちに済ませてきたから」
アミーナはためらいなく包み紙を開き、キャンディをポンと口に放り込んだ。
「なっ……!」
「待たなくていいよ……今、噛み砕くから、そしたら貰って……」
マグナがダガーを放り出し、アミーナの頬を掴む。
「正気か? 出せっ! 今すぐ吐き出すんだ!」
ぶんぶんと横に振る顔を押さえつけ、固く結んだ口を指でこじ開ける。
「……! そうだ、力ずくじゃ割れちまう……!」
マグナが手を緩めると、アミーナは泣き笑いのような顔になった。
「罠なんて有り得ない。私が……一緒に逝ってあげるよ。だからもう、終わりにしよう」
そして僅かに唇を開く。
「噛むな!」
マグナはアミーナを引き寄せ、その唇をふさいだ。
「…………!?」
「力抜け……。今度は……舌を噛むなよ?」
頭と腕を掴まれて身動きが出来ないまま、マグナの舌がアミーナの中を探る。
「――――ダン! 奴のダガーが落ちた。……アミーナ!」
ロギが叫んで駆け出す。
しかしダンはその場から動けないままだった。
「あいつ……今何か口に入れた……? まさか……!」
雷に打たれたようにダンが立ちすくむ。
――やがて、マグナの唇がそっと離れた。
「……どうして」
アミーナが愕然とマグナを見つめる。
「お前、下手くそだな。もっとちゃんと教えてもらえよ。あの黒髪の……チビに」
マグナは一歩後ろに下がり、口の中の物をガリッと噛み砕いた。
声にならない悲鳴がアミーナからほとばしる。
「でもまあ、鉄の味より悪くはなかった……甘ったるいキスってのも…………。グボッ……!」
マグナの口から湧き上がるように吐き出されるおびただしい量の鮮血。
それは胸を赤く染め、まるで赤い服の道化師のように見える。
糸の切れた人形のように膝が折れたマグナを、アミーナは茫然と見下ろした。
「……どうして? 私は一緒にって……。今度は、賭けに負けたの……?」
マグナと同じように膝をつき、赤く汚れた口元を拭ってやる。
「いや……また勝った。俺は、お前が一緒に来るつもりでいる方に……賭けてた。俺が勝ちでお前は負け……だから、連れて行って……やら、ない……。ガハッ!」
自らの赤い海の中に、マグナは崩れ落ちた。
「アミーナ! 無事か? これはどういう事だ。……奴はいったい……?」
駆けつけたロギが肩を抱き寄せ、引きずられるようにしてマグナから遠ざけられる。
「リ……リアーン!」
アミーナが叫ぶと、リアンはビクッと肩を震わせた。
「リアン、リアン! ここへ来て。傍にいてあげて! マグナはあなたの事、憎んでなんかいない……。誰よりも……あなたを……! お願いリアン!」
弾かれたようにリアンが駆け出す。
どこか遠くを見ていたマグナの目に、彼女の姿が映し出された。
彼の瞼の裏に見えるのは、まだわずかに幸せだった頃の小さなあどけない少女の姿。
「リア……また、泣いてるのか……。そんなに走るな……また、転ぶ……。俺はここに居るから……いい子だから、泣く、な……」
焦点の合わない瞳で、リアンに向かって微笑む。
「……地獄の入り口でまた俺が割り込んで行ったら……二人ともどんな顔するかな……」
マグナはうっすらと笑うように、動かなくなった。
それに気づかないアミーナがリアンを呼び続ける。
「早くリアンーー! マグナが、逝っちゃう……早く……!」
そこで我に返ったダンも駆け出し、狂ったように叫んだ。
「やめろアミーナ! もう喋るな、お前……!」
「リアーン! 最後だから……傍にいてあ……ゲボッ!」
ロギが腕の中のアミーナを食い入るように見つめる。
「ア……ミーナ……?」
「ゲホッ! ゴホッ! ……あ……ゴボォッ!」
両手で口元を隠しても、抑えきれない程の血の雫がアミーナの指の間から滴り落ちた。
割れるほどの鼓動を打ち始めた胸に目を落とすと、そこはジットリと濡れ、真っ赤な花弁を散りばめた様に妖しく染まっていく。
「お前……さっき何か口に入れたな……。何に毒を仕込んだ」
いつの間にか傍にダンが立っていた。
その彼の言葉に、ロギとリアンが蒼白になる。
「ダンのくれた……かたつむりキャンディ……。はあっ……。たき火で針をあっためて……真ん中を溶かして……そこに、詰めた……」
「何の……毒だ?」
震えるダンの声が、やけに遠く聞き取りにくい。
「ゴボッ……! ……懐中…どけ、い……」
その正体にロギが悲痛に呻く。
「いつの間に……! やはり荷物になど隠さずに身に付けておけば……」
ダンが目を閉じ、嗚咽を堪えるロギからそっとアミーナを受け取り膝の上に抱いた。
温かい胸と草の香りは、まだアミーナに僅かに届く。
「ヴォックスとマリカを助けたかったの……。それに、最初からこうするつもりだったから……。私が生きてたら、それを盾にどんな恐ろしい事をするか……。でも……最後にあの人、私から全部キャンディ取っちゃった……。自分、一人で……」
「その前に、もう薬が溶け出してたんだろう。バカやろう……」
アミーナの頬にひとつ、ふたつと温かい雫が落ちた。
「……泣いてるの? ダン、ごめん……ね」
抗えない身体の重さと遠のく意識に、アミーナの瞳がゆっくり閉じていく。
「お前嘘ついたな。二人でエデンに帰ろうって約束したのに。……寝るなよ、アミーナ」
アミーナは目の前の黒曜石の瞳に、最期の力で微笑んで見せた。
「眠い……もん。ダン……だい、す…………」
ロギが唇を硬く結んだまま蒼い目を閉じ、リアンがその胸に顔を埋める。
だがダンは動かなくなったアミーナの頬を指先で突つく。
「……寝るなって。こらアミーナ、よく聞こえなかったぞ。ちゃんと言えよ。ほら、言ってみ。ダーンー……」
「よせ……。ダン」
ダンの肩にロギがそっと手を置いた。
その手を払いのけてダンは続ける。
「言えよ、アミーナ。目ぇ開けて言えよっ! だ、い、す、き、だろっ! 言えよ、アミーナ。言えよ!!」
アミーナを抱いた腕を揺らすと、その顔がコロリと反対を向く。
「やめろ! ダン!」
「うるせえっ! アミーナ! アミーナ! う、あああぁぁぁっ!」
絶叫が、静かな森にこだまする。
認めてしまったら終わってしまうかのように、ダンは叫び続けた。




