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虹彩レジェンド~purple iris princess~  作者: 花凛兎
泡沫の夢~ウタカタノユメ~
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死神は愛に逝く



 そこに立つルシルはどこかいつもより艶めいて、自分の妻であるのに触れる事すら戸惑うほどに美しく……そして遠い。



 それがマグナのせいだと百も承知。


 そう促したのは、誰でもないこの自分。



 それでもシーバスの胸を焦れた炎が舐めていく。




「……あなたがマグナに私の所へ行けと言ったそうですね。私はそれにごめんなさいと言うべきですか。それともありがとうと?」



「どちらの言葉も要らぬ。……今、あいつは?」



「眠っています。お薬を飲ませたから……全部終わるまでは目を覚まさないと思うわ」



 何気ないその言葉に、シーバスの燻ぶる炎が冷たい恐怖に変わる。



「あなた……私のかねてからの望みをやっと聞き届けてくださって感謝しています。そろそろリアを連れて例の場所に参ります。どうか手はずに変更なきよう……」



 深く、静かに腰を折るルシルに、これまで抑えていたシーバスの全てが弾け飛んだ。



「ルシル……!」



 背を向ける前に、消えてしまわぬように、シーバスは愛する妻の細い身体をきつく抱き寄せる。



「今なら間に合う……! もうやめてくれこんな事。こんな風にお前を失っては、私は何の為に今まで……!」



「そう……。私という疫病神が取り憑いたから……あなたはこんなにも多くの罪を重ねてしまった。ごめんなさい……あなた、ごめんなさい……」



 シーバスの耳元で、震える声が細くたなびく。



「お前が疫病神ならば、私は死神で構わない。こんな事をしなくとも、私が必ず……なんとしてでも必ずリアントロナを社皇女に立てる! だから……!」



「それではダメなの……。もう、いいのよシーバス……」



 ルシルがシーバスの胸に耳を当て、腕の中から窓の外を見やった。


 まだ夜の明けきらぬ紫色の空。

 どこまでも透明な、そしてどこまでも凛と張り詰めた大気。



「この地はこんなにも美しい……。何かひとつ小さな花が咲けば……セルゲイは生まれ変われる。その花を糧に、眠っていた人々の力も呼び覚まされるの。私はその(いしずえ)になる……。あなたの罪も私が全て持って逝きます」



 ルシルの冷たい指先がシーバスの頬を伝う。



「私はあなたと出会って幸せでした。あなたでなければ、私をここまで理解して、こんな満ち足りた思いで逝かせる事はできなかった。でも、もういいの。こんなにも優しいあなたを狂わせて……それなのに、他の人を愛した妻の事など忘れてください」



「構わん! マグナが必要なら傍に置けばいい。だから……!」



 ルシルの指がシーバスの頬から唇に滑り落ち、なりふり構わぬ想いをせき止める。



「私には夢のような時間でも、マグナにとってよくある一夜よ。……この想いは、私への罰なの。こんなにも優しいあなたに罪を重ねさせてしまった私への罰。それなのに、あなたはその罰でさえも私と一緒に受けようというの」



「どこまでも、一緒だ」



「……では、先に地獄へ堕ちて待っています」



 強張るシーバスの頬に冷たい唇が触れ、ルシルが腕の中からすり抜ける。



「……それでも、逝くのか」



 答えの代わりにルシルはふわりと微笑んだ。



「どうしてもと言うなら、この場で私が……」



 ふいに視界が滲むように揺らぎ始める。



「それもダメよ。私を殺める感触が手に残れば、あなたは間違いなくすぐに追ってきてしまうもの。シーバスお願い、リアを……セルゲイを……守っ……」



 ルシルが背を向ける姿が白く霞んでいく。


 遠く、遠く、それは霧の中に掻き消され、何かに引き込まれるようにグンと意識が持っていかれる。






 ――気が付くとアミーナは、元の小さな小屋のベッドサイドで座り込んでいた。



 右手を絡ませたマグナのくわえ煙草から灰がポトリと落ちる。



 銀色から元の薄茶色の瞳に戻ったアミーナの頭に、大きな手のひらがポンと乗った。



「……なんでお前が泣く」



「え……」



 自分でも気付かないうちに涙がこぼれている。



 垣間見た短い時の中で実感した、激しく深く、愚かな愛の形。


 この人達が最初に選び間違えたのは、どの道だったのか。



「人の事を罪だ罰だと言いやがって。忘れてたよ。あの人はとんでもなく鈍い女だった。……なにがよくある一夜だ」



 マグナはそんな悪態をついてアミーナと繋がった手を離した。


 同じようにシーバスも手を外し、床に落とした煙草を踏み消すマグナを見上げる。



「……わかっただろう。お前の計画ではルシルの望んだセルゲイは得られない。手を引け。お前にはまだ、その後のセルゲイを見届けてもらわねばならん」



 だがマグナはそれに答えず、アミーナの頭をポンポンと叩いた。



「おい、そろそろ時間だ。行くぞ」



「え……行くって、どこに?」



 アミーナが袖で涙を拭ってマグナを見上げる。



「社の森に決まってるだろう。取引をしに行く」



「なっ……!」



「マグナ!」



 アミーナとシーバスは同時に声をあげた。


 マグナが武器を検め、再び腰に差しシーバスを見つめる。



「俺が何人、消してきたと思ってるんだ。今更引けるか。それに俺はもうルシルとの約束で動いている訳じゃない。これが今では俺の生きる意味だ。あんたはあんたのやり方で手を引けばいい。俺は俺のやり方を通す」



 マグナの目には一筋の迷いも見られない。



「全く……そういう所は治らないな。先の先まで読むくせにどこか言葉が足りない。それじゃあ周りは理解しにくいだろう」



 呆れたように吐き捨てるシーバスに、マグナが苦笑いを返す。



「それはお互い様だろう。でもあんたはまだいいじゃないか」



「……? 何がだ」



「行き先がたとえ地獄でも、ルシルが待ってくれている。やっぱり俺は、一人置いてきぼりだ。昔から何一つあんたには勝てなかったが……またおれの負けのようだな」



 それにシーバスは初めて明るい笑みを見せた。



「ははは、仕方ないだろうそれは。ルシルの夫は私だ。それくらいの特権がなくては、お前のような面倒な男と一緒には居られまい」



 二人の男が互いに見つめあう。


 まるで二人だけの会話が続いているかのように。



「……じゃあな」



「ああ……」



 短いあいさつが済むと、マグナはアミーナを有無を言わせず抱き上げた。



「行くぞ」



「ねえ、本当に行くの? もうやめ……」



 マグナは一瞬で外に跳び、今までいた小屋を振り返る。


 見上げたその虚ろな横顔に、アミーナは息を飲んだ。



「……待って。小屋に戻ってマグナ! シーバスさん……あの人、きっと……!」



「一人にしてやってくれ」



 マグナが静かにアミーナに目を落とす。



「やっぱり……あなたも気付いてたのね。だったらどうして放っておくの!」



「それがあいつのけじめの付け方だからだ」



「…………!」



「あいつの薬は本当に沢山の命を奪った。元々は医者だからな、そんな事ができる奴じゃない。……一人にしてやってくれ」



 アミーナはマグナの胸元を掴み、頭を振った。


「そんなの……おかしいよ。どうして人を傷つけ、自分を傷つけなくちゃいけないの。皇女なんかあてにしないで人の力と知恵で未来を創ろうとは考えないの? 人間にはその力があるわ。どうしてそんなこともわからないの!」



「わかっているさ、誰もがみんな。だがな、心が弱っていると人間は自分の力を信じることができない。だから自分の力ではないものに執着する。俺たちもわかっていながら皇女をめぐる争いの螺旋から抜け出せないでいる。どこかで自分が納得するまで傷つけあわないと立ち止まれないんだ」



 わからない、わかりたくない、嗚咽でその言葉が出せずにアミーナはただマグマの胸元を掴んで揺さぶるだけ。



「……お前は本当によく泣くな。泣いたって事態は何も変わる事はないんだぞ。覚えておけ」



 視界がまたビュッと流れた。


 マグナの今の言葉は、ダンがよく言う台詞と同じ。



 ダンとマグナはどこか似ている。


 先読みはするが、ぶっきらぼうで言葉が足りない。

 だが、心を許した者には自分の全てを投げ出す。


 それが途中で断ち切られたとしたら……?



(立場や環境が違ってたら、ダンもこんな風に生きるのかもしれない……。だとしたら、私は……)



 流れる景色が少し見覚えのある森に移った。



「そろそろだぞ、アミーナ! ショータイムの始まりだ」



 風になって跳ぶマグナが楽しそうに目を輝かせる。



 かえってそれが、アミーナを急速に不安へと誘った。






 ――――シーバスは懐中時計のリューズを反対に廻し引き抜いた。


 中の液体がちゃぷんと揺れて煌く。



「……誰が抜いたのやら……。悪用されないといいが……」



 ひとりごちて、ワインの入ったグラスにその液体を注いだ。



 時計をテーブルの上に置き、護身用のダガーを振り下ろす。

 ガシャンとガラスが割れ、そこに彫られた調合法も粉々に砕け散った。



 ふと自嘲気味にシーバスが笑みを漏らす。



「ま……悪用した私が言うのもおかしな話だがな……」



 グラスを手にし、ワインを回しながら芳醇な香りをゆっくりと楽しんだ。



「待たせたなルシル。何年経っても、私という死神はお前という疫病神の傍がやはり恋しいようだ。……セルゲイと、愚か者たちに……乾杯」



 そしてシーバスは煌くグラスを高く掲げた。




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