堕天使の素顔
(この人が、リアンのお父様……)
なぜかその意識の方が先に立った。
悪魔の薬で両親と、さらに多くの人の命を奪った人だというのに。
シーバスはアミーナには目もくれず、ツカツカとマグナに近づき手を差し出す。
「懐中時計を受け取りにきた」
マグナは小さく舌打ちをしたが、すぐに立ち上がり懐中時計をシーバスに手渡した。
そして傍の椅子を乱暴に引き寄せ、背を抱えるようにして反対向きにまたがる。
「全て片付けてから屋敷にお持ちするつもりだったんですがね。随分とせっかちな事で」
「せっかちとも言えまい。取り戻せと命じてから随分日が経ったように思うが」
こともなげにそう言うと、シーバスはパチンと蓋を開け時計を検めた。
アミーナの心臓が密かにドキリと鳴る。
シーバスは僅かに片眉を上げたがすぐ蓋を閉じ、時計をローブにしまい込んだ。
「確かに。ご苦労だった」
「ちょうどいい。この前の返事を聞かせてくださいよ。どうです、決心はつきましたか」
気軽な調子で問うマグナをシーバスは軽く睨み、次に今まで見向きもしなかったアミーナをちらと盗み見た。
「ああ、こいつなら気になさらないで結構です。全部知ってますから。実に悪趣味な神力を持ってましてね……他人の記憶と同調出来るんですよ。さっき洗いざらい俺の昔を覗かれました」
「過去の記憶と同調……?」
「それにこいつはもう俺の女にしましたから、害はありません。どうぞ返事を」
アミーナが目を丸くしてマグナを仰ぎ見る。
しばし何かを考え込むような素振りを見せたシーバスだったが、やがて鷹揚に口を開いた。
「時計が戻った以上、リアントロナを亡き者にする必要はなかろう。そうでなくともあの子を手にかけることなどできん。……お前と同じようにな」
マグナが椅子の背をグッと掴む。
「……俺はリアントロナに矢を向けましたよ」
「ならばなぜ矢先に神経毒のカルミアなど使った。本気でやるなら致死性のペヨーテでも使えばいい。それに本当に急所を狙ったのか?」
奥歯を噛むマグナは明らかに狼狽していた。
それでも平静を装い、語気を押さえて質問を重ねる。
「では俺の計画に賛同するという話は?」
「もちろんノーだ。お前のような愚か者の描く未来などあっていいはずがない。ルシルの心もわからぬ大馬鹿者めが」
マグナがいきなり椅子を蹴ってシーバスに掴みかかった。
派手な音を立てて椅子が倒れ、アミーナが小さく悲鳴を上げる。
「何がわかってないと言うんだ! ルシルはあの夜、俺の心を……ただ俺を足止めしたいが為に利用し、生涯消えぬ虜囚の刻印を俺に刻んだ。残酷で、ひどい……女だ……!」
マグナが声を詰まらせる。
だがそんなマグナを見るシーバスの目はとても静かだった。
「……違う。ルシルはお前を愛していた」
思いがけぬ言葉に、その場の時が止まる。
「な、に……?」
マグナは頬を痙攣させ、シーバスを掴む手をさらに強めた。
「あんたはどこまで俺をコケにするつもりだ。本気で殺されたいか……!」
青い炎のように静かに沸き起こるマグナの怒り。
今にも腰の剣を抜きかねないマグナの気色に、アミーナは立ち上がる間もなく彼の脚にしがみついた。
「やめてマグナ! もう誰かを傷つけちゃダメー!」
「…………!」
マグナがバランスを崩した隙にシーバスはその手を払いのけ、彼の隣をすり抜けて行く。
「幼い頃から自分を追いかけていたお前が日々自分を鍛え、成長していくのをルシルはいつも眩しそうに見ていた。私はそれに気付いても、問いただす事はしなかった。……認められるのが怖かったからな」
苦笑しながらベッドに腰を下ろすシーバスを、マグナがきつい目で見下ろす。
「ふざけるな! あの時俺はまだ十七のガキで……七つも年下なんだぞ」
「そうだ、ガキだ。お前はガキのくせに毎晩のように違う女の安い香りを身にまとい屋敷に帰ってくる。そんな時、ルシルは決まって部屋に誰も入れなかった。おそらく、お前の顔も私の顔も見れなかったのだろう。夫のある女領主に想いを寄せていた、お前のやり切れない気持ちもわからなくもないがな……」
マグナがグッと詰まった。
身に覚えがあるのか、シーバスを見つめたまま何も言えないでいる。
だがシーバスはそんな彼から目を逸らさなかった。
「私が、お前を足止めする為にルシルの部屋へ行かせたと言ったな。それは違う。私は計画の為にお前を足止めしたかったのではない。計画を壊すために……ルシルを足止めしたかったのだ」
ルシルを間に置いた二人の男の視線が複雑に絡み合う。
「お前と過せば未練が残って、もう少し生きたいと思ってくれるのではないかと期待したのだ。あの夜、最後の夜になるやもしれぬというのに……私はお前にルシルを預けた。お前にはその夜の私の心などわかるまい。だが結局ルシルは逝ってしまった。……道化とはまさに私の事だ」
両手を静かに組み、シーバスが床に目を落とす。
「……そんなよた話を信じろというのか。死人に口無しとはよく言ったもんだな」
ようやく口を開いたマグナは、胸ポケットから無造作に煙草を取り出して火を点ける。
煙を燻らす彼をシーバスはしばらく見つめていたが、やがて一つ大きくため息をついた。
「私はただ、伝えるべき事は伝えようと思ったまで。どう受け止めようと、お前の好きにするがいい」
「…………おい、アミーナ」
「え? 私!?」
突然マグナに呼ばれ、アミーナは彼の脚にしがみついたまま飛び上がった。
なぜここで自分が呼ばれるのか見当もつかない。
しかも名前で呼ばれたのはこれが初めてだ。
「シーバスの記憶を見て来い」
「え?」
「……実は私もそれを考えていた。エデンの皇女、それが出来るなら、私が思い出す過去の一部を見てはもらえぬか。……ほんの少しでいい」
マグナとシーバス、真剣な二人の顔をアミーナが交互に見比べる。
「お前の顔色を見れば、嘘か本当か多分わかる。だが別に無理にとは言わねえよ」
アミーナは掴んでいたマグナの脚から手を離し、今度は彼の手をそっと握った。
「だったら……マグナも一緒に行こう」
マグナが眉をひそめ、足元のアミーナを見下ろす。
「そんな事が出来るのか」
「わからないけど……出来る気がする」
彼の手を引き、シーバスの座るベッドサイドまで膝立ちで進んで行った。
「どうでもいいが、なんでさっきから人の足元をチョロチョロしてる」
マグナがポツリと言う。
「だって、さっきは背中を引き止めたらまた殴られそうだったし」
「根に持つな。……子犬みたいだなお前」
「子犬じゃないし、それから私、あなたの女でもないから」
「そうだったか? ……いいからさっさと始めろ」
マグナが笑いを含んだ煙を吐き出す。
アミーナはベッドの足下に座り、シーバスの落ち着いた灰色の瞳を見上げ片手を差し出した。
「シーバスさん。あなたも手を……いいですか」
「……こうか」
左手にシーバス、そして右手には立ったままのマグナの手を握りアミーナは静かに目を閉じる。
「アミーナ、少しでいい。手早く済ませろ……」
瞬く間にアミーナの身体から白い霧が立ち、マグナの声が薄れていく。
「お…………!」
「…………」
同時にシーバスとマグナの意識も、引き込まれるように神力の霧に飲まれていった。




