悪戯な賭け
「……おい! 起きろ!!」
容赦なく頬を叩かれ、アミーナは今に戻った。
だが頬に痛みなど感じない。
ただ胸だけが痛み、自分が誰なのか、ここがどこなのかもわからないまましばらくぼんやりと宙を見ていた。
やがてアミーナの瞳が薄茶色に戻る頃、やっと目の前で唇を震わせているマグナに焦点が合う。
「お前……今、俺に何をした……?」
アミーナは何も答えられず、未だ残る胸の痛みに嗚咽を洩らした。
「それがお前の神力なのか……悪趣味な力だな。今、俺の中にいただろう。見たのか、全部」
「ごめん……なさい……」
やっとそれだけを呟いて、アミーナは止まらない涙を何度も拭う。
「見ちまったものはしょうがない。泣くのを止めろ。自分と向き合ってるようでムカつく」
マグナは長く息を吐き、またゴロリとベッドに寝転んだ。
その顔には、もう怒りも戸惑いも感じられない。
「……苦しいよ。ルシルさんの事も、こんなにリアンを愛している事も……」
横になったままマグナがゆっくりと、傍らのアミーナに目を向ける。
「……本当に悪趣味だな。腹の中まで同化出来るのか。だったらわかるだろう。俺はルシルが憎いが、あの人との約束だけは破れない。そしてリアを愛した分だけ、同時に壊してやりたくもなる……!」
掲げた両手をきつく結んで、マグナは目を閉じた。
本当にこの人の愛し方は激しい。
相手も自分も焼き尽くしてしまいそうだ。
「……わかるけど、わからないよ。ただ苦しい……」
「わからなくていい。ルシルもリアもこの手の中に残らなかった。残ったのはルシルとの約束だけ。だから俺はそれを果たすだけだ」
「約束って……、今のリアンなら社皇女になれるはず……」
アミーナがハッと言葉を切ると、閉じていたマグナの目が見開かれる。
すると突然彼は身体を起こし、鎖で繋がったアミーナの手首を掴んでベッドに引き上げた。
「痛っ……!」
マグナの上に倒れ込み、成す術もなく抱きかかえられてしまう。
「せめてもの慰めに、お前を手の中に残そうか。後でまた取引をしに社の森まで戻らなきゃならない。その時、戻りたいなんて思わないようにしておこう」
「…………!!」
アミーナから血の気が引いた。
悲鳴をあげる間もなく頭を掴まれ唇を塞がれる。
必死で胸を叩くその手も捕まれ、もがけばもがくほど体はすっぽりとマグナの懐に収まっていく。
「……ぐっ!」
突然、突き飛ばすようにマグナはアミーナを手離し、拳で口元を押さえた。
その隙に繋がれた手を伸ばせるだけ伸ばして彼から離れたが、恐ろしさと緊張で震えが止まらない。
「本気で舌を噛まれたのは初めてだ。面白いなお前。鉄の味がするキスなんて……ははは」
マグナは楽しそうに、自分から傍には寄らずに手招きをした。
「手が痛い。こっちへこいよ。今度はどんな予想外なものを見せてくれる?」
繋がれた手首が引っ張られて確かに痛い。
だがアミーナは、手を伸ばしたままただ首を横に振る。
(この人が本気になれば、なんの抵抗もできない……!)
アミーナが無意識にスカートのポケットに手をやると、笑っていたマグナの顔つきが変わった。
「……出せ」
「え?」
「ポケットの中に何か持ってるだろう。出せ」
その言葉にアミーナは硬直し、青ざめた。
絶句している間に手錠の鎖を手繰り寄せられ、ズルズルとマグナの近くに引きずられていく。
「出せよ。それとも、今の続きを先にするか?」
アミーナは震える手でポケットの中の物を取り出した。
差し出した手の中には、かたつむり形のキャンディが二つ乗っている。
「……なんだこれ。他にもあるだろう」
「ないわ。これだけ……」
震える声のアミーナをマグナは探るように見ていたが、やがて手の平からキャンディをひとつ摘み上げた。
「あっ……!」
マグナが包み紙を取り去り、それを放りあげて口を開ける。
「だ、だめぇ!!」
思わずアミーナはマグナを突き飛ばし、彼はバランスを崩しながらも落ちてくるキャンディを片手でパシッと掴んだ。
「なんでお前が邪魔するんだ。俺に食わせるつもりで毒を仕込んできたんだろう?」
息を飲んでマグナを見つめる。
「知ってて……どうして」
「賭けをした」
マグナは掴んだキャンディーを透かして見るように目の前に掲げた。
「これに本当に毒が入っていれば俺はそれでおしまい。後の事などどうでもいい。入っていなければ計画を遂行するまでだ。随分、分が悪い賭けだったが、まさかお前に邪魔されるとは思わなかった。また勝っちまった」
「また……?」
アミーナが眉をひそめる。
「リアに矢を放ったのも賭けだった。一度逃がしてやって、あの矢に全てを賭けた。あいつが俺の矢で死ねば一緒に逝こうとな。リアのいない世界に用はない。だが助けられちまった。あいつだろう? リアの……金の騎士ロギユール・ウェイハウンド。だから俺は計画を進めることにした」
マグナはキャンディを床に落とし、ザリッと踏み潰した。
床に小さく薬のしみとキャンディの欠片が広がる。
「お前は変な女だな。自分で武器を用意しておきながら自分で台無しにしてる。……ほら、ひとつ無駄になったぞ」
笑いながらマグナは懐から小さな鍵を取り出して、アミーナと自分の手錠を外す。
だがアミーナは彼から逃げることも忘れ、その腕を必死で掴んだ。
「もう、やめてよこんな事! そんなにリアンが大事ならロギに任せて。ロギなら大丈夫、きっと幸せにしてくれるわ。ヴォックスとマリカを開放して、これ以上の罪を重ねないで!」
「つくづくガキだな。愛する者の幸せを願え……? そういう愛し方のできない人間も居る」
マグナが冷ややかにアミーナを見下ろす。
「お前も見ただろう。結局俺は利用されて置いていかれて……逃れられない業まで押し付けられた。今ではその業が俺の生きる証だ。俺を止めたいのなら殺すしかない。お前にできるのか、俺を相手に」
肩をすくめマグナが両手を広げる。
手の中を握りしめ、アミーナは唇を噛んだ。
「あなたがどうしてもこのまま続けるなら……キャンディはもう一つあるわ……!」
「どうやって俺の口の中に入れるつもりだ。ルシルのように色仕掛けでくるか? お前の色仕掛けが果たして俺に通用するかな」
マグナが堪えきれないとばかりに笑う。
「……ルシルをそれ以上侮辱するな」
その低く、重々しい声にマグナの笑いはかき消された。
いつのまにか小屋の扉が細く開き、黒いローブの男が立っている。
「……シーバス様」
マグナがその名を呟く。
それは何度もマグナの記憶に出てきたセルゲイの現領主だった。




