初恋の名残
――――ちいさなアミーナが大泣きしている。
さっきまではあんなにはしゃいで、笑っていたのに。
どうしよう、泣いちゃった。
この黄色い花をたくさん摘んで持っていったら、泣き止むかな?
ぼくのポケットの飴玉をあげたら泣き止むかもしれない。
でも……。
ためらっているうちに、花畑にうつ伏せていたダンの耳元に誰かの声が響いた。
ダメだよ。
だって、さっきからずっと話しかけるきっかけを探してるだけじゃないか。
どうせまた勇気なんか出ない。
ホントにお前は……
呆れたように、笑うように、声はダンの世界に流れる。
そのうち、ロギがやってきて小さなアミーナを抱き上げた。
長い金髪を小さな手が掴み、ロギの肩に泣きはらした目を擦り付けて……やがてアミーナは静かに眠りにつく。
背中を優しくさすっていたロギの横顔が、ふとダンを見つめた――――。
「…………ロギ」
「気が付いたか。……よかった」
目の前でロギがホッとしたように微笑んでいる。
そしていきなり熱いタオルで、ダンの顔をゴシゴシと拭いた。
「熱っ! いてててて! 乱暴だぞ! もっと優しく……」
「ああ、うるさいな。もう少し気絶してれば良かったのに。なんとか着替えはさせたから、後は顔と身体を拭きたいんだ。もう少しだけ我慢しろ」
言われて見ると、血だらけでボロボロになった小さなシャツはベッドの下に捨て置かれ、代わりにダンは真新しい白いシャツに袖を通している。
「俺……生きてるのか」
見覚えのあるロギの屋敷の天井を見つめ、ダンは長く息を吐いた。
「かろうじてな。だがまだ応急処置だけで、本格的な治療はこれからだ。やっと動かせる程度までになったから私がここに運び込んだ。今、アミーナは薬湯を作りに行ってる。すぐここへ戻って来るだろう」
(アミーナが治療を……そうか)
「その前にいくつか聞きたい事があるんだが……話せるか?」
ダンがじっと天井を仰ぎながら答える。
「敵はセルゲイの守り人で、懐中時計と俺を交換しようとした……。この傷はこの前のお礼だそうだ。どうやらあの時計は奴らにとって、かなりのアキレス腱らしい。そこにリアンがやってきて……四人の守り人が彼女にやられた」
「やられたって……まさか」
「……力を使わせちまった。どでかい霧の柱が立った……俺のせいだ」
ロギが震える手を硬く握って質問を重ねる。
「そもそも何であんな奴らにあっさり連れて行かれた。お前が逆らえないほどの弱みと言えば……アミーナ以外に考えられないが」
「……リアンにアミーナを殺らせると言われたんだ。リアンがここに残ったのは作戦の内で、俺たちを油断させる為に演技をしてると」
「馬鹿馬鹿しい! リアンは私たちを裏切ったりしない。そんな嘘を真に受けたのか!」
激昂するロギが吐き捨てるように言う。
それに反論などできない。
「わかってるよ。でも万が一を思うと……手が出せなかった。だから、俺がバカなんだ」
静かに目を閉じるダンに苦々しい視線を送り、ロギは熱い湯の入ったボウルから次のタオルを取り出す。
「……無理もないか。お前にとってそこは一番痛い所だ。じゃあ次の質問だ。……リアンがさっき、お前の着替えを手伝いたいと言っていたんだが……」
そしておざなりにタオルを絞り、ダンの顔の上に乗せた。
「熱い! 熱い痛い熱い! 何しやがる! 痛ぁっ!!」
タオルをむしりとると、まだ身体のあちこちが悲鳴をあげる。
「それはこっちのセリフだ。ダン、お前リアンに何をした」
「……何も」
「何もないのに女性が男の着替えを手伝うなんて言うはずないだろう。どういう事だ。……次は身体を拭くからな、少しは我慢しろ」
ロギがタオルを取り上げて、ダンのシャツのボタンを外し始める。
「ロギが考えているような事は何もないよ。だいたいこの身体で何ができるっていうんだ。ただ……約束したんだ。この旅が終わったら一緒に暮らそうって」
ロギは目を見開き、息を飲んだ。
そのままシャツの前が開かれ、生々しい身体の傷が露わになる。
「……ひどいな」
「傷が? それとも……」
「両方だ。傷も、その約束も……」
そう言ったきりロギは押し黙って黙々とダンの身体を拭き始めた。
傷も骨も、その中の心まで痛むが堪えるしかない。
「……俺はきっと、守る者がいないとダメなんだろうな。守り人でなくなったら、どう生きればいいかわからない。だから、一人ぼっちになって、生きる時間も擦り減ったリアンを守っていくんだ。でも強引にじゃないんだぜ、彼女がそう望んだ」
「だから全て飲み込んでリアンを選ぶ……お前らしいな。すまないが、今の私は何も言ってやれない。何が最良の選択なのか、私にも判断がつかないんだ」
ロギはどこか遠い目をしてそう呟く。
すると部屋のドアが小さくノックされ、二人は互いの目を見交わした。
「……あいつにはロギがいる。そして俺はリアンの傍に。それが最良じゃないか」
「自分で確かめてみるんだな。色々な事と正面から向き合ってみるんだ。……逃げずにな」
「……もう遅いって」
「そうか? お前がそう思うならそうなんだろう」
読めないロギの顔を、ダンは横目で流し見る。
「食えない人だね。……俺、逃げてる?」
ロギはそれには答えずに、ドアの外のアミーナに声をかけた。
「アミーナ、どうぞ。こちらの準備はできてるよ」
ドアが開き、アミーナの手にした薬湯の匂いがたちまち部屋に漂い始める。
「じゃあ頼むよ。私はリアンに聞きたい事があるからリビングにいる。何かあったら声をかけて。……彼女はどこに?」
「お部屋で休んでもらってるわ。薬湯の用意を手伝うって言ってくれてたんだけど、また立ちくらみがしたみたいで……」
「そうか。負担にならない程度に少しだけ話してくる。心配ないよ」
アミーナと入れ違いにロギが部屋を出て行く。
そしてベッドの傍までやってきたアミーナに、ダンはおもむろに手を伸ばした。
戸惑ったような表情で、アミーナが差し出された手とダンの顔を見比べる。
「……本物か、確かめたいだけだ。俺達守り人は、手を握れば自分の皇女かわかる。本物なら俺は逃げない……」
「逃げる……?」
いぶかしげに眉をひそめ、それでもアミーナはダンの手に自分の手を重ねてきた。
握った手から感じる、守り人と皇女の繋がり。
だがそれ以上にダンの胸に迫る愛しさは、初恋の名残と呼ぶにはあまりにも痛く、そして切ない。
(そんなもんじゃない事……確かめなくたって最初からわかってる……! こいつは俺の全てだ。でも……)
叫びだしそうな想いを飲み込み、ダンは潤んだ瞳でこちらを見返すアミーナとしばらく見つめ合ったままでいた――。
薄暗い廊下では、部屋を出たロギが先ほどのダンの質問に一人答える。
「……いや。逃げているのは、私の方だ……」




