氷の姫にくちづけを
冷たい水を叩きつけるように浴びせられ、ダンは目を覚ました。
気を失ったのはこれで何度目だろうか。
鞭の痕はすでに無数にわたり、胸や脇には暖炉で真っ赤に焼いた火掻き棒を押し当てた痕が赤黒く焦げている。
ずっと吊るされたままの腕はもう感覚がない。
クククッと一人の男が笑い、ダンの裂けた皮膚に指を這わせた。
「流石に言うだけあって結構もつねぇ……。次は何を使うか……まだ死ぬなよ。お前には、この前さんざんやられたからなぁ」
「…………」
ダンが何かを呟くと、男が眉根を寄せてその口元に耳を近づける。
「……下手くそ……ちっとも感じねえ……。どうせ女相手でも下手くそなん……」
男の拳でダンの左頬が吹っ飛び、焦点の合わない目が宙を仰ぐ。
「うふっ……は。あはははははは……」
「なんだ? 頭が先にイっちまったか」
「お前の息、臭っ……そっちの拷問のが強烈……」
男が鉄の火掻き棒を振り下ろす。
今は冷えているとは言え、先端が曲がった鉄棒はダンの額を割り、次々と骨を砕いていく。
「オラァ! 舐めやがって……。舐めやがってぇぇ!! どうだ……今度はこっちだ……ああ? いいだろう……もっと何か言えよ……」
そんな風にダンが攻め続けられる様子を、マグナは椅子から足を机に投げ出してぼんやりと眺めていた。
そして突然、ピクリと片眉を上げる――。
次の瞬間、マグナの背後の扉が勢いよく開き、鈴蘭の香りが飛び込んできた。
だが彼は振り返りはしない。
ダンを囲む男達が悲鳴のような金切り声をあげる。
「ひ、皇女様!」
「皇女! なぜここに……!」
「ダン!」
リアンは男達の声など耳に入らないように、一直線にダンに駆け寄った。
「なんてひどい……。ダン、しっかりして! ダン!」
その声に、ダンが首を垂れたまま薄く目を開く。
「リ……アン……? 馬鹿、やろう……何しに」
「目がおかしいわ……意識も途切れ途切れだし、このままじゃ……!」
リアンは鎖に繋がれたダンの手首を見上げ、男達を睨み付けた。
「鍵はどこ? 誰が持っているの。早く出しなさい!」
「……俺が持ってる」
ユラリと椅子から立ち上がり、ようやくマグナが口を開く。
「交渉する前に戻って来るとは思わなかったな。懐中時計を持ってきたのか?」
後ろから掛かるマグナの声に、リアンは意を決したように振り返った。
「そんなの無いわ。私はダンを取り戻しに来ただけだもの。……前にも言ったはずよ。私はあなたのところへは戻らない」
「自分のしていることがわかっているのか。領主様が知ったら……」
「知ったら何? あの人が私に何ができるって言うの、何も出来はしないわ。私を利用する事は出来ても。皇女の夢に取り憑かれた、狂った悪魔……!」
マグナの頬が歪む。
「……完全に俺の敵に回ったって事なのか」
じりじりと後ずさっていた配下の男が口を挟んだ。
「忘れているようだが、皇女様。俺たちは腕を認められた、あんたの守り人だ。やりあえばただじゃすまないぜ」
男達がそれぞれの武器を構える。
だがリアンは口元に皮肉な笑いを浮かべるだけ。
「忘れているのはあなた達じゃなくて?」
「何っ?」
リアンがゆっくりと両手を前にかざすと、マグナの顔色が変わった。
「本気か……? リア……」
「その呼び方をしないでっ!」
頭を激しく振り乱し、リアンが叫ぶ。
「もうたくさんよ! あなたの気紛れに振り回されて生きるのはもう嫌! 私はあなたのオモチャでもなければ、お母様の身代わりでもない!」
虚ろにリアンの後姿を見ていたダンが、突然我に返った。
「や……やめろリアン! お前はもうこれ以上……」
リアンの瞳が一瞬にして妖しい銀白に変化する。
「……私は北の地の皇女、セルゲイ。私の力はそなた達のぬるい心など一瞬で凍らせる事ができる。その力を更に磨いたのはそなた達ではなかったか……。青や赤の虹彩を得るために、私の目の前で母を殺したのではなかったか! おかげで私はこの力でそなた達など……!」
リアンの身体から火柱のように噴き上がる白い霧。
それはすなわち、セルゲイの皇女の生命そのもの。
命を賭したリアンの神力が渦を巻き、銀の髪とその場の者達を巻き込んでいく。
差し出した両手でリアンがゆっくりと拳を握ると、途端に男達はわなわなと震えだし、それぞれの武器で傍にいる仲間をおもむろに貫いた。
「な…………!」
目の前で繰り広げられる異様な光景に、ダンは成す術がない。
さっきまで自分を取り囲んで笑っていた男達が、今虚ろな目をしたまま次々と仲間同士で討ちあい、床に沈んでいく。
「や……やめろリアン! それ以上……ダメ、だ……!」
やがて最後に刃を交し合い、倒れた男達がビクッと痙攣し動かなくなった。
霧が静かに引いていき、リアンがその場に力なく膝をつく。
「どう……して、逃げない、のよ……。わかっていたでしょう、私が本気だって……!」
かすれるリアンの声が、切なく悲しく小屋に響く。
「お前こそ、どうして俺に術をかけない。殺ればいいじゃないか……お前の手に掛かるなら、それもいい」
幾つもの死体が横たわる小屋の中、マグナだけが何の変化もなく目の前に立っていた。
リアンの目がスッと銀白から淡いグレーに戻り、そのまま床に崩れる。
「リア……ン……!」
ダンが名を呼んでも、声はまともな音にならず届かない。
すると、マグナは倒れたリアンの脇を通り過ぎ、ダンの前まで足を運んだ。
驚きと戸惑いの目でダンがマグナを食い入るように見つめる。
「あんた……今までリアンと……?」
その瞬間、みぞうちにマグナの拳がめり込んでダンは声もなくまた暗闇に堕ちた。
マグナはもう動くことはないであろう配下の者達を一瞥した後、ゆっくりとリアンの傍に膝をつき、その細い身体をそっと抱き上げる。
「……馬鹿やろう……。あれほどもう力は使うなと言ったのに……」
閉じた瞼に唇を落とし銀の髪に顔を埋めると、いつもと変わらぬリアンの香りがマグナを狂おしく包み込んだ。




