守り人の誓い
「お久しぶりです、エデンの皇女。もっとも、私が最後にお会いしたのはあなたがまだ赤子の時でしたから、きっと覚えてはおりますまい」
屋敷の客間で、エリシス=グレーデンと名乗る初老の紳士が微笑んだ。
灰色の髪に濃紺のローブが、穏やかな印象でありながらどこか凛とした鋭さを感じさせる。
(わあ……素敵な人。すごく頼りになりそうだし、この人なら大丈夫よね)
アミーナがそんな風にエリシスに見入っていると、屋敷の執事兼、領主代行のヴォックスが、そっとアミーナの肘を突いた。
「なんです、皇女。ご挨拶もせずに」
「あ、ご、ごめんなさい。あの、アミナティレーヌ=ソフィア=エデンと申します。この度は私の護衛の為にわざわざお越し頂き……」
アミーナが慌てて頭を下げると、プッとロギが吹き出す。
いや、ロギだけではない。
傍のヴォックスも、当のエリシス本人も口元を押さえて笑っている。
「いや、これは失敬。……皇女。私も確かにあなたの守り人ではありますが、今回、神の社へご一緒するのはこちらの孫の方です」
エリシスが片手で指し示したのは、テーブルで焼き菓子をほおばる、先ほどの黒髪の男の子。
「な……っ! なんですって?」
「こやつはダンガード=グレーデン……ダンと呼んでやって下さい。ロギユール殿と同じく、あなたを神の社まで護衛する守り人です。連れてくるのが遅くなり、申し訳ありませんでした」
ダンはこちらの話などまるで興味がないように、紅茶のおかわりを要求している。
それに、この屋敷の家事一切を取り仕切る、ヴォックスの妻マリカが笑顔で応えた。
「ちょ、ちょっと待ってください。だってこの子、まだせいぜい十歳くらいですよね。いくらなんでもこんなちっちゃい子が……」
「ご心配なく。我が一族は代々、数多くの優秀な守り人を輩出して参りました。その中でもダンは才能と実力を兼ね揃えた正統なる後継です。両親が早くに亡くなったので、私が守り人として必要な知識と武芸は全て幼き頃より叩き込んであります」
アミーナの訴えにエリシスは優雅に頷き、マリカの淹れたお茶をすする。
(……うそ……。本気なの?)
アミーナは助けを求めるかのように、傍らのロギを見つめた。
アミーナが物心つく前からこの屋敷で一緒に暮らす、守り人のロギユール。
その長い金の髪とコバルトブルーの瞳は、いつでも影のようにアミーナの傍にいる。
今は澄ました顔をして、アミーナの隣にゆったりと座していた。
「……ロギ、あなた知ってたのねダンの事。もう一人、守り人が来るとは聞いていたけど、こんな事だったなんて教えてくれなかったじゃない!」
思わず大きな声になってしまったが、それに怯む事なくロギが穏やかに目を細める。
「いや、私もダンがこんな子供だったなんて知らなかったんだよ。……今朝までは」
「今朝?」
「早朝修練の時、ダンが現れたんだ。話を聞いて、当然こんな子供に危険な護衛が務まるはずがないと言って相手にしなかったんだが、いきなり襲ってきてね。まあ、諦めて貰うためにも相手をしてやったんだが……」
すると、それまで知らん振りを決め込んでいたダンが、初めて割って入った。
「ふん、その反応は予想してたからな。ゴチャゴチャ言うより、一戦交えた方が話が早いと思ったんだよ。それに俺の方も、もう一人の守り人が使える奴なのか試してみたかったし」
可愛い顔に不似合いな横柄な物言いで、ダンがニヤリと笑う。
それに同じような笑みを返すロギ。
アミーナは、すでに通じ合っているような二人を交互に見つめた。
「……それでお互いの評価はどうだったの?」
「「合格」」
二人がアミーナを見たまま、間髪入れずに答える。
「安心していいよアミーナ。ダンは守り人として十分な実力を備えている。最初は子供だと思って甘く見ていたが、あの動きと剣さばきは素晴らしかった。それに扱う武器も珍しいな。たしか、ジャマダハルだったか? あそこまで使える者はなかなかいないだろう。一瞬たりとも気が抜けなかった」
「ウソつけ、余裕あったくせに。そっちこそ金髪サラサラ、穏やかな目、しかも持つ剣はエクスカリバーだもんな。まるでおとぎ話に出てくる王子様じゃないか。それなのに、何だあのおっかねえ太刀筋は。何度も死んだと思ったぞ」
今朝の手合わせで、二人が心底互いを認め合ったのが窺えた。
ロギが腕の立つ剣士だということは勿論知っている。
その彼にここまで言わせるのだから、子供とはいえ相当な実力者なのだろう。
なにより、アミーナはロギを誰よりも信頼している。
その彼がが推すのだから、認める他はない。
「じゃあロギ。守り人の儀式をしていいのね」
それでもアミーナは一応念を押した。
「もちろん。彼はその為に来たのだから」
ロギはうなずくと、ソファから立ち上がり片手を胸に置いた。
エリシス、ヴォックス、マリカの三人も居を正す。
「……じゃあ、ダンも、いい?」
「うん」
声をかけると、ダンもソファからぴょんと降りてアミーナの前に立った。
そしてロギと同じように片手を胸におく。
「……これからの旅には貴方のお力が必要です。どうか私を守り、神の社まで供をしてくださいますか?」
これは守り人を任命する時の正式な儀式であり、口にする言葉は決まっている。
ダンもさすがにその類の教育を受けているようで、この時ばかりは真摯な態度で淀みなく祝詞を述べた。
「エデンの皇女、アミナティレーヌ=ソフィア=エデン殿。私は命ある限り、御身の楯となり歩む道となりて、あなたの宿命とご一緒しましょう。皇女よ永遠なれ」
そうして、守り人が皇女の額にキスをする……のが一連の儀式。
小さなダンがアミーナの腕を引っ張って屈ませ、その額にキスを落とす。
これにより、ダンはエデンの皇女の正式な守り人となったのだった。
「さて、ダンの儀式も済んだことだし、私はちょっと町に行ってくるよ。買い忘れた物があるんでね。明日は早いから、アミーナは早めに休みなさい」
ロギがいつものように軽くアミーナの髪を撫でる。
「ええ? これから出かけるの。あたしも行きたい」
「だめだよ。今夜はお祭りで、町の人はみんな感情が昂ぶっている。……わかるね」
有無を言わせぬロギの静かな目に、アミーナはうつむく他ない。
「とか言ってさ。しばらく旅に出るもんだから、贔屓の花にでも会いに行こうって腹じゃないのー?」
「なっ……!」
ダンの子供とも思えぬ発言に、ロギが青くなる。
「お花?」
「ま、心配すんな。俺がついていって、そんな不謹慎な真似をしないように見張っといてやるから。じゃ、行こうぜロギ」
ダンは、まだ口をパクパクさせているロギを引っ張ってさっさと部屋を出て行った。
その後姿はまるで、年の離れた兄弟のよう。
出会ったばかりなのに、二人の間には長年通じ合ってきたかのような空気が感じられる。
これも、同じ皇女に仕える守り人同士ならではのものなのだろうか。
「……それにしても、お花買いに行くの? これからわざわざ」
アミーナの呟きにヴォックスとエリシスは、とぼけた顔で横を向いたのだった。