動き出した魔物
何を見ても何をしていても、なんとなくウキウキと心が弾む。
短くなった髪は、朝の手入れをするのもやけに簡単だ。
本当なら切なくなっているはずなのに、気が付くとアミーナはドレッサーの前で髪を梳きながら鼻歌まで口ずさんでいる。
(だって、きっとすぐ伸びるだろうし……。可愛いって言ってくれたもん……)
昨日のひと時を思い出すと、頬がポッと熱くなる。
身体が大きくても小さくても意地悪でいたずらな顔しか見せないダンが、昨日は少し違っていた。
(怖いくらい優しくて……怖いくらい真面目な顔して。あの時、ロギが来なかったら私……)
その先を思うと、心臓がキュッと小さく悲鳴を上げる。
不思議な、でも決して嫌な感じではない痛みに、アミーナは詰めていた息をゆっくりと吐き出す。
(……なんだか、うんとちっちゃいダンが私の中に入ってて、時々心臓をギュッて握るみたい。困っちゃうな……毎日一緒に居るのにどんな顔して会えばいいんだろ)
目の前のドレッサー鏡に問題の自分の顔を映し……、アミーナは絶句した。
(これ……私の瞳……! やっぱりこれが……そうなの?)
鏡の中から自分を見つめ返す鮮やかな紫色の瞳。
泉に映った時は、薄ぼんやりとしてはっきりその色を認める事が出来なかった。
だが今の瞳の虹彩は、紛れもなく恋慕の紫色。
(これが六つ目の虹彩。私、やっぱり……。あ、もう色が変わっちゃう……)
じっと見ている間にその色は薄くなっていき、ひとつ瞬きをすると薄茶の榛色に戻ってしまった。
「へえ……不思議。ずっとじゃないんだ。私の気持ちの度合いに反応するのかな……」
「何が反応するの?」
「きゃああああっ!」
ヒョイと横から鏡に映りこんだリアンの姿に、アミーナが飛び上がる。
「リ、リアン……! いつの間に……」
「え? だってドアは開放されてたからいいのかと……。ごめんなさい、ノックするべきだったわね」
「い、いいの! あの、ちょっとびっくりしただけだから」
いぶかしげに小首を傾げるリアンに、アミーナは引きつった笑顔で応えた。
別にリアンに知れても良いような気はしたが、打ち明けるにはそれなりに心の準備が要る。
「それならいいのだけれど……。アミーナ、悪いけどちょっと助けて……」
「助けて? 何、どうしたの。何か……」
リアンに詰め寄ると、その肩越しに見える部屋の入り口にロギと小さなダンの姿があった。
ドアに寄りかかるように立っているダンを、たとえ小さい姿であってもやっぱりアミーナは意識してしまう。
「今から俺、町に買出しに行くんだけど、リアンがどうしても一緒に行きたいって言うんだ」
「昨日の事もあるし、君を外に出したくないんだよ。いったい何が欲しいんだい? ダンに買ってきてもらうから」
明らかに難色を示す二人の様子に、リアンが口ごもる。
「あの……買いたいのは衣料品なんだけど……」
俯いて声もだんだん小さくなっていくリアンの様子から、アミーナの頭の中にその「衣料品」がポンと浮かんだ。
「そうだった……、ごめんねリアン気が付かなくて。確かに言いにくいよね。私が説明してきていい?」
「ええ……。お願い……」
ドレッサーチェアから立ち上がり、アミーナは小走りで二人に駆け寄ると声をひそめた。
「あのね……リアンが欲しいのは下着。下は私の新品をあげたんだけど……上がね。私のじゃサイズが違いすぎるの……。えへへ、面目ない」
真剣に耳を傾けていたロギがポッと赤くなる。
当のリアンは三人に背を向けたままだ。
「そういう事なら……仕方がない。ダン、絶対にリアンから目を離すなよ」
「サイズ教えてくれれば買ってきてやるのに……いででででで!」
ダンの左右の耳が、ロギとアミーナ両側から容赦なく引っ張られた。
「やめろよ、変身しちゃうだろ! 気力で押さえるの大変なんだぞ!」
「馬鹿言ってないでさっさと行って来い!」
「信じらんない! ダンのバカ!」
左右から責められて、ダンが首をすくめながらポソッと呟く。
「なんだよ、二人とも。そんなに怒ることないだろ。……ジョークなのに」
「ダンのはジョークに聞こえないっ!」
アミーナとロギの怒声に追われ、ダンはリアンと共に逃げるように買い出しに出かけたのだった。
――色とりどりの商品の中、リアンは店員の女性にサイズだけを告げ、薦められた物をそのまま買い求めた。
外へ買い物にでも出れば少しは気鬱も晴れるかもしれない、そんな思いもあってわがままを言ったのだが、それは全くの逆。
馬車で屋敷を出る時、にこやかに手を振って見送ってくれたロギとアミーナの姿が今も胸に焼きついて離れない。
(本当にロギはアミーナが可愛いのね……。いつもピッタリ傍に付いてて、アミーナも……)
そこまで考えてリアンはふと足を止めた。
(そういえばアミーナ、紫色はまだのはず。そうよ、そうだったわ。それなのに二人の間にもう約束があるの? もしかしたら……)
淡い期待が胸に広がる。
こうまで揺れる自分の気持ちに、もう知らぬふりは出来ない。
けれどそれは同時に、新たな苦しみを引き込む事にもなる。
(……バカね。たとえあれがロギだけの希望だとしても、私のような女が代わりになれるはずもない……。もう、私は……)
自分自身を嘲笑い、リアンはその女性専門の衣料品店のドアを押し開いた。
ところが、入り口で待っていると言ったダンの姿が見当たらない。
(どこに……?)
リアンは辺りを見回し、隣の花屋で商品に霧吹きをしている女性に声を掛けた。
「あの……ここに黒髪の男の子がいませんでしたか? くりくりした目の、とても可愛い……」
花屋の女性は「ああ」と声を漏らし、手にした霧吹きをニコニコとエプロンで拭う。
「いましたよ。そのお店に入ろうとしたり、窓を覗き込んだりしてて」
リアンを心配してなのか、別の理由なのかわからないが、その時のダンの様子を想像してリアンは赤くなった。
「それで、その子はどこに……」
「お父さんに抱っこされて、向こうに行きましたよ」
「…………えっ……」
ゾワリと寒気がして、リアンの足がすくむ。
「お父さんって……あ、あの、どんな……!」
「背の高い、赤い髪の素敵な方でしたよ。もしかしたら歳の離れたお兄さんかも。その男の子、紳士は入っちゃダメだぞって叱られてました」
女性が可笑しそうにクスクスと思い出し笑いをする。
だがリアンは礼もろくに言わず、踵を返し駆け出した。
(赤髪……マグナ! どうして……何の為にダンを!)
停めておいた馬車の所まで戻り、手綱を掴んで御者席に飛び乗る。
(早くロギに知らせ……いいえ! 私なんかを拾ったせいでこんな事になってるのに、どんな顔して伝えればいいの)
そして馬の向きを変え、鞭を振るって風のように町を飛び出した。
(私はどこまで行っても疫病神。でも、あの人だけはこれ以上巻き込みたくない……!)
やがて入った森は、まるで行く手を遮る緑色の魔物の群れのよう。
リアンはそれを貫くように、夢中で鞭を入れ続ける。
(このあたりの隠れ家は……三ヶ所! 必ず助ける。何に換えても……!)
リアンを乗せた馬車は、両手を広げる緑の魔物に飲み込まれて行った。




