道化たちの哀歌
「失敗……? お前らしくもない」
重く立ち込める灰色の雲は、昼間であっても日差しを届けてはくれない。
暖炉の火だけが赤々と映る薄暗い書斎の中、黒いローブの男は椅子を回し自分の右腕である男に向き直った。
「そうですか? 実に俺らしいと思いますがね。全て裏目に出る。珍しく貴方自身が動くというからお任せすれば、まんまと失敗。懐中時計は奪われ、皇女も戻らない……」
「……皮肉を言ってる暇があったら次の算段を整えろマグナ。あれだけはまずい」
「わかってますよ。貴方の尻拭いは俺の仕事ですから」
マグナはテーブルに置かれたデキャンターからグラスになみなみとウォッカを注ぐ。
それを味わうでもなく、彼は水のように飲み干した。
「私にも一杯注いでくれ。それに……皇女が戻らないとはどういう事だ」
その瞬間、マグナの手の中でグラスが砕け散った。
「ああ……すみませんね。随分薄いグラスだな」
「構わん。グラスなどいくらでも換えはある。だが……我がセルゲイの皇女に替えなどないぞ」
黒いローブの男が探るようにマグナを見据える。
「俺の扱い方が悪い……とでも言いたげですね」
「そうは言わん。あの子にとって、お前は唯一無二だ。お前に出来ない事が他の誰かに出来る筈もない」
「それはどうでしょうね。女の心は昔から理解不能なものの一つです。聖女かと思えば売女、逆もまた然り……」
マグナが割れたグラスを床に落とす。
さらに粉々になったガラスの破片が黒いローブの男の足元にまで飛び散った。
「それは……誰の事を言っている……?」
男の声がわずかにうわずる。
だがそれをせせら笑うようにマグナは鼻を鳴らした。
「さあ……忘れましたよ。リアントロナに関しては、優しく丁寧に抱いてやってもダメ、突き放してもダメ……そのくせ他の男には寄るのも嫌だと言って俺から離れようとしない。おっと、父親に聞かす話でもないですかね」
「今更、父親風など吹かす気はない。だが、お前に預けてもダメならば、そればかりは致し方ないだろう。恋慕の紫色の瞳は足らないまま行くしか」
「エデンは覚えたみたいですがね」
「なん……だと?」
マグナの言葉に、男が肘掛を握りしめる。
「捕まえようとした時、泉に映った瞳は確かに紫でしたよ。誰を想っていたのかも、その前からブツブツ言ってた事を考えれば推理できます。次の手はそれを利用しましょう」
「ならば、このままでは社皇女はエデンに決まってしまうではないか……!」
「その時はエデンの皇女を最優先で亡き者にするまで。でも、リアントロナが戻ってこないのはいつものヒステリーではないかもしれません」
「……なんだ? それはどういう意味……」
「失礼。貴方も一杯欲しいと言いましたっけ」
マグナがもう一つのグラスにウォッカを注ぎ、それを手にゆっくりとローブの男に歩み寄っていく。
「答えろマグナ。リアントロナが私たちから本気で……? 何故だ」
「……俺はまた道化を演じる事になる……そういう予感ですよ」
その灰色の目は虚ろに、だが口元はいつものように皮肉な笑いを浮かべる。
男はマグナと視線を絡ませながら、差し出されたグラスに手を伸ばした。
「ああ、そう言えば思い出しました。俺を最初に道化にし、鎖で繋いだ美しくも薄汚れた聖女の名を……」
「マグ……!」
伸ばした手をすり抜け、高く掲げられたグラスからウォッカが男の頭に降り注ぐ。
「その女はルシルティナ……あんたの妻だ。わかりきった事を、二度と俺に誰の事などと聞くな……!」
空になったグラスを床に叩きつけ、マグナは寒々とした書斎から忽然と消え失せた。
髪からポタポタと滴り落ちるウォッカの香りと、床に散らばったガラスの破片。
そして空虚な想いだけが残る部屋で、男がクッと笑う。
「お前は何もわかっていない。道化は…………私だ」




