リアン(絆)
(どうして助けてしまったんだろう……)
リアンは与えられた二階の部屋の窓から、庭を見下ろしていた。
華美ではないが由緒正しい家柄らしく、歴史を感じさせる石造りの屋敷に手入れの行き届いた中庭。
中央に据えられた噴水からは豊かに水が溢れている。
(この豊かさの半分でも私の地にあれば……)
つい、そんな風に考えてしまう。
そうすれば自分も、こんな風に生きなくてもよかったのではないか――。
リアンはフッと笑って、窓を離れた。
(馬鹿馬鹿しい……。今更、何を考えてるの)
ソファに身を投げ出して背を預ける。
そのまま天井を仰ぎ、静かに目を閉じた。
(放っておけばよかったのよ……。そうすればあのまま命が漏れ出して、エデンの皇女は息絶えたかもしれない。私が手を下す必要もない……)
けれど、そんなに簡単ではない事もわかっている。
おそらくアミーナは自分の力などほとんど使うことなく、大切にされてきたはずだ。
少々力を使ったところで死ぬ事などないだろう。
(私と違って……ね)
リアンは膝の上でギュッと両手を組み、昂ぶる思いを無理矢理押し留める。
あの死んだ雇われ者達の件は、リアンにとって全く想定外の事だった。
(まさかあの男たちが護衛としてやって来るなんて。あの人は知っているのかしら。知りながら、彼らを私の傍に置いた? それもあの人のシナリオの内だったとしたら、なぜ……)
そこまで考えて、リアンは皮肉な笑いを浮かべる。
(いいえ、それだけは有り得ない。知っていたら、シナリオや計画なんてお構いなしに、きっとあの人自身がその場で殺しているはず。誰よりも彼らを憎んでいたのはあの人だもの……)
胸の奥底に燻っているものが膨れ上がる前に、リアンは頭を振って思考を他の物に移した。
(とにかく上手く潜り込めて良かった。どこから調べようかしら……)
それにしても事前の情報はいい加減なものだった。
エデンの守り人は、腕の立つ黒髪の青年と女のような剣士と聞いている。
ダンはどう見ても青年とは言えないし、なによりロギを女のようなどと形容した者の洞察力の浅さに呆れてしまう。
確かに美しい金髪に穏やかな表情は優しい印象だが、あの鍛えられた身体と、危険を察知した時の鋭い眼光は紛れもなく一流の剣士のそれだ。
初めて会って、抱き上げられた時の戸惑いが思い出される。
あの時、自分を抱いたまま走るロギをリアンはそっと見上げていた。
彼は緊張の面持ちだったが、リアンはその腕の中でぼんやりと
(綺麗な青い瞳……。皇女の悲哀の青とは違う、深くて、碧を混ぜたような……何と言う色……?)
と、瞳の色の名を考えていたのだった。
その時、部屋にノックの音が響いた。
「は、はい。どうぞ」
リアンが慌てて身体を起こすと、ドアの隙間からひょこっと顔を出したのはアミーナ。
「……入ってもいい? リアン」
「もちろんよ」
リアン(絆)とは、全く皮肉な愛称を付けられたものだ。
そう思いながらもリアンは笑顔で応える。
それは自分でも驚くほど、ごく自然に出たものだった。
アミーナは部屋に入ると、小走りに傍までやってきてぺこりと頭を下げた。
「あの……今朝はありがとう。私、ちゃんとお礼言ってなかったから」
「今朝?」
そう聞き返してから、彼女の神力の暴走を止めた事を言っているのだと気付く。
「ああ……そんな事はいいのだけれど。アミーナの力って、他人と自分の心を繋いで感情を共感出来る事なのね。でもいつもあんな風にあなたの意思に関係なく、突然なの?」
アミーナが困ったように口ごもる。
「うん……。だから私はあまり人と接した事はないんだけど、それでも時々……。いつもロギがリンクを止めてくれた後に気がつくの。それがロギの守り人の力だから」
リアンは少し考えてから、アミーナの手を引いて自分の隣に座らせた。
「あのね、アミーナ。私たちの力は自分の心次第でコントロールできるものなのよ。ちゃんと気持ちを強く持って、他人の心になんか飲まれちゃダメ。自分の心は自分で守るの。アミーナならきっとできるわ。……私ね、あなたの光が漏れだした時、絶対にいやだって思ったの。ロギやダンもきっと同じ気持ちだと思うわ」
それは本当の事。
あの時、アミーナの命の光が上へと昇っていくのが許せなかった。とても恐ろしかった。
その気持ちは、今もリアンを戸惑わせている。
「……ありがとうリアン。私、もっと強くならなきゃ。いつまでもみんなに甘えてばかりじゃだめだもんね。がんばる! 本当にありがとうリアン」
アミーナはリアンの首に抱きついてきた。
本当に無防備な娘だと思う。だがなぜかそれが嫌ではない。
「そうだ。あのねリアン。二、三日はここでお世話になるみたい。必要な物を揃えたり、色々やることがあるんですって。でも明日は剣を教えてもらう約束なの。ねえ、リアンは剣は使える?」
嬉しそうに目を輝かせるアミーナは、もうすっかりいつもの元気を取り戻しているように見える。
それにしても、今さら剣など習ってどうするつもりなのか。
「護身程度なら使えるけど……。でも私の荷物はもう無いから、持ってる武器と言ったらこれだけかしら」
そう言ってリアンは、スカートの裾をそっとたくし上げた。
「ええっ? きゃああ、素敵!」
アミーナが感歎の声を上げる。
スカートから覗くリアンの腿の辺りには、ダガーがピタリと留められていた。
皮で出来た装身具で、まさに護身用として脚に装備している物なのだが。
「白くて華奢な脚に、冷たく黒光りするダガー……。なんてアンバランスで色っぽいの! かっこいい! 私もこんなの欲しいー」
アミーナは目をキラキラさせてリアンの脚に魅入っている。
リアンは急に恥ずかしくなってポッと頬を染めた。
「いやね、そんなに見ないでよ。欲しいなら両方の脚にあるから、ひとつあげるわ」
「本当? きゃー嬉しい!」
「ほら、こっちのこれを下着のここに留めて……」
「きゃはは。くすぐったい」
「こら、動かないの」
女同士できゃあきゃあとはしゃいで騒ぐのも、リアンにとって初めての、とても楽しい時間だった。