西の地、カナンの皇女
「いやあ、まさに理想的だー。綺麗で儚げで……これが皇女ってもんだよなー」
「うるさいわね、ダン! 気が散るからチョロチョロしないで! 向こう行ってて!」
馬車の荷台に少女を引き入れ、アミーナが両手を合わせる。
やがて淡い光がその手を包み、光を纏った両手を少女の脚の傷口にそっとあてがうと、見る間に傷と腫れが治まっていった。
少女は黙ってうつむいたまま、治っていく自分の足を見つめている。
「おおーキレイに治った! この治療の力は自慢していいと思うぞ、アミーナ」
ダンが少女の肩越しに顔を覗かせる。
「うん。でもこれは私の気の力を使うから、皇女の神力とは別なんだ。……さあ、終わったわ。どう? 折れてはいないけどだいぶ強く打ったみたい。まだ痛むかな」
アミーナが心配そうに少女を覗き込む。
「いいえ……。ありがとうございました」
少女は礼を言ったが、やはり力がない。
ぼんやりとして、途方にくれている感じだ。
「……ところで。向こうで待ってろって言ってるのに、ダンはさっきから何をしてるのかしら?」
アミーナが怒りを抑えた口調でダンを睨んだ。
「え? なんかいい匂いがするなーって……」
いつのまにかダンは少女の膝の上にちょこんと顎をのせて、銀の髪をもてあそんでいる。
「ふーんだ、私の髪は平気で踏んづけるくせに」
「わざとじゃないっていってるだろ。だいたいキャラメル色の綿菓子みたいに、ふわふわ広がってたから邪魔で踏んじゃったんだ」
アミーナの顔が見る間に真っ赤に燃え上がる。
「わたっ……わた……綿菓子……! ダンのバカ! お仕置きしてやるー!!」
猫がネズミを追うように、アミーナは素早くダンを捕まえてほっぺたを嫌というほど引っ張る。
「んぎゃー! 痛いイタイいたいいーー!」
「ぷっ……。うふ……あはははは」
アミーナとダンが取っ組み合ったまま動きを止めた。
あの少女が笑っている。
元々が美しい娘ではあるが、初めて見せるその笑顔はさらに魅力的なものだ。
アミーナはそのままダンの耳元に小声で囁いた。
「ダン、彼女を少し元気にしてくれたから今日は許してあげる。でも着替えをさせたいからホントに少し馬車を出ていて」
「……ん。わかった」
アミーナがダンを解放してやると、彼はピョンと荷台から降り、幌をきっちりと閉めた。
それを見送り、少女が口元を押さえて申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、笑ったりして。あんまりあの子が可愛いからつい……」
「いいの。少しでも元気出して貰えるならもっと笑っていいよ。ねえ、裾が泥だらけだし破けてもいるし……着替えましょう。私のでよかったら沢山あるから」
外から幌に耳を当て二人の会話をしばらく聞いた後、ダンは外で待っていたロギに駆け寄った。
「どうだ?」
「うん。身体のどこにも武器は隠してない。髪にも特に細工はしてないよ」
「そうか……」
ロギが釈然としない顔つきで何か考え込む。
そしてダンを視線のみで焚き火の傍まで促し、二人はその前に腰を下ろした。
「……何か引っかかるんだが……」
「俺も。何ていうのかな……ちぐはぐなような、見落としてるような。ごめん、うまく言えない」
ダンも言い淀み、ロギと同じような顔で考え込む。
その時、馬車の幌が勢いよく開いて、アミーナが二人に向かって走ってきた。
ロギとダンが弾かれたように立ち上がる。
「アミーナ! どうしたんだ、やっぱり何か……!」
今にも泣き出しそうな顔をして、アミーナはロギの胸に飛び込んだ。
そして傍らのダンを見下ろす。
「ダン……あなたの、言うとおりだったわ……」
「何かあったのか!」
ダンが心配そうにアミーナのスカートを掴んだ。
「あの子……私の服、ウエストはゆるゆるなのに胸はきつそうなの……。まさにあれが理想的な皇女なのね……」
ロギとダンの顔が変な形に固まり、そして三人は揃って深いため息をついたのだった……。
「――助けていただき、本当にありがとうございました。私はリアントロナ=ワントリンク=カナンと申します。神の社に行く前にヨークリーの町に寄り、それから王都を経由して社に向かうつもりが……あんな事になってしまって……」
改めて馬車の荷台に一同が集まった中、少女は自分の身分を名乗り、目を伏せた。
その膝の上にはダンがちょこんと座っている。
「カナン……。黄昏の地、西のカナンの皇女だね。姿なき皇女と言われる……。犠牲になったのは全員、君の守り人かい?」
リアントロナがこくんと頷く。
「私たちはヨークリーの町で水と食料を買いました。町を出て、この森の入り口辺りで食事をして。出発してしばらくたった頃、急にみんなが苦しみだして、そして馬車も止まらなくなって……」
「ひっくり返って気が付いたら、あの状況だったと言う訳だ」
ロギが後を引き継ぐと、リアントロナは震える手で膝に抱いたダンをぎゅっと抱きしめた。
「ロギ、本当に死因は毒物か? だとしたら昨夜の物とは別物だぞ。即効性じゃないみたいだし。それにリアンだけが無事だったなんて変だ。いったい何に混入したんだろう」
「うむ。私もそれが気になっていたんだ。外傷は無かったから毒物だと思ったんだが。もう一度あそこに行って詳しく調べてこよう。亡くなった彼らも埋葬してやりたい」
ロギと対等に話し合うダンを、リアントロナは面食らったように見つめている。
そんな彼女の耳元に、アミーナがそっと囁いた。
「……驚いた? ダンはこれでも優秀な守り人よ。頭もいいし、博識だし、剣の腕も確か。悪いのは口だけなの」
「聞こえてるぞ、アミーナ」
ダンが不満げに振り返ったが、アミーナは完全に無視。
「だからね、リアン。私たちと一緒に神の社に行こう」
アミーナの言葉にリアントロナは息をのみ、そしてロギとダンを順番に見つめた。
その視線をロギが優しい眼差しで受け止める。
「二人とも、もうリアンなんて愛称を付けたのか。じゃあ私もそう呼ぶとしよう」
「ま、俺たちが一緒なら守るべき皇女が一人でも二人でも問題はないしな」
ダンも背後を見上げてニヤリと笑う。
するとリアンは苦しそうに顔を歪め、唇を震わせた。
「ありがとう……。本当はこの先、どうしようかと途方に暮れていたの。皇女としてのお役目を放棄するわけにもいかないし……。よろしく、お願いします……」
リアンが涙を滲ませぺこりと頭を下げる。
「さて、じゃあ私はリアンの馬車まで行ってくる。ダン、二人をたのむぞ」
そう言い残し、ロギはまた林の奥へと消えていった。
アミーナがリアンの肩を抱いて嬉しそうにはしゃぐ。
「皇女同士って事は伝説によれば私たち、姉妹って事よね。なんか嬉しいな。私にも妹ができた」
「えー? ずいぶん似てない姉妹だな」
「何か言った? ダン」
アミーナがダンをキッと睨むと、リアンが遠慮がちに割って入った。
「あの……アミーナ。失礼だけど、あなた今いくつ……?」
「アミーナの事なら俺に聞いてくれ。アミーナはもうすぐ十七になる。後は何が知りたい? 身長体重、バストサイズにウエスト……」
「はあっ!? なんで? なんでそんな事までダンが知ってるの!」
「だって守り人だから」
「いくら守り人だってそんな事まで……!」
「なんでだよ。ロギだってヴォックスだって、うちのジジイだって知ってるぞ」
「ひ……ひいいい!」
「あ、あの……そこまではいいんだけど。ごめんなさいアミーナ、私もう十八なの……」
「ほえ?」
儚げに微笑むリアンを見て、アミーナとダンが声を揃える。
「……どうりで何か色っぽいと思った……」
そんなたわいもないお喋りに費やしたのはほんの数分。
すぐに外からロギのものらしき足音が聞こえ、ダンはリアンの膝から飛び降りて馬車の幌を跳ね上げた。
案の定ロギが血相を変え、もう戻ってきている。
「なんだよロギ、早すぎるだろ。何か……」
ダンの声色に緊張がみなぎる。
「やられた。馬車が無い。馬も……死体も消えた」