その出会いは蒼く儚く
木々の生い茂る辺り一帯は静かで、薄い雲が月をおぼろに隠している。
たき火の薪が爆ぜるパチパチという音だけが、辺りに響き渡っていた。
「ロギ、本当に大丈夫か? 見張りなら俺が……」
「いや、今日はダンが御者を引き受けてくれたから、もう充分休ませてもらったよ。見張りは私がするから、今夜はアミーナと一緒に馬車でゆっくり寝るといい」
午後一番でヨークリーの町を後にした三人だったが、アミーナの身体を気遣いゆっくりと馬車を進ませたせいもあって、たいして距離を稼がぬうちに夜になってしまった。
このペースで行くと、王都に着くのは明日の夕方頃。
一晩中アミーナを堅い馬車で揺らす訳にもいかず、今夜はこの小川のある林の中で野営をする事になった。
「ん、わかった。じゃあ少し仮眠を取ったら代わってやるよ」
「はは。まあ、起きれたらでいい。でも子供はたくさん寝ないと大きくなれないんだぞ」
「……それは心配ご無用」
フフンと鼻を鳴らしてダンは馬車の幌を上げ、荷台に入っていく。
十歳にしては小柄なダンをからかったつもりだったが、その反応はいささか拍子抜けだ。
馬車の荷台は野営の可能性も視野に入れてあったので、三人が眠れるだけのフラットなスペースと毛布は用意されている。
慣れない旅とハプニングの為か、アミーナはとっくに荷台で眠りについていた。
ロギは馬車の外で一人、焚き火の前に腰を下ろし不寝番の任についた。
辺りに気を配り、火を絶やさぬよう薪をくべながらも、自然と心は憂い事へと馳せてしまう。
アミーナは、今回自分が襲われた事について「なぜ」と聞いてはこなかった。
殺されかけたというのに、そこは気にならないのだろうか。
皇女に守り人が必要なのは、単なる物盗りや暴漢は勿論の事、人々の崇める巫女という立場と神力を利用しようとする輩が誘拐を企てる可能性があるから――。
……と、今までロギたちは説明してきた。
だが、有無を言わせず命を狙われたのはアミーナにとっては今回が初めて。
実際は、十五年前のエデン屋敷の放火事件も真の狙いは皇女の命であったはずだが、それはただの火事だと話してある。
他にも、幾度となく屋敷に刺客が現れたり、買い付けたミルクや加工品に毒物が混入されていた。
いずれもアミーナの知らぬうちにロギとヴォックス、マリカで処理してきたのだが。
それらは全て、この百年に一度の儀礼参りに向かうエデンの皇女を邪魔だと考える者たちの仕業なのだ――――。
(できれば最後までアミーナには、神の社に行く本当の目的を知らせたくはない……。そんな人の醜さを見せたくはないが……)
ロギが心痛に顔を歪めたその時だった。
(……何だ?)
一瞬気のせいかとも思うほどの僅かな気配。
だが耳をそばだてると、確かに遥か前方から馬の嘶きのような音が聞こえる。
それなのにこちらに近づいてくる様子はない。
(昨日の奴の仲間が、追ってきたのかもしれない)
ロギは立ち上がって馬車に向かうと、荷台で寝息を立てているダンの肩を叩いた。
「ダン……何か変な音が聞こえる。見てくるからアミーナをたのむ」
ダンがカッと目を見開き、すぐに腰のジャマダハルを確かめる。
ダンの愛刀ジャマダハルは特殊なダガー(短剣)で、柄の握りの部分に指を入れる空洞があり、持つと拳の先に刀身がくるようになっている。
拳で殴りつけるように攻撃すれば、力の弱いダンでも敵を刺すことが出来る、小さな彼にはうってつけの武器だ。
「昨日の奴らなのか?」
「わからないが、とにかく見てくる。もしかしたら昨夜、私を襲った奴らの方が仕返しにきたのかもしれない」
ロギは怪しい物音がする方角を凝視しながら、自分もエクスカリバーを検めた。
その言葉にダンが驚いたように目を上げる。
「襲われた? 昨夜薬をもらいに行った時か? 何でその事、黙ってたんだよ」
「うーん。実は半分寝ぼけててな。身元も確かめずに斬ってしまったんだ。今の今まで忘れてた。ははは」
のんきに笑うロギに、ダンがあんぐりと小さな口を開ける。
「……白馬の王子がそんなにやんちゃでいいのかよ……」
「殺気むきだしで襲ってきたんだぞ。ただの盗賊かもしれないが、敵には違いないだろう? じゃ、行ってくるからアミーナを頼むぞ」
ロギは荷台から降りるとザザッと木々を揺らし、林の闇へ分け入った。
足早に馬のいななきが聞こえる方へ、息を殺して近づいて行く。
本当に妙な気配だ。
馬の鳴き声はするものの、人の居る感じや移動する様子もない。
かなり近づいたと思う所まで来ると、木の陰に潜み慎重に様子をうかがった。
(馬車だ……)
だがその馬車は横倒しになっており、繋がれた馬だけが時折ブルルと首を振っている。
(こんな所に馬車だけ? 乗ってきた人間はどこにいるんだ。暗くて良く見えないが……)
ロギは木の陰から出て、もう少し近づいてみた。
周囲への警戒は怠らない。
頼りは星明りだけだが、ここまで来ればだいたいの様子は見て取れる。
(…………!)
人間はいた。
一人が馬の足元に倒れ、二人は馬車の下敷きになってピクリとも動かない。
そしてもう一人、馬車の傍らに身じろぎもせず立たずんでいる人間がいた。
月が雲間から顔を出し、その状景を鮮明に映し出す。
(女性……いや、少女、か……?)
その長い銀色の髪を持つ少女は泣いていた。
声を出すでもなく静かに佇み、ただ馬車と横たわる者達を濡れた青い瞳で見つめている。
やがて少女はゆっくりと動き出した。
夜空を抱きしめるように両手を高くかかげ、ついと出したつま先が円を描く。
それはロギもよく知る、型の決まった弔いの舞。
そして先程まで涙を流していた青い瞳がしだいに金色に変わっていった。
(青から金色の虹彩……! まさか、皇女……?)
回る少女の長い銀の髪が、月明りを受けて白い靄のようにたなびく。
少女の舞は、身を切られるように痛く、悲しい。
型は同じのはずなのに、アミーナの舞う、魂を鎮め見送る穏やかな弔いの舞いとは全く違う。
だが月と悲しみを背景に舞う少女は、そこだけ時が止まったような錯覚を覚える程、あまりにも冴え冴えと美しい。
ロギはいつのまにか馬車の近くまで出てきてしまっている。
少女はそれに全く気付かずに、最後まで弔いを続けた。
「……君は、どこかの皇女だね。いったい、この人達は……何があったんだい?」
ロギは弔いが終わるのを待ってから、少女に声をかけた。
神降りで遠くを見ていた少女は、ゆっくりとロギに目を向け――、途端に怯えた表情になる。
その瞳は淡いグレーだ。
「怖がらないで。私は近くで野営していた……ええと、旅の者だ。馬の声がしたから様子を見に来ただけで、怪しい者じゃないよ」
いつものように穏やかな表情で、それ以上少女には近寄らずに両手を広げて敵意が無いことを告げた。
それでも少女は身体を硬くしている。
「この人達はどうしたの。なぜこんなことに……?」
ロギは横たわる人々に目を落とした。
全員一様に刀傷はなく、口から血や泡のようなものを流してこと切れている。
(毒物か……? すると、昨日アミーナを襲ったのと同じ奴らか……)
しばらくして、少女がやっと口を開いた。
「わかり……ません。急に馬たちが暴れだして……馬車が倒れて。私、気を失ってしまって……気が付いたら、みんなが……」
震える声が痛々しい。
こんな事になってしまっては当然だろう。
ロギはなんとかこの少女に自分を信用させて、ダンとアミーナの所まで連れて行きたかった。
温かいものでも飲ませてやり、安心させてやりたい。
改めて見ると、小柄なので少女に見えたがアミーナと同じくらいの歳だろうか。
細長く白い手足と銀色の髪が儚い印象を与える、美しい皇女だ。
ふと、少女の片方の脛から血が出ているに気が付いた。
「君、その足で舞っていたのかい?」
少女が驚いたように、自分の足元を見下ろす。
「ああ……、気付きませんでした。きっと、馬車が倒れた時に……」
ロギはそう言う少女に、意を決してツカツカと歩み寄った。
少女の顔がたちまち恐怖の色を帯び、後ずさる。
だがロギは迷うことなく少女に手を伸ばし、その華奢な身体を勢いよく抱き上げた。
「きゃああああ!」
悲鳴を上げる少女は、微かに何かの花の香りがする。
怯えて腕の中で暴れもがくのを押さえつけ、ロギは歩き出した。
「手当てが先だ。君を私たちの馬車に連れて行く。どうすれば私を信用してくれるかと思ったが、私の連れを見せるのが一番手っ取り早いだろう」
抵抗は無駄と感じたのか、今少女はロギの腕の中でただ硬くなっている。
ところがしばらく戻ると、何やら自分の馬車の方角から争っているような声と気配がした。
「しまった! やはりこちらの方にも……!」
ロギが少女を抱えたまま走り出す。
風のように木立をぬけ、前方に焚き火の炎がチラチラと見え始めると、ダンの切羽詰まった叫びが聞こえてきた。
「やめろぉ! それだけはやめてくれ!」
(ダン? アミーナを盾に取られたか!)
無我夢中で走り、暗い林を抜ける。
少女はいつのまにか落ちないようにと、しっかりロギにしがみついていた。
「やめろ、アミーナそれだけは……! それ、すっごい上等の酒なんだぞ! せっかくフォードさんがお土産に……。俺が悪かったよ謝る、謝るから!」
腰の引けたダンが両手をパタパタと振り、その前で鬼の形相のアミーナが酒瓶を頭上高く掲げている。
「反省の色がちっともなぁい! 寝てた私の髪を踏んづけておいてその態度……髪は女の命って言葉知らないの? しかも子供のくせにお酒なんか飲もうとするなんて、こんなの没収よ! いいえ、叩き割ってやるぅ!」
二人の激しい言い争いの真ん中に、ロギは勢い余って飛び出してしまった。
全員が一瞬にして言葉を失い息を飲む中、あの少女が恐る恐るロギの胸元から顔を覗かせる。
「……どうだい? 私の連れを見れば……安心するだろう?」
ため息交じりでロギは少女に言ったのだった。