恋は甘く切なく、ちょっぴりやましく
チキンについてごく軽くダンに抗議した後、ロギは出掛けていった。
抗議されたほっぺたをさすりながら、窓から馬を駆って小さくなっていく後姿を見送り、ほっと安堵の息をつく。
ロギはもうすっかりいつもの彼に戻っているようだ。
あの様子なら、もし途中で敵に襲われたとしても問題はないだろう。
かえって、そいつらの方に同情したいくらいだ。
静まり返った部屋の中、アミーナの細い寝息だけが聞こえる。
あいかわらず青い顔をして、一向に目を覚ます気配もない。
(呼吸困難がおさまったんだから、薬は効いているはずなのにな……)
急に心配になって、ダンは小さな手でそっとアミーナの頬に触れてみた。
(……! なんて冷たさだ……。人間の身体がこんなに冷えていて正常なはずない)
おそらく心臓の働きが極端に低下しているのだろう。
複雑な毒薬だとは思ったが、ほんの僅か飲んだだけだと高をくくっていた。
あの時、逃がした男の懐からいくつもの薬物が落ちたのが思い出される。
「野郎、そっちの腕は確かみたいだな……」
今頃ロギも必死で馬を走らせているだろう。
眠ること無く、休むこと無く。
(俺には俺の出来ることがあるはずだ。何か……何かないのか。身体をあっためる方法……)
とは言え、部屋は充分暖かいし、毛布もすでに何枚も掛かっている。
ダンはとりあえずアミーナの手を両手でそっと握り、さすってみた。
しばらく続けていると、少しだけ温かくなってきたような気がする。
(そうか! これだ)
ダンは服を手早く脱ぎ捨てまたパンツ一枚になると、さっき食事をしたテーブルに向かった。
料理は下げられていたが、ワインの入ったデキャンターだけは残されている。
ロギが出掛けに一杯飲んでいったが、ほとんど減ってはいない。
デキャンターを両手でつかみ、ダンはそれを水を飲むようにゴクゴクと飲んだ。
喉から腹へ心地よい熱さが流れ込んでいく。
「うわ、またおそろしくいい酒だな。フォードのおっさんて、ホントいい奴……」
別に身体が小さい時でも酒は飲める。
ただロギとアミーナの前では、飲まないようにしているだけの事。
ワインを全部飲み干すと、次にダンはアミーナのベッドに潜り込んだ。
冷たいアミーナの隣にぴったりと寄り添い、その横顔を見つめる。
信じられないほど青白い頬に、不安が恐怖に変わっていく。
(……大丈夫。俺が温めてやる……)
ダンはそっと自分の耳に触れ、それを思い切り引っ張った。
途端に腕が太く長くなり、背骨がきしみながら伸びていく。
この、痛くはないがムズムズする感覚が少し嫌いだ。
意識で元に戻る事も出来るのだが、耳はスイッチのように強く引くと条件反射的にその能力が発揮される。
完全に本来の姿になると、アミーナがやけに小さく感じられた。
(アミーナ……)
腕を伸ばすと、ベッドがわずかに音を立ててきしむ。
それでもかまわずに、ダンは自分の腕をアミーナの頭の下に差し入れ、そっと懐に抱いた。
ワインの効果か、自分の体温も上がってきた。
このまま腕の中に抱えていれば、アミーナもきっと温かいに違いない。
(人肌ってな……こうして触れていると身体の芯まで同じ温度になるんだぞ……)
アミーナの寝息が首の辺りにかかる。
静かに上下を繰り返す心臓の動きも、自分の裸の胸に柔らかく伝わってくる。
やがて、ダンの心臓の方がバクバク高速回転し始めた。
(…………俺、もしかしてとんでもなくイケナイ事してんのか……?)
自問自答しながら、しばらく身じろぎもせずに動悸がおさまるのを待つ。
その間もじっとアミーナの様子を見守っていた。
いつも元気で笑ったり怒ったりしているアミーナが、今は力なく青白い顔で横になっている。
可哀相で切なくて、なんだかこちらが泣けてしまいそうだ。
(お前の為に、吐き気がするような訓練にも耐えてきたんだぞ。それをこんな所で失ってたまるか!)
可愛い可愛いアミーナ。
初恋のおてんばアミーナ。
「……早く、元気になれ……」
そうつぶやいて目元に小さくキスを落とし、自分も目を閉じる。
(あー……すみません、ロギ様……。今のはちょっと……おまけと言うか、ご褒美と言うか……)
ロギに心の中であれこれと言い訳をしているうちに、ダンはそのまま眠りに落ちてしまった。
――――空が白み始めた頃、ようやくロギを乗せた馬がフォードの宿に帰りついた。
腰のバッグには必要だった薬草がたっぷりと入っている。
予想より早く戻ってこれたので、アミーナが目を覚ます前に解毒剤を調合する事も出来るだろう。
ロギはそっと部屋のドアを開け中に入ると、とにかくアミーナの様子を見ようとベッドに近づいた。
「…………これは……!」
アミーナが、小さなダンを抱きかかえてすやすやと寝息を立てている。
「……人肌、か。よくやったぞ、ダン」
ロギが目を細めて微笑む。
アミーナの頬は、いつものピンク色を取り戻していた。
「なるほどな。確かにこれはいい考えだ……よし」
朝が来た時、アミーナの両脇では裸のダンとロギがぐっすりと眠っていたのだった。
――アミーナにベッドから蹴り落とされた二人は、今、争うように朝食をガツガツと食べている。
「全く……涼しい顔して、意外と大胆だよな。このスケベ兄貴」
ダンはオムレツを口に放り込んで、ロギを上目遣いに睨んだ。
料理はフォードが部屋までみずから運んでくれたものなので、安心して口に運ぶことが出来る。
「おかしな言い方をするな。お前と同じ理由でベッドに入っただけだ。やましい気持ちなど一切ない」
負けじとパンを口に入れてロギが言い返す。全く平然としたものだ。
(俺だってやましい気持ちなんてなかったぞ。……最初は)
昨夜は本当に危なかった。
うっかり眠ってしまったが、目が覚めた時はまだ暗くロギも帰ってはいなかったのが幸い。
あわてて身体を小さくしてまた寝たのだが、危うく秘密がバレて大騒ぎになるところだった。
ダンが複雑なため息を漏らした時、部屋のシャワーを使っていたアミーナが戻ってきた。
「ああ、さっぱりした。あ、いいな。私もお腹すいた」
アミーナの言葉に、ダンとロギが同時に自分たちの食べかけの料理を差し出す。
「いやよ、そんな食べ散らかし! 私の分もちゃんと注文して」
アミーナはぷんぷん怒りながら、続き部屋へと行ってしまった。
ダンとロギからすれば、昨日あんな事があったばかりなので食べ物にはどうしても神経質になってしまうのだが。
「昨夜、死に掛けた人間とは思えない元気さだけど……。どう思うロギ? 大丈夫なのかな」
ダンがロギに小声で尋ねる。
「ああ。あの様子なら大丈夫だと思う。むしろ早く出発して、フレミアの私の家でゆっくりした方が安心なんだが」
「王都のロギの実家に寄るのか?」
「私の家ならそうそう危険な事は起こらないだろう。そこで改めて物資の補充をして社に向かおう」
とにかく午後にはここを発つ事に決めて、二人は改めてアミーナの食事を注文したのだった。