北のセルゲイ
「……で? 敵には逃げられて、爆風で服は焼け落ちて、パンツ一枚ですごすごと帰ってきたわけか」
冷ややかにダンを見下ろしてロギが言う。
「はい……すみません」
小さいダンがさらに小さくなる。
本当は子供用の服はコートのポケットに入れておいたはずなのだが、見つからなかったのだ。
おそらく、あの爆風でどこかに落としてしまったのだろう。
大きなコートを引きずりながら戻るわけにもいかず、仕方なくパンツ一枚で帰ってきた。
ダンはまだロギにも自分の能力の事を話す気はない。
この身体の利用価値は高く、誰もが子供だと思うと油断する。
どうしてもという時まで、秘密を知る者は少ない方が賢明という判断だ。
「だから私が行くと言ったんだ! 私なら姿を現した瞬間に斬り捨てている!」
大声をあげるロギの口を慌ててふさぎ、ダンが小声で囁く。
「しーーっ! アミーナが起きちゃうだろ」
二人は揃ってベッドで寝ているアミーナを見た。
呼吸は規則正しくなったようだが、顔色はまだ青白い。
「……すまない。私とて、斬る前に情報は得ようとするだろう。お前が無事でよかった」
その強張った笑顔を横目で見ながら、ダンは首から情報源を取り外した。
「それでさ、これなんだけど……」
持ち帰った懐中時計をロギの目の前にぶら下げる。
「表面は金銀で装飾されてるし、紋章みたいなのも見えるし、中も凝ってるからこれで何か分からないかな」
ロギは時計にじっと目を凝らし、息を飲んだ。
「これは……!」
表面は幾何学的な模様が施され、裏には紋章らしき図形。
蓋を開けると、文字盤とガラスカバーの中は水のような無色透明な液体で満たされている。
さらにガラスカバーの周囲には何かの細かい模様が彫られた、珍しい逸品だ。
「紋章は北の地、セルゲイの領主家のものだ。間違いない。やはり、他の皇女を潰すのが目的か」
「じゃあ、あいつ領主なのか? 俺、守り人かと思った。影って言葉も知ってたぜ」
「領主本人とは限らないだろう。領主家が抱える守り人かもしれない。どちらにせよ、セルゲイに気をつける事には変わりはない。これは私が預かっておこう」
その時、部屋のドアがノックされ、この宿の主人フォードが沢山の料理が乗ったトレイを手に入ってきた。
ロギが慌てて懐中時計を荷物の中にしまい込む。
「お嬢ちゃんの具合はどうだい? すまなかったな、うちのスープでこんな事になって……」
「そんな、さっき貴方にだけは説明したじゃありませんか。あれは皇女を狙った者の仕業で……かえって貴方とお店にご迷惑をかけてしまったのに、こうして部屋を提供してくださって感謝しています」
ロギが丁寧に頭を下げると、フォードは僅かに首を振りトレイをテーブルに置いた。
「いや。うちの客として迎え入れた時から、あんた達には安全と休養を保障するのが俺の仕事だ。それに店の方はあんたがうまいこと説明してくれたから何の心配もねえ。それよりあんた達、結局何も食べてねえだろ。今度は俺が作って、毒見して、俺自身でここまで持ってきた。どうか食べてくれ」
フォードが示した料理からはまだ充分な湯気と香ばしい香りが立っている。
「本当にありがとうございます。遠慮なく頂きます。ダンおいで。お腹すいただろう?」
待ってましたとばかりに、ダンは料理の前にいそいそと座った。
「おじさん、男前だね!」
「ははっ。面白い坊主だな。お前もさっきは大変だったろ。沢山食べて、早く大きくなって姉ちゃんを守ってやらなきゃいけねえぞ。さっき食べ損ねたチキンもあるから、たんと食べな!」
フォードはニッと笑って、またもやダンの頭をグリグリと撫でる。
この宿に決めたのは偶然だったが、主人のフォードがこんなにも気持ちの良い男だったのは嬉しい誤算だ。
「それから、兄さん。さっき聞かれた例の場所、一応地図を描いてきたよ」
フォードがエプロンのポケットから紙切れを取り出す。
それをロギは緊張した面持ちで受け取り、すぐに紙面に目を落とした。
「手間を取らせて申し訳ありません。でも、助かります」
「ここからだと、馬をとばしても二時間以上かかると思うが……本当に行くのかい?」
心配そうに尋ねるフォードに、ロギがおっとりと微笑む。
「ええ。今から行けば、朝までには戻ってこられるでしょう」
「なんだよ、どこか出掛けるのか?」
今まさにチキンにかぶりつこうとしていたダンは手を止めた。
ロギはすでに乗馬用の靴に履き替え始めている。
「解毒薬がもうないんだ。朝までにアミーナの体温が戻らなければ、まだ身体に毒が残っている証拠だ。その時に飲ませる薬を手に入れなきゃならない」
「ええ? 薬草ならマリカさんにたくさん持たされたぞ。ロギなら調合できるだろ?」
ロギは薬師でもあるマリカに薬学は学んでいる。
調合に関してはスペシャリストのはずだ。
「それがな、さっき荷物を調べたらトネラリカの葉が足りないんだ。かなり特殊な薬草だから普通どこの店にも置いてない。フォードさんが一軒、心当たりの店を教えてくれたから、少し遠いが行ってくる。朝までには帰るからアミーナを頼むぞ」
返事もそこそこに足早にドアへ向かうロギの前に、太い腕を組んだフォードの巨体が立ちはだかる。
その顔は真剣そのものだ。
「お前さん、食事をしてから行くんだ。エネルギー補給は最も大事な事だぞ。お嬢ちゃんが心配で焦る気持はわかるが、途中でまた襲われたらどうする。より早く確実に薬を持ち帰りたかったら、俺の言うとおりにした方がいい」
ロギがハッと息を飲み、フォードを見上げる。
そこへダンも重ねて言った。
「フォードさんの言うとおりだよ。昼から何も食べてないんだぜ。それに、ちょっといつもの冷静なロギじゃないよ。今回のアミーナの事、どうせ自分を責めてるんだろ」
その言葉にロギがゴクリと喉を鳴らした。
「参ったな……まさに、二人の言うとおりだ」
そしてひとつ、大きく息をつく。
「旅に出て、最初の宿でアミーナをこんな危険なめに遭わせてしまった。当然、こういう事も予測していたはずなのに、アミーナが楽しそうにしているのがなにやら嬉しくてな……気が緩んでいたとしか言えない」
「なんで全部自分だけでやろうとするんだよ。何の為に俺が居る?」
「ボウズ……口の周り、チキンの油だらけで言っても説得力がないぞ……」
フォードの横槍をダンがキッと睨み付けると、ロギは強張っていた肩を緩めて微笑んだ。
「いや、ダンが正しいんですよフォードさん。私はどうも余裕がなくていけない。自慢のチキンを頂いてから行きます。……ありがとう」
その目は、いつもの柔らかくも澄んだ色を取り戻しているように見える。
ロギが料理の並ぶテーブルに向かって歩き出すと、ダンとフォードはニヤリと視線を交し合った。
「いい男だな、あいつ。今どきあんな真っ直ぐな奴はなかなかいないぜ」
「まあね。俺が唯一、兄貴って呼んでもいいと思ってる男なんだ。でも今夜もう一人、一度くらいなら兄貴って呼んでもいい男ができたぜ」
そう言ってダンがフォードを見上げる。
「……誰だか知らねえが同情するぜ。おめぇみたいな生意気なガキにそんな風に呼ばれちゃあ、たまったもんじゃねえなあ」
いかつい顔をくしゃっと緩めてフォードがダンの頭をグリグリと撫でる。
そこへテーブルについたロギから声がかかった。
「……ダン? 私の分のチキンがこんなに小さくなっている事について、ちょっと議論したいんだが……」
微笑むロギの背後に、ゴゴゴと蒼い炎が沸き立つのをダンは確かに見た――。