ダンの真実
宿屋の主人でもある食堂のマスターに確認したところ、やはりこの店にはウェイターは一人もいないそうだ。
あの場に居合わせた他の客には、アレルギーの出る物をうっかり食べさせてしまったのだと説明した。
大半が納得してくれたようだ。
今、アミーナは部屋のベッドで眠っている。
二本飲ませた解毒薬が効いたのか、心配した呼吸困難も落ち着いてきている。
ただ、体温が異様に低くなり、目覚める様子がない。
後をロギに任せ、ダンは宿の外の物陰にいた。
何か仕掛けた者は大抵、その結果を確かめにその場に戻ってくる。
どうやらそのセオリーは今回も正しかったようだ。
(来た……。あいつだ)
一人の男がブラブラとした足取りで、こちらにやってくる。
作業服のようなものを着て何かの職人に見せかけてはいるが、あの時チラと見たウェイターの顔に間違いはない。
男は宿から出てくる客になにやら話しかけている。
宿の客と少し立ち話をして、その男はまたブラブラと、もと来た道を戻り始めた。
ダンが男の後をさりげなく追う。
あたりを警戒しているようだが、ダンの存在には気も留めず歩いていく。
(気付くはずない……、知らねぇんだし)
男は宿屋街を抜け、怪しい雰囲気の通りに出た。
顔見知りなのか、夜の女が店先から男に声を掛けている。
(クソ野郎、のんきだな。アミーナに危害を加えるとどうなるか……。教えてやらないとな)
やがてその男は、すでに廃業になったような店の馬小屋に入っていった。
――――その数十分後。
黒いローブを着た見知らぬ男が、ゆっくりと馬小屋のドアを開けた。
すでに使われていない小屋に馬などは居ず、藁が散らばっているだけ。
窓から入るわずかな月明かりでようやく歩ける程度で、中は薄暗い。
男が小屋に足を踏み入れ、黙ったまま中へ一歩二歩とゆっくり歩いてくる。
ローブの裾が、その動きに合わせて広がった。
「……動くな」
その声にローブの男は一瞬肩をビクッと震わせたが、言われたとおりその場で足を止める。
それを確認し、ダンは小屋奥の暗闇からゆらりと姿を現した。
「うちの皇女にずいぶん安い値をつけたんだなぁ。千ラルクで頼まれたって言ってたぞ、こいつ」
ダンが傍の暗がりに転がった、作業服の男の足を蹴る。
ローブの男からは足しか見えないだろうが、自分が雇った者だという事くらいは察しがつくだろう。
「……安くはない。それに成功報酬、二千ラルク上乗せの契約だった。もう払う必要もないようだがな。……殺したのか」
トーンは低いが、良く響く声。
ダンは男の質問に、肩をすくめた。
「そんなつもりはなかったけどな。あんまり腹が立ったからちょっと力を入れすぎたかもしれない。首がゴキっていった。心配するって事は、こいつ雇われじゃなくて身内なのか」
「いや、死んでいるなら手間が省けると思っただけだ」
男の口調からは何の感情も感じられない。
しばらく二人は黙ったまま、薄闇の中を見つめあう。
静かで緊迫した時間が過ぎていく……が、先に沈黙を破ったのはローブの男の方だった。
「……お前は誰だ」
押し殺したような声で尋ね、一歩ダンに近づく。
ドガッ!
ダンの投げたダガーが男の踏み出した靴に突き刺さった。
「ぐうっ!」
男が崩れるようにしゃがみ込み、足を抱え込む。
「動くなと言っただろう。その質問はこっちがしたいね。貴様は誰だ。エデンの皇女を狙う目的は?」
今度はダンの方から男に近づいていった。
月が雲間から顔を出し、窓から入る光が少し明るくなっていく。
「私の……データにはお前など居ない。エデンの皇女に同行しているのは、たった二人のはずだ。金髪の剣士と黒髪の子供だけ。お前は……影なのか?」
「影……ね。共に行動はせずに、密やかに皇女を守る守り人を指す隠語だ。その質問に答えたところで、これから死ぬお前はそれを誰かに報告はできねえ。今の俺は普段ほど可愛くはねぇからな……」
それを聞いた男はハッと顔を上げ、ダンを食い入るように見つめた。
窓からの明かりに照らされて、今はっきりとダンの姿が浮かび上がる。
「違う……影ではない! それがお前の守り人の能力だったのか!」
黒髪に黒い瞳、そして羽織っただけの黒いロングコートから見事に鍛えられた身体を覗かせた長身の青年。
それは紛れもなく、真実のダンの姿。
「おしゃべりは終わりだ。お前を死体にして所持品から情報をもらう。……俺はな、アミーナにあんなものを飲ませた奴を最初から生かしとく気なんてねえんだよ!」
そう言うが早いか、ダンはダガーで男の腰の辺りを真一文字に切り裂いた。
が、意外にも素早い動きで男が後ろに飛び退く。
ローブと腰のベルトだけが切れ、護身用の短剣や懐中時計、薬のビンらしき物がバラバラと落ちた。
「お前の専門は薬物か。にしては、けっこう素早いな!」
言いながら、ダンはコートを翻し男の懐目がけて風のように跳ぶ。
だがその時、男が胸から小さな瓶のような物を取り出しダンの後方へと投げつけた。
「何だっ!?」
(――前へ、跳べ!)
突然、誰かの声がダンの頭の中に響き渡る。
次の瞬間、耳をつんざくような爆音と共に、小屋の後方半分が吹っ飛んだ。
とっさに前へ跳んではいたが、ダンは激しい爆風に煽られ路地に投げ出される。
(油断……!)
受身もそこそこに道端にゴロゴロと転がって、しばし呆然とする。
「あっつ……あの野郎……!」
コートの背中は焼け焦げたが、幸いたいした怪我はない。
あの時、一瞬見えた小瓶が爆薬だと気が付かなかったら、そして前に跳べという声……いや、勘がなかったらこんな傷ではすまなかっただろう。
「クソッ……逃げられたか。結局、情報はこれだけかよ」
ダンの手には、爆発の刹那、とっさに拾った男の懐中時計が握られていた。