魔手の味
とっぷりと日も暮れ、夜が完全に辺りを支配した頃、ようやくエデンと王都フレミアの中間地点にあたるヨークリーの町に到着した。
三人が今夜の宿に選んだのは、町に入って一番最初に目に付いたこじんまりとした店。
それは『お腹がすいて、もう一時も待てない!』というアミーナとダンの主張のせいに他ならない。
部屋に荷物をおろし、さっそく三人が食堂に向かうと、遅い時間だというのにそこは大変な賑わいだった。
「じゃ、ロギとアミーナはグリルチキンでいいんだな。あとマフィンと……スープはどうする?」
メニューに関しては、ダンが一切を取り仕切っている。
「私、トマトのスープがいい。あとプディングも」
トマトはアミーナの大好物だ。ついでに言うならプディングも。
昔からよくマリカは、アミーナのためにプディングをこしらえてくれた。
マリカ以外の者が作るプディングを食べるのも、アミーナにとっては初めての心躍る体験だ。
「私は、スープはいい。そのかわりサラダをもらおう。あとワインを」
一番疲れているのは、一日中馬車を操っていたロギのはず。
ワインの一杯も飲まないとやっていられないのだろう。
「俺もスープはいいや。あ、おすすめリゾットなんてのがあるぞ。俺それにする。ロギ、早く注文してくれよ」
ダンとアミーナが目をキラキラさせてロギを見つめる。
椅子の背にぐったりと身体を預けていたロギは、自分を奮い立たせるように大声を張り上げた。
「マスター! ……オーダーを」
いつのまにかロギは、アミーナとダンの保護者のような立場になってしまっている。
オーダーを受けたマスターは注文を取り終えると、満足げに白い歯をのぞかせた。
「お客さんたち、わかってるねえ。うちのチキンは最高だぜ。俺が大事に愛情かけて育てた鶏だ。リゾットの野菜も、そこいらのとは味わいが違うぜ」
なるほど、シャツからのぞく日焼けした逞しい腕は日頃の畑仕事の賜物なのだろう。
「おじさん、僕おなかペコペコなんだ。早くね」
「なあに、混んじゃあいるがこの時間はほとんどが酒飲みだ。すぐにできるから良い子で待ってな、ボウズ」
ダンの頭をクシャっと撫で、マスターは厨房に入っていった。
見知らぬ人が大勢集まる食堂、屋敷以外の場所で夜を明かすこと。
アミーナにとっては全てが物珍しく、思わず店内をキョロキョロと見回してしまう。
やがて、そんな自分にロギがじっと視線を注いでいるのに気がついた。
「いやだ、私ちょっとはしゃぎすぎてるみたい。ロギは疲れてるのにね、ごめんなさい。でもなんだか楽しくて」
「いや、いいんだよ。アミーナが楽しそうにしていると私の疲れなど吹っ飛んでしまうから」
穏やかに目を細め、ロギが微笑む。
「こうやって働く人々に触れ、大事に育てられたものを食べる。いずれ、領主としてエデンの地を見守っていくアミーナにとって、それはたしかに必要な事だからね。それにしても……」
ロギは視線を向かい側に座るダンに移した。
彼はテーブルに突っ伏して、すでに両手にフォークとナイフを握っている。
「ダン……、お前は行儀が悪すぎだ」
そう注意しながらもロギは笑っている。
どうやら彼は、同じ守り人同士という事を越えてダンを可愛がっているようだった。
だがそれはアミーナも同様。
ダンと言いたいことを言い合って、怒ったり笑ったり、時には喧嘩になったりもする。
そんな事がこんなにも楽しく、替えがたいものであるとは思いも寄らなかった。
「あ、料理来た! 絶対あれ、俺達のだ」
ダンが小声でそう言って、姿勢を正す。
ウェイターが料理を運んできて、テーブルにはトマトスープとリゾットが置かれた。
「わあ、おいしそう!」
アミーナも思わず笑顔になってスプーンを取り上げる。
「どうぞ、お先に召し上がれ」
ロギはそう勧めてくれたが、隣のダンはなぜかじーっとアミーナのスープを見つめている。
「……なによ、ダン」
アミーナは手を止めて、ダンにけげんな目を向けた。
「……いいな。スープ。やっぱり俺も頼めばよかった……」
「……プッ」
「ハハハハハ」
ダンの「この世の終わり」のような表情に、アミーナとロギが声を上げて笑う。
「仕方ないわね。じゃ、半分こしようか」
アミーナの許可が下りる前に、ダンはスプーンを取り上げニッコリしている。
その笑顔にはきっと誰も敵わないだろう。
「わーい。いただきまーす」
自分のリゾットを後回しにして、アミーナとダンが仲良くひとつのスープをすくって口をつける。
その時だった。
突然ダンがカッと目を見開いて、テーブルの下にスープを吐き出した。
「待てアミーナ!」
そう叫ぶより早く、アミーナの頬にダンの平手が飛ぶ。
(…………!?)
アミーナの口からスープが飛び出し、声を上げる間もなく椅子ごと床に投げ出された。
ガシャンガシャンと派手な音をたてて、いくつかの食器がテーブルから落ちて砕け散る。
だがそんな事には一切構わず、ダンはすぐさまテーブルの上から水差しを取ると、アミーナの上に馬乗りになり口の中に無理やり水を突っ込んだ。
「う……っ! 何……? や、だ……っ!」
店に居た他の客もただならぬ様子に席を立ち、ザワザワと遠巻きに輪を作り始めた。
それでもダンは必死の形相でアミーナの口に水を流し込み続ける。
ほとんどが口からあふれ服や床を水浸しにしたが、頬を掴まれたアミーナは溺れたようにかなりの水を飲まされた。
ようやく水差しが空になると、次にダンはアミーナの口の中に指を突っ込んだ。
「ゴボァッ!! うっ……!」
たまらず、飲んだ水が全部吐かされる。
アミーナは何がなんだか分からないまま、涙と吐いた水とでビショビショになった。
「ロギ!」
ダンの叫びに、今度はロギが懐から出して用意してあった小瓶の液体を、アミーナの口に突っ込んだ。
「い……や……! ロギ……」
泣きながら抵抗するが、ロギにがっちりと捕まれ身動きができない。
「しっ! 我慢して全部飲むんだ。……これは解毒薬だから。大丈夫、ダンの応急処置が早かったから心配はいらない」
そう言ったロギの顔は真っ青で歪んでいた。
(解毒薬……。なに……? どういう事……)
もうろうとする意識の中、まだアミーナは事態を理解できない。
ダンが隣のテーブルから新しい水差しを手に取り、自分もガボッと口にしてから床に吐き出すのが見える。
そしてアミーナに薬を飲ませているロギの傍にしゃがみこんだ。
「どうだ?」
「口に含んだ直後だったし、処置も早かった。飲み込んではいないだろう。……お前はそんな程度の処置で大丈夫なのか?」
「俺はすぐに気付いて出したから大丈夫。それに毒には多少の免疫はある」
ぼそぼそと会話する二人が、アミーナの視界にぼんやりと映る。
「そうか……油断していたな。ダンが気付いてくれてよかった。……この店の者ではないな」
「ああ。うかつだったよ。店に入ってきた時、店員はみんなウェイトレスだった。俺たちの料理を運んできたのは……ウェイターだ」
その時、アミーナの身体に異変が起きた。
なぜか息をするのがとても難しい。しかも喉の奥からヒューヒューと細い音がする。
「息……うまく……できな、いよ……」
やっとそれだけを訴えると、ロギとダンの顔色がサッと変わった。
「呼吸困難……!? クララが調合されていたか! やはり少し飲んでしまってる……」
「ロギ! 俺の持ってる方の解毒剤を……」
二人の声が遠くなっていく。
また口に何か入れられたような気がするが、もうよくわからない。
アミーナは痺れるような感覚と共に暗闇に落ちていった。