8 違和感。
文ちゃん先輩に連れてこられたのは、当初の予定通り(?)北側校舎の一階にある視聴覚室だった。
入口の扉を閉めると、文ちゃん先輩はやっと僕のネクタイを放してくれた。
少し俯き気味に彼女は、
「…鮎子おねえちゃんは…昔からああなのです」
と、鉄血宰相にふさわしからぬ小声で口にした。
「鮎子…おねえちゃん?」
「…い、いえ!、剣城先生のことです!」
ほほう。いつもの「鮎子先生」ではなく名字の方が出てきましたか。さすがに動揺されているとお見受けいたしましたが。
「仲がいいんですね」と僕。
二人を見ていると、おっとりした姉としっかり者の妹というイメージがあるんだよなあ。
「仲がいいというか…鬼橋の家は代々、おねえちゃんの側にいますから…」
何だか歴史的なお話になってきた。もしかして鮎子先生ってば、戦国時代辺りの名家の出身で、文ちゃん先輩の家はその家来の家柄とかなのだろうか。
だとすれば、さっきの鮎子先生の『文ちゃんの一族を昔から知ってただけ』という言葉も納得できるというものだ。
ここ群馬という所は「関東三国志」なんて言葉があるくらいで、戦国時代には甲斐・信濃の武田、越後の上杉、そして小田原北条それぞれの巨大勢力が領土拡大の果てに激突したフロントラインとなったという歴史がある。
そのせいかどうかは知らないが、県内にかつて「城」と呼ばれた場所はおよそ270もあるのだそうだ。ウチの近所にも、自転車でちょっと走れば、道路の脇に「○○城跡」なんて標識を見かけることがよくある。あり過ぎる。
実際そこに行ってみると、天守閣とか石垣とかがあるわけでもなく、小山の上にある寂れた様な公園の片隅に、風雪にさらされて消えかかった様な手書きの文字で「本丸跡」なんて書かれた柱が建ってるだけだったりするけれど。
僕の場合、元々歴史好きということもあって、子供の頃から自転車で行ける範囲にある「城跡」には足を運んだ。もっとも、本当に子供の頃は、夏休みの昆虫採集が目的だったけど。
ああいう場所って大抵繁みとか林があるから、朝早くに行くとカブトムシとかクワガタとかが面白いくらい捕れた。何度も足を運んでいるうちに、ひっそりと建っている柱の文字が何となく気になりはじめて、それから色々と調べたり親に話を聞いているうちに、いつの間にかこういった歴史好きな変わり者になってしまった…というのが今の僕。
そんな、歴史の息吹を身近に感じることのできる土地柄なのだ、わが群馬という所は。
いや土地だけじゃない。お城がたくさんあった、ということはそこに仕えた武士も多かったということで。
ウチのクラスメイトの中にも「○○和泉守の末裔」とか「○○豊後守の流れをくむ家系」なんてのが普通にいたりもする。
わが群馬県からは二人の総理大臣も出てるけど、片や武田信玄に従って攻めてきた武将の家柄だというし、片やそれに対抗した「上州四天王」の末裔だという噂もあったし。
ちなみにわが志賀家はというと、どうやら戦国の終わり頃にこの地に流れてきた、ごくありふれたお百姓の家系なのだそうだが。母方のご先祖は江戸の中期まで全国を行脚していた旅芸人だったそうだ。そのせいか、そっち側の親戚には東京で役者やってるのとか写真家になったのとか、芸事方面に進んだ奴が多い。まあ僕だってギターなんかにハマってまったのはそっちの血筋の為せる業、という奴だろう。
だから鮎子先生と文ちゃん先輩の家の間にそういった関係があるとすれば、「ご先祖様からのお付き合い」みたいな物もあるのだろうな…と、僕はそこまで考えた。
…ん?ちょっと待てよ?
それはそれとして、だ。
文ちゃん先輩は今何て言った?
『代々、おねえちゃんの側にいますから』
…たしかにそう言ったよな?
代々…?代々…??
「…あの?」
「何でしょうか」
「文ちゃん先輩は今、『代々』って言いましたよね?『代々、側にいる』」って?」
あ、と言う表情になる文ちゃん先輩。
「それが何か?」
「それじゃあ、まるで鮎子先生が物凄いおばあちゃんみたいじゃないですか」
言い間違えなのだろうけど、ちょっと面白かった。
「あ…ああ、そうですね。単なる言い間違えです。私としたことが、少々動揺していた模様です」
頬を赤らめて、ちょっと舌足らずな口調になる文ちゃん先輩。
なるほど。さっき鮎子先生に褒められたのが、よほど恥ずかしかったらしい。この人は意外に人から面と向かって褒められる様なことがないのかな?色々と凄い経歴の持ち主なのにな。
それとも相手が「おねえちゃん」と慕っている鮎子先生だからなのかな?
いずれにせよ、この僕が「文ちゃん先輩」って言っても気づいていないくらいは心穏やかでもないらしい。うん、やっぱこの先輩、可愛いなぁ。
「も…もうすぐ12月だというのに、今日は何だか暑いですね?」なんて言って、文ちゃん先輩は制服のポケットからハンカチを出そうとして。
ぽと。
その拍子に、ポケットに入っていた達磨のマスコット付キーホルダーが落ちて…あれ?
そこに付いていたのは僕の愛車「自由の翼」号の盗難防止キーではなくて。
たぶん、家か何かの…鍵?
「あれ…そのキーホルダー?」
「あ…ああ、これは私の家の鍵です」と、文ちゃん先輩はかがんで鍵を拾った。
「だ…達磨のマスコット…なんですね?」
「はい。なかなか可愛らしいので気に入っています」
あらららら。僕はとんでもない思い違いをしてしまっていた様だ。考えてみれば、直球勝負を是とする「鉄血宰相」が、逃亡防止に鍵を抜いておくなんて姑息な手段を使うというのもそぐわない気もするしなあ。
人間、自分にやましい事があったりすると、不必要に人様の事まで疑ってしまうんだな。
これは大いに反省するべきである。そんなままではロクな大人にはならないだろうし。
反省、反省。これは大いに自戒すべきことであることである。
そんな考え方をしてしまうのは、あれ?僕も文ちゃん先輩に感化されたかな?
「あはは。実はそのマスコット、おんなじのを僕も持ってますよ」
それで文ちゃん先輩のことを疑ってしまった、とは言いづらいのだが。
「む、そうでしたか。奇遇です。キミとは趣味が合うのでしょうか」
くすくすと笑う文ちゃん先輩。…ほお、こんな表情もするんだな。
「志賀君。キミはつくづく興味深い」
それは僕も同じだった。「鉄血の魔女」とか「鉄血宰相」、果ては中世の拷問器具だという「アイアンメイデン」の異名(これ、決していい意味じゃないよなぁ)まで持った生徒会長の、知られざる可愛らしい一面を見ることができたのは幸運なのか、そうでもないのか。
とはいえ、150センチにも満たないであろう小柄で華奢な彼女の外見からすれば、むしろこっちの方がよっぽど似つかわしいとは思った。
「ああそうだ。志賀君、これをどうぞ」と、文ちゃん先輩は、ハンカチを出したのとは逆のポケットから缶コーヒーを取り出した。
「あ、どうも」と受け取った缶は、もうあまり温かくはなかった。
「申し訳ありません。キミをわざわざ呼び出したのですから…と思って用意したのですが、すっかり冷めてしまったみたいです」
なんと、そんな気遣いまでしていただいていたのか。そんな人を疑うなんて、僕ぁ…。
ああ、自己嫌悪だ。
「だ…大丈夫ですよ、まだ。それに僕はここのメーカーの大好きですし」
「それはよかった」と、彼女も自分の分の缶を開けて微笑んだ。
僕たちは視聴覚室の椅子に座って、ぬるくなったコーヒーをいただいた。
たしかにもうぬるめになっていたけれど、それが逆に彼女の人柄の温かさの様にも思えて、舌に馴染んだ味のはずのコーヒーが、いつも以上に甘く感じたのだった。
こくんこくんと細い喉を動かしながらコーヒーを飲み終えた文ちゃん先輩は、
「さて志賀君」
と、今日僕を悩ませ続けてきた本題に入ろうとしてきた。
・・・どう答えるべきか。
あんな夢かどうかも分からない様な荒唐無稽な話を切り出しても、信じてもらえるとは思わないけど、かといってこれだけ真っ直ぐな文ちゃん先輩に対していい加減なことは言いたくもない。僕はもう、それだけ文ちゃん先輩という尊敬すべき先輩の「本質」を知ってしまった。
そもそも、彼女がここまで僕に執着してきたのは、生徒会長としての責務による所が大きいと思っている。原因はともかく、生徒の身に及ぶ危険はまず排除すべしというのが彼女の考えの根底にあるのだろう。だから彼女なりに考えて、あの崩落事故(本当は事件だけど)に遭遇した僕の証言を参考にしたいのだろう。
「衛生」、なんて言葉を思い出した。
先日テレビでやってたのだけど、この言葉を聞くと、多くの人は普通「清潔にする」なんてイメージを抱くと思う。それも間違いではないのだが、この言葉は本来、「有害な物を排除する」という意味を持つのだという。
文ちゃん先輩の発想の根底にあるのは、この「衛生」という概念ではなかろうか。
決して潔癖症とかではなく。
「…あの崩落事故のことですよね?」と、僕は心の中で襟を正した。
「む、キミはあまり話したくはなさそうでしたが、気が変わったのですか?」
「えっと…はい」
うなずく僕。
「あの件は、話すのは色々と問題があって…」
「それはそうでしょう。あの様な事故を目の当たりにした衝撃、お察しします」
いえ、そうでなくて、と口にしてから、僕は口をつぐんだ。
文ちゃん先輩は、そんな僕が自然に口を開くまで待ってくれている。いつものように真っ直ぐ僕を見つめているその瞳は、心なしか柔らかそうだった。
葛藤を整理する時間をそれなりに費やした後、僕は意を決して言った。
「…こんな事を言うのも何ですが、実は、僕は土曜日の一件は現実だったのかどうかもまだ確信してないんです」
「事故は間違いなく起こったことですよ」
「それはそうですけど…」
「志賀君は、あの事故が起こった時に、あの場所に居合わせたのですよね?」
「…いました」
「やはり…」
文ちゃん先輩の瞳が、至極真剣な物に変わった。ここから先は生徒会長としての顔になるのだろう。
決めた。ここまで真剣に生徒の事を考えてくれる生徒会長には、たとえ怒られようと、あるいは呆れられようとも、やっぱ嘘は言いたくないよなあ。
信じてもらえないかもしれませんが、と僕は前置きした。
とりあえず話してください、と文ちゃん先輩。
僕はあの夜、新幹線の側道沿いの小さな橋の上で目撃した異様な出来事を、記憶に残っている限り話してみた。
小川から出現したコールタールもどきに喰いつかれそうになったこと。そこを空飛ぶ蝙蝠みたいな女の人(?)に助けられたこと。あの崩落事故はコールタールもどきが口から吐いた悪臭まじりの粘液で起きたこと。そしてコールタールもどきは、手を鎌みたいに変化させた女の人に一刀両断されてしまったこと。
そして。
コールタールもどきは、最期に人間の言葉をはっきりと口にした…こと。
最後まで話しているうちに恐怖心が蘇ってきてしまったらしく、どうやら僕はガタガタ震えていたらしい。
思い出したくもない様な恐怖は、それを記憶の片隅に封印させてしまうのだという。そうすることで恐怖のあまり精神が崩壊するのを防いでいるのだそうだ。だから僕は今まであの異様な出来事を断片的に、そして曖昧にしか覚えていなかったのだ。その封印を今、僕はこじ開けてしまった。
…アレハ、ヤハリ夢ナンカジャナカッタ…?????
「あ…あ…あ…」
「…志賀君?」
僕の異常な変化に戸惑っている文ちゃん先輩。
「あ…あれは…間違いなく人の言葉だ…った…その声を出している口だって、どう見ても人間だったし…何あれ?…何だアレ…!?」
ゲシュタルト崩壊。
全体性を持ったひとつのまとまりから全体性が失われてしまい、それぞれが個別の、ばらばらの存在として再認識されてしまう心理現象をこう呼ぶ。今や僕の脳内にはがちがち音を立てる無数の歯、うねうね動くコールタールの大蛇、小川に浮かんだ波紋、宙から降ってくる鋭利な大鎌、嘲笑うかの様な女の口元…そして食いちぎられて首から上が無くなった僕の…胴体。
あの夢の中で見た、そんな嫌なイメージが次々とフラッシュバックを起こしながら僕の脳内を駆け巡っていた。
「あ…あ…ああ…!」
そんな時、文ちゃん先輩が何かつぶやいた気がした。
すると何か温かい感触が僕を包んだ。
それはとても柔らかなものだった。
何か不思議な感覚が、僕の身体の中に流れ込んでくる。
その感覚が浸透してゆくにつれて、次第に意識がはっきりとしてくるんだ。
「…志賀君!」
文ちゃん先輩の声は、今度ははっきりと聞き取れた。
その声で正気を取り戻せた僕は、その小さな身体で僕を抱きしめている文ちゃん先輩に気づいた。
…え?
「しっかりしなさい!もうだいじょうぶだから!だいじょうぶだから!ね?」
「文ちゃん…先輩?」
制服を通して、お世辞にも大きいとは言えない、実にささやかな胸のふくらみ具合まで感じ取れてしまうこの密着度は…ナンデスカ?
「もうだいじょうぶだから!ね?ね?」
「あのぅ…文ちゃん先輩?」
「ね?ね?私がいるから…ね?」
「…文ちゃんさん?」
「だいじょうぶ!だいじょうぶ!」
…。聞いちゃいねえ。
「…胸、ちっちゃいんですね。でも僕はどっちかっていうとそっちの方が」
「……!?」
いまだに僕に抱きついた…というよりも、冷静になってみればむしろしがみついたと表現した方が妥当なままの状態で、文ちゃん先輩は、またもや「あ」、という顔をした。
……。
時が止まった。
それでも文ちゃん先輩はまだ僕にしがみつき、僕はというと、なぜかそんな華奢な文ちゃん先輩の腰に手を回しているという、何このホールド・ミー・タイト。
「…志賀君?」
「何だいはにー」
「…私ははにーではありません」
「…軽いんですね」
「私の体重は39Kgですから」
女の子がそんなに軽々しく自分の体重を公表しないでください。男の夢がなくなります。
「…戻ってこれた様ですね」
「そのようで」
すると文ちゃん先輩はこほん、とひとつ咳払いをして僕から離れた。
「それは何よりです」
極めて冷静な素振りで言う文ちゃん先輩。でもよく見るとちょっぴり頬に赤みが差してる。
とりあえず、ここは感謝すべき…なんだろうなあ。
「…落ち着きましたか?」
「え…っと、はい」
一度落ち着いてみると、今度は無性に気恥ずかしくなった。
振り返れば、今日の僕は最低だ。
まず、生徒たちの安全を考えてくれている文ちゃん先輩から逃げ回っていたこと。そして文ちゃん先輩の前で喚き散らす醜態を披露してしまったこと。
…その上、そんな彼女に慰めてさえしてもらった。
はは、最低だな僕ぁ…。
男としてのメンツがどうのなんてことじゃない。人としての自分が、とてつもなく自分本位で嫌な奴に思えた。情けなくなった。
……。
何も言えず俯いているだけの僕に、文ちゃん先輩は言った。
「…志賀君。私は信じますよ」
「…え?」
「私は信じます。キミの言葉を」
「だ…だって、こんな馬鹿げた話ですし…」
「キミは私をからかうために、あんな態度を取ったとでも?」
「……」
「キミの身体を抱きしめた時、身体の震えを感じました。あれは心の震えがそのまま滲み出たものだと確信します」
「心の…震え…?」
「人は、基本的には嘘をつくものだと私は思います。それは自分の心の奥底を見せたくない、自分のもっとも弱い部分をさらしたくないという防衛衝動からくるものだとも」
嘘をつく、かあ。…そういえば「人の本性は悪なり」なんて武田信玄も言ってたっけ。
「でも、どんなに嘘をついていても、時にはそれを隠しきれないで表層に出てしまうこともあると思うのです。…たとえば」
「…たとえば?」
「強い感情。たとえば憎悪とか…恐怖とか」
「…もしかして、恋愛感情とかも…でしょうか」
「…それは私には分かりません。私は恋愛感情という物を抱いたことがまだありませんので」
そう言う文ちゃん先輩は、どこか遠い目をしていた。
「…私には縁遠い感情です。先程のキミの怯え方は尋常な物ではありませんでした。何かよほど恐ろしい体験をしないと、あの様な感情の爆発は起こらないと思います」
感情の…爆発か。火山の噴火みたいなものか。
「心の奥底、心の深淵に押し込みきれないほどの強い感情は、きっかけがあれば表層に噴き出してしまうものです。先程のキミの身体の震えは、まさに心の震えが吹き出したものだった…それが私がキミの荒唐無稽な話を信じる理由です」
「文ちゃん先輩は…」
「はい?」
「…文ちゃん先輩も、そういった『心の震え』を持ってるんですか?」
文ちゃん先輩はしばらく目を瞑っていた。
そして沈思黙考の後、こう言ったのだった。
「…私にも…ありますよ」
文ちゃん先輩の…心の震え…か。「鉄血宰相」の心の震え。おいそれと踏み込んではいけない事かもしれないけど、正直なところ関心はある。
「それよりも」
「それよりも?」
「それよりも、まず私の不用意な質問がキミを混乱させてしまったことを謝罪いたします」
文ちゃん先輩は深々と小さな頭を下げた。こういう所は本当に律儀で真面目で、フェアな人なんだなあ。
「いえ、気にしないでください。こんな馬鹿な話です。信じてもらえるなんて思ってませんでしたから。正直、予想外でした」
「…私が、キミのことを糾弾して手を上げるとでも思っていましたか?」
「…もうすでに一回、平手をいただいてます」
またも「あ」、という顔になる文ちゃん先輩。この表情、何だか気に入ってきたな。
「そ…それもそうでしたね」と、彼女は照れ臭そうに笑った。その表情がとても可愛らしくて、つられた僕の顔も緩んでしまう。
文ちゃん先輩はくすくすと笑いながら、言った。
「…私はまた過ちを繰り返してしまう所でした」
「…また?」
文ちゃん先輩の笑顔がやんだ。
そのままちょっと俯き気味にため息をつくと、彼女は、
「…キミの心の深淵を引きずり出してしまった責任は私にあります」と言った。
「それは…気にしないでください」
「いいえ。私の責任でした。ですからそのお詫びとして、私自身のことも少しだけお話しましょう」
「文ちゃん先輩…自身のこと?」
「詳細は申せませんが、過日、私は取り返しのつかない過ちを犯してしまったのです。その過ちを少しでも償うために、私はこの学校の生徒みなの為に、礎となってこの身を捧げる決意をしたのです」
「それって…生徒会役員選挙の時の…?」
「そうです。今の私は、贖罪の為に、自らに職務を負わせているだけなのです」
「え…だって、そんなことで」
「それだけのこと、なのです」
「鉄血宰相」と呼ばれた彼女の肩が、何だかいつもよりも小さく見えた。
「でも、それでも文ちゃん先輩は凄いと思います。何があったかなんて知りませんけど、現にこうやって日々、生徒会のために尽くしてくれてます」
「…私は、そんな聖人君子ではありませんよ…?」
そう言って、彼女は寂しそうに微笑んだのだった。
そのまま、二人の間には沈黙が生まれてしまった。
さすがに気まずい。この雰囲気はよろしくない。どうにかしないとな…
しかしその沈黙を破ったのは、僕ではなく文ちゃん先輩の方だった。
「…それはそうと志賀君?」
「はい?」
「その…キミの言う『コールタールもどき』は、その…『蝙蝠女』?が倒してくれたのですね?」
「確証は持てませんけれど、たぶん死んでると思います。あんなに真っぷたつにされて、まだ生きてるとは思えません」
「そうでしたか。…それと志賀君。もうひとつ、お聞きしたいのですが」
「何でしょうか」
「志賀君は…その…『蝙蝠女』?の姿は覚えてますか?」
文ちゃん先輩は、どうやらあの蝙蝠女の事も気になっている様子だった。
「へ。…?姿…ですか」
「はい。その様な生物がいるとは思えませんけど、どんな姿だったのか、関心があります」
「うーん…それがですね、実は良く覚えてないんですよ」
「…覚えていない?覚えていないのですね?」
彼女は、僕の「覚えていない」という言葉が気になった様だった。
「はい。何となく覚えているのは、蝙蝠みたいな翼があったことくらい…です」
「でも、『女』だったというのは…?」
「ああ、その事ですか。全体的にほっそりしていて、女の人みたいな体型に見えただけなんです。『蝙蝠女』というのは、ただの僕の印象に過ぎませんよ」
僕は苦笑した。
「そうでしたか。ともあれ、その様な得体のしれない怪物は、もう倒されてしまったのですね。よかった」
心の奥底から安心した様に、文ちゃん先輩は微笑んだ。
「本当に、よかった」
同じ言葉をもう一度繰り返した文ちゃん先輩。
その言葉は、どんなことでも、生徒の安全を最優先する生徒会長としてのものだと、その時の僕は思った。
…でも。
安堵しきった彼女のその笑顔に、僕は何故か分からない、どうにも不可解な感情も抱いてしまったんだ。
何だろう、この感情は。
彼女の意外な一面を見てしまった驚き?
「鉄血宰相」の、誰も知らなかった可愛らしさへのときめき?
僕自身の心の中を晒してしまったことへの気恥ずかしさ?
いや違う、これは……
……そう。これは。
違和感。




