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4 悪夢、そして疑問

 その後どうやって家まで帰ったのかは、実はよく覚えていない。

ただ、少し後になって母から聞いた事には、その日、僕は息を切らせて家の玄関に

飛び込んできたのだという。

どうしたのかと聞く母にも、僕はコールタールが…女の人が…と要領を得ない事を口走っているだけだったそうだ。

これはただ事ではない、病院に行くかそれともその前に警察に届けるかという話にもなったみたいだけれど、何故か僕は大丈夫だから、とうわ言の様に繰り返してそのまま自室のベッドに潜り込んでしまったのだという。

そのまま、僕は熱を出して寝込んでしまった。

幸い次の日は日曜だったので欠席にはならなかったけれど。


 熱にうなされている間、夢を見た。

僕はなぜか身動きが取れなくなっていて。

目の前には悪臭を放つ、人間そっくりの歯を生やした大きな口があって。

その口は意地汚さそうに、歯をがちがちと鳴らしながら僕に迫ってきて。

がり。

嫌な音を立てて、僕の頭は噛み砕かれてしまった。

がり。がりがりがり。

ばりばりばりぐちゃぐちゃぐちゃ。

とっても嫌な音を立てて、僕は頭だけでなく首、胴体、右腕左腕、大事な指先まで噛み砕かれてゆく。

ああ、これじゃあギターが弾けなくなるじゃないか。あんまりだよ。

最悪なのは、そんな状態になっても僕にはまだ意識があって、おまけに大口が噛み砕いてしまった肉片のひとつひとつに、それぞれ独自の痛覚が遺っているらしい。奴がひと噛みひと砕きする度に、無数の激痛が走るんだ。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!

痛みを感じても、僕は悲鳴ひとつもあげられなかった。

だって僕はもう肉片だもの。

肉片だから、もう何も言えない喋れない。

そのくせ苦痛だけは無限に感じるのだから堪らない。

僕ができることはただひとつ。

この苦痛から解放してくれと祈るしかなかった。

それで死ぬことになっても、今の状況が続くよりましだ。

祈りは通じた。

永久に続くと思った激痛が、ふいにやんだ。

すでに眼玉も何もぐちゃぐちゃになっているはずなのに、僕はその瞬間をはっきりと「視た」。

大口の腹の中に溢れんばかりに詰め込まれていた「僕たち」は、奴の胴体がふたつに裂かれてゆくのを視ていた。

ゆっくり…ゆっくりと左右に分かれてゆく胴体。

ぽろぽろとこぼれて散らばってゆく「僕たち」。

今度は大口が《痛テェ痛テェ》とか喚いてやがる。

このやろう。大口の分際で僕のまねなんかするな。何様のつもりなんだ。

まっぷたつになった大口の前には、一人の女が立っていた。

すらりとしているのに、やけに肉感的なスタイルだった。

清楚と蠱惑。神々しさと禍々しさ。美と醜悪。

そんな両極端な印象を、その全身から漂わせている不思議な女。

でも、その顔だけが妙に曖昧で、よく分からない。

でも、その女はニンゲンじゃないと思う。

だってその女の背中には蝙蝠の様な大きな翼が生えていて。

左手は大きな鎌になっていたのだから。

大口が息絶えたのを確認すると、蝙蝠女は地面に散らばっている「僕たち」の所に歩いてきた。

蝙蝠女は「僕たち」を一瞥すると、くすくす嗤ってから「僕たち」ひとつひとつを拾い集めはじめた。

最初は鎌と化していた左手のままで拾おうとして上手くゆかず、首をかしげてたりもしたけれど、何かを閃いたのか何度か頷くと、左手を一振りした。

すると鎌は右手と同じくニンゲンのそれになった。これで作業もはかどりますね。

ある程度の数が集まると、蝙蝠女は「僕たち」をつなぎ合わせてくれた。

どれくらいの時間が経ったのか。

無数の肉半だった「僕たち」は、また一人の「僕」になった。

「…喋レル?」

蝙蝠女は僕にそう問い掛けてきた。

どこか懐かしい印象のある声だった。

「あ…うん」

「ヨカッタネ」

そう言うと蝙蝠女は、僕を優しく抱きしめてくれた。

豊かな胸の感触に、僕は不思議なくらい安らぎを覚えたのだった。


そこで目が覚めた。

身体中が汗でびっしょりと濡れていた。気持ち悪い。

夢のことを思い出して、自分の身体に何か傷とかないかと触りまくってけど、どこにもそれらしい跡は見つけられなかった。

そりゃそうか。夢だものな。

…やけに生々しい感触だけが遺っている気もしたけれど。

午後になる頃には熱も下がって、ベッドから這いだした僕は、部屋の中を見回してみた。

大事なギターはちゃんと部屋にある。あの時放り出してしまったので傷でも付いていないか気になってケースを開けてみたけれど、こちらも傷らしい傷はどこにもなくてひと安心。

次に家の外に出て、物置に置いてあるはずの自転車のチェック。

これも壊れている様な様子はない。

ちょっと冷静になってくると、昨日のあの出来事は、もしかしたらさっき見た夢の中での事に過ぎないのかもしれないなんて気もしてきた。

現実と夢の区別がつかなくなっていた…とかね。

でも母に聞くと、昨日の夜、僕が血相を変えて帰ってきたのは間違いなかったみたいだし、あの後大変だったんだからね、ときつく言われてしまった。

何があったんだい?と聞いてくる母にも答えようがない。あんな非現実的なことを、そもそも自分だって信じ切れていない様な出来事を、どうやって説明したものか。

下手をすれば、それこそ病院に行く羽目になってしまうだろう。

どう答えていいか分からず、僕は苦肉の策として「…ムジナに化かされちゃったみたいだ」と苦笑交じりに言った。

何ばかな事言ってるのと母も苦笑した。

母は風邪で熱でも出たんじゃない?という結論に至ったみたいだった。

「いつまでも寒い所でギターなんか弾いてるからよ」と、少々厳しい小言もついてきたけれど。

自分で口にした咄嗟の言い訳ではあったけれど、もしかして本当にムジナって奴に化かされたのではないか?なんて気もしてきた。

そこで僕は、庭の片隅にある温室で盆栽いじりをしていた父にも聞いてみることにした。

盆栽の松の枝を剪定バサミで整えていた父は、温室に入ってきた僕に向かって、

「熱は下がったのか?」と聞いてきた。

うん、まぁね、と曖昧に言葉を返すと僕は、

「…なあ親父」

「うん?」と枝の手入れを休めることなく父。口数の少ない、武骨な昔の日本男児らしい簡素な返事だった。

「ムジナってさ」

「ムジナがどうした?」

「…ムジナってさ、でっかい蛇みたいな奴?」

「何だそれは」

「前に親父が言ってた、死んだ坊さんを化かしたって奴」

「ああ、あの話か」

「…こう、ねばねばしてて、でっかい口をかぁっと開いてさ」

「そんなことあるか」と父。

父の話によれば、ムジナとは狸のことだという。他にハクビシンとかアナグマのこともこう呼ぶそうだ。なるほど、狸の類のことをそう言うのか。昔話なんかじゃ狸は人を化かす事も多いけど…もちろん、僕はそんな迷信は信じない…信じたくはないけれど。

昨日僕が目にしたあのコールタールもどきは、頭の上に木の葉を乗っけてぼわん!

変化(へんげ)する様な愛らしさとか滑稽さの欠片もなかった。

何だかもやもやした気持ちを引きずりながら、僕は部屋に戻った。

その頃にはだいぶ気持ちも落ち着いてきていたから、何か音楽でも聴こうかという気になっていたんだ。

部屋の床の間には、僕が高校に合格した時に無理を言って父に買ってもらったステレオ・コンポーネントが置いていある。

当時流行していたシステムコンポだ。

中央に縦長のガラスケースがあって、その上の段からアンプ・FM/AMチューナー・Wカセットデッキの順に積み重ねられていて、その下には大きく空間を取ってあって、ケースの中央付近の位置にはレコード・プレイヤーのターン・テーブルがある。

ガラスケースの両側には高さ1mくらいもある大きなスピーカー。

CDなんて物が出てくるまでは、僕の自慢のユニットだった。

ターン・テーブルの下はアナログ・レコードのラックになっている。

僕はその中から何でもいいや、と無造作に一枚を引っ張り出した。

そのレコードは僕も大好きなサイモン&ガーファンクルの「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」だった。

そう、昨日屋上で僕が弾き、それに合わせて剣城先生が唄ってた「スカボロー・フェア」を収録したアルバムだ…これも偶然なのだろうか?

剣城先生はこう言った。

『逢魔が刻なんて時間に、魔物を呼び込む様な曲なんてやっちゃうと…ね?』

夢かうつつかはっきりしないけれど、先生の言葉通り、僕は化物じみたものに出遭った…のかもしれない。

あるいはそんな言葉が頭に残っていて、しかもそれが憧れの先生の口から出た言葉だったからこそ、風邪の熱か何かでぼうっとした頭に浮かんだ幻覚だったのかもしれないけれど。

レコードをジャケット、そしてインナーから慎重に取り出して、ターン・テーブルの上にそっと置く。

アナログ・レコードを聴く場合、何よりも神経を尖らせるのは、盤面に針を落とす瞬間なのだけど、僕のプレーヤーはボタンを押せば自動的に目的のトラックの所で針を落としてくれる光学センサー付の優れモノだった。

今はとにかく聴いてみたかったので、一トラック目から再生することにした。

ぷつん、という盤面に針が下りた馴染みある音の後、ややあって流れてきたのは問題の「スカボロー・フェア」のイントロだった。

哀愁を誘うポール=サイモンのギター、そして耳元で囁く様なアート=ガーファンクルの澄んだ歌声。

僕が彼らの曲を好きになったきっかけは、小学校高学年の頃にNHK・FMで一週間ぶっ続けでゴールデンタイムで流していた彼らの特集を聴いたことだった。

世の中にはこんな美しい音を奏でる楽器があるのか、と感激したよ。

アコースティック・ギターをほぼメインに、後は最小限の伴奏と息の合った二人の美しいデュエット。

…そんな美しいサウンドを生み出していた彼らも、今はもう解散しちゃってるんだよなあ…と、僕はちょっと寂しさを覚えた。

とは言っても、僕が聴き始めた時には、彼らはとっくに解散していたのだけれど。

何でも、アルバム制作を巡って、二人の意見が対立してしまったという、よく聞く様なありふれた解散劇だったそうだ。

だから僕はリアルタイムでの彼らの活動を知らない。

いや、ちょっと前に一度再結成して、ニューヨークのセントラル・パークで大規模なコンサートを開催したそうだけど、それだってラジオで部分部分を断片的に聴いただけだったし…

やっぱ一度は生で観たいよなぁ…なんて思った時。

…そういえば昨日、剣城先生はアメリカで生で彼らの演奏を見た事があるなんて言ってたことを思い出した。

いいなあ…羨ましいなあ…今度先生に、その時のことをもっと聞いてみたいなあと、そこまで考えて。

…あれ?

そういえば、先生が彼らの演奏を観たのはどこって言ってたっけか。

あったかどうかも分からない様な昨日の夜の大騒動を経ても、剣城先生との会話はよく覚えている。

ええっと…先生はたしかこう言ってた。

『昔、アメリカに行ってたことがあるの。サイモン&ガーファンクルのあの歌も、本人たちがモンタレーで歌ってたのを聴いたことがあるよ』

…あれ?ちょっと待てよ?

あの言葉、ずっと心のどこかに引っかかっていたんだ。

サイモン&ガーファンクルが解散したのはいつだったっけ。

慌てて本棚から、いつも参考にしている彼らのギター・スコア集を引っ張り出してページをめくる。

彼らの代表的な曲のスコアを何曲も網羅したこの楽譜集は、ギターを始めたばかりの僕にとってはとても重宝なバイブルだった。

しかもその冒頭には、彼らの活動の簡単な年表も掲載されている。

そのページを開くと、僕は一文字も読み漏らすまいと目を通しはじめた。

ええっと…彼らが「サイモン&ガーファンクル」としてアルバム「水曜の朝、午前三時」で本格的にデビューしたのが1964年。「明日に架ける橋」の制作をめぐる意見の相違で解散したのが1970年。それ以降はそれそれソロ活動に専念して、1975年に一度シングル「マイ・リトル・タウン」を共同でレコーディングしたものの、公のステージにおける二人の共演は実現して…いない…?

81年のセントラル・パークでの再結成コンサートは、このスコアが出た後だった。

剣城先生は、この時のセントラル・パークで観たのかなとも考えた。

でも、彼女の口から出た地名はここではなかったはず。

再結成まで10年以上もの空白があったとすれば、剣城先生が彼らの生演奏を観ることができたのは解散した1970年以前ということになる…?

先生の言った場所はどこだったっけ…

今でこそインターネットなる便利なものがあるけれど、その頃に頼りになるのは書籍とかたまに特集される雑誌の記事だけだった。

モンタレー…モンタレー…?

日曜の午後を費やし、手持ちの雑誌とか資料をいくつも引っ張り出して読みふけった結果、僕はどうにかその地名を探し当てることができた。


モンタレー・ポップ・フェスティバル。

それは1967年にアメリカ合衆国カリフォルニア州モンタレーで6月16日から18日までの3日間開催された大規模なロック・フェスティバルのことだった。ママス&パパスやザ・フー、そしてイギリスでデビューしてから凱旋帰国したばかりの天才ギタリスト・ジミ=ヘンドリックスといった伝説的なミュージシャンが多く参加したことで知られる歴史的なイベント。サイモン&ガーファンクルは、その初日16日の夜の部の最後にステージに登場したのだという。


…1967年…1967年?

今からもう15・6年も昔のことじゃないか!?

…剣城先生って…いったい何歳なんだ?

今22・3歳くらいだとすると、当時はまだ6・7歳くらいということになる。

サイモン&ガーファンクルが出演したのは初日の深夜だったとか。

そんな時間、大勢の大人たちが熱狂していたであろうその会場に、まだ幼い、しかも外国人の少女がいることなんてできたものだろうか・・・?


もっと調べてみた。

元々はイギリスの伝統的な民謡だった「スカボロー・フェア」の彼らによるアレンジ版を世界的に有名にしたきっかけは、モンタレー・ポップ・フェスティバルと同く1967年の12月に公開された、ダスティン=ホフマン主演の映画「卒業」のサウンド・トラックに使用されたことだったという。

今僕が聴いている「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」は、その1年前にリリースされている。


…もしかしたら、剣城先生はこの映画の方をリバイバル上映か何かで観て勘違いしたのかな?…でも、「生の演奏を観た」とも言ってたし…?

単に先生が嘘をついている、という一番現実的にありそうなことは考えたくなかった。

だってそうでしょ?好きな人をすぐに疑えるほど、あの頃の僕はスレてなかったもの。

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