1 アイ・リメンバー…
それは、僕がまだ高校生の頃。
巷じゃニュー・ミュージックなんてのが流行っててね。
ウチの地方じゃ2局しかないFMからは、いつも流れてくるのは甘ぁーいラブソングとかおカタいクラシックばかりだったんだ。
そりゃあね、そっちの方だって嫌いじゃなかったよ?
でもね、僕はどっちかというと洋楽、それも古いのばっか聴いてたから、クラスの連中とも、今ひとつ話が合わなかったんだ。
だから、趣味で始めたギターで、指をモタらせながら弾いてた曲だって、クラスの誰も分かってくれなかったし。
教室の片隅に置いたギター(宝物だもの、目の届かない所になんか置いておけるものか!)を目にした自称「音楽マニア」なクラスメイトも、僕にリクエストしてくるのはまさしだ千春だアリスだ…と、聴いたことあっても弾いてみようとは思わなかった曲ばかりで、内心困ってたんだよ。
それを極力、顔に出すまいとは思っていたんだけど、中には目ざとい奴がいて、
「お前、本当は弾けないんだろ?」
なんてお決まりの難癖をつけてくるのもいた。
下手にムキになるのも馬鹿馬鹿しいから、
「その曲は知ってるけどやったことない」
と、正直に答えることにしていたよ。
それでも「ああ、弾けない言い訳か」「カッコつけたいんだよな?モテたいんだろ」なんて、難癖が幾分ヒートアップしてくることもあった。
そうなると、こっちだって所詮はまだ16歳の、少々こしゃまっくれたガキだもの、じゃあ弾いてやるよとばかりにケースのチャックを開けて、愛機(と言える程長い付き合いでもなかったけどね)を引っ張り出して、音叉鳴らしてチューニングを始めたんだ。
ああそうそう。言い忘れてたけど、当時僕が弾いていたのは国産のアコースティック・ギターだった。
今の時代からは想像もつかないだろうけど、あの頃のウチの区域のほぼ全校には「エレキギター禁止!」なんて馬鹿げた風潮があったんだ。
信じられる?
「エレキギターを弾くのは不良!」なんだそうだ。
笑っちゃうよね?
どこにそんな根拠があるんだよ。
先生にそう聞いても、まともな答えは返ってこなかったけどね。
中には「電気だし、感電する危険性があるんだぞ」
なんてトンデモ理論を返してくる御仁もおられました。
そんな話聞いたこともないけど。
どうせだったら、「学校の電気を無駄に使わせることはできない」なんて理由の方が、まだ説得力あったろうけどねえ。
まあそれも不景気な今だから出てくるネタだろうね。あの頃はまだ、電気なんてどこでも普通にコンセント刺し込んで勝手に使っても怒られなかったし。
今でこそ「駅の構内のコンセントを無断で使ってケータイの充電したら窃盗罪!」なんて話も耳にするようになったけどね。
それを世知辛くなったとか思ってしまう、僕ももう年なのかもしれないけど。
あの頃、ウチの学校はまだ新設校で、僕が入学してやっと全学年揃ったくらいだったから、伝統も何もあったものじゃなかった。
そのわりに何故か、県内でも色々と「実績」をお持ちのセンセイ方がけっこうおられてね、特に音楽の担任はどこかの交響楽団でピアノを担当していたとかで、そりゃあもうガチガチの古典音楽しか理解してなかった。
一度、僕が音楽室のステレオでビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」のカセットを流してたら、怒られこそしなかったけど、こんな感想をいただいた。
「お前の聴いている音楽は分からん」
おいおいいつの時代だよ。あの曲なんて僕なんかよりも当のセンセイの方がずっとリアルタイムで聴いてた世代のはずじゃないか。
…話を戻そうか。
6弦から順にチューニングし終えた僕は、とりあえず覚えたばかりのサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」のイントロを弾き始める。
すると「音楽マニア」さんたちは「…陽水?」なんて訝しげに聞いてくる。
「ちがうよ」
続いてちょっと難易度の高い「早く家に帰りたい」を弾いてみる。
3本の指でちょっと速いアルペジオで弾く曲だ。
いわゆる「スリー・フィンガー奏法」って奴。彼らの聴いてるニュー・ミュージックでもよく出てくるテクニックだったから、これはちょっとだけウケた。
でも、次に「何の曲?」って質問が飛んでくるのはお決まりのパターンだったさ。
結局、最後はいつも「ふーん。凄いね」でおしまい。彼らが興味あるのはギターでなくて彼らの好きな曲の方だったのだろうから。
僕は高校の3年間を美術部員として過ごした。
小学校の頃にほんのちょっとだけマンガもどきを描いてみたこともあったから、じゃあそこにするかなんて実に安直な理由で入学した時に決めちゃったんだけど、そんな動機で入部しちゃっただけに、筆を手にするモチベーションなんてちぃーっとも湧いてこない。
顧問の太田先生に言われて文化祭のノルマとして油彩も描いたけど。3枚だけ。
それも基本なんてなっちゃいなかったから、二週間かけて描いた力作は、キャンバス一面に散らばった、何だかよく分からない不気味な色の筋が縦横無尽にのたうちまわった様な作品だった。
先生、これを問うて、
「抽象画か?」
作者たるこの僕答えて曰く、
「いえ、校舎裏から見た榛名山です」
ばかやろう、って怒られた怒られた。
まあ仕方ない。だってテキトーに描いたのは間違いなかったもの。
人格者として定評のあった部長の蒼木先輩はまあいいじゃないですかと苦笑し、副部長の倉澤先輩は、どうせならもうちょっと基本を勉強しなさいねとお小言めいたご指摘を下さいました。
はあ、善処いたしますとは答えましたけど。
この美術室のお向かいにはさっきも言った音楽室があって、放課後になると、そこも部活動に使われてた。
もちろんギターを弾いている奴もいたけど、僕はその中に加わることはなかった。
だって彼らは「フォークソング部」って奴だったんだよ?そんな所に行っても、やっぱり「何の曲?」「ふーん。凄いね」がくることは分かってたし。
お向かいの部屋からは楽しそうな会話と、じゃかじゃかかき鳴らすコードストロークが聴こえてくる。
かといって、この美術室にいたところで筆を取って創作意欲が湧いてくるものでもない。
だから、僕はいつも北側校舎の屋上で、ひとりでギターを弾いてばかりいた。