9 部展に向けて。
次の日の朝。
まだ母は反対していたけれど、僕はもう大丈夫だから、寒い所じゃ弾かないからとギターを背負って登校した。正直言うと、最近やっと覚えはじめた曲があって、ちょっとでも弾かないでいると、すぐに指がモタれてしまう気がしたからだ。
「ザ・ボクサー」。これもサイモン&ガーファンクルの後期の名曲だ。オリジナルは彼らの最後のアルバム「明日に架ける橋」のB面1曲目に収録されている。アルバム・タイトルの「明日に架ける橋」はピアノ主体のアレンジになっていて、あまり彼ららしくもなく、好きじゃなかった。「ザ・ボクサー」は明るい曲調なのに、その歌詞は都会に出てきた少年の挫折を描いている所が凄かった。まぁ、彼ら…というかポール=サイモンの書く歌詞って、やたらとそういうのが多いんだけど。その内容は「早く家に帰りたい」と同じ様な感じ…もしかしてこの2曲の主人公は同一人物か?…たぶんポール自身の経験とかが元になってるんだろうと勝手に推測してみたりもする。
「ザ・ボクサー」は全弦が半音下げチューニングになっていて、しかも6弦のアコースティックだけでなくて12弦、ガット・ギターなど1曲の中に5~6本ものギターがオーバーダビングされていて、そのどれもが全く違ったポジションで弾かれていて…云々。
教室に向かう廊下で、僕はそんな実にマニアックな話題を、我が悪友の森竹に熱く語っていた。
森竹自身はギターには全くと言っていいほど興味を持たなかった。でも一度、奴の家に遊びに行ったら、奴の部屋には僕も持っていなかったガット・ギターがあって、しばらく弾かせてもらったことがある。どうせ弾かないのならくれと言ったら断られてしまったが。
そのくせ、僕のこういった話題にはけっこう付き合ってくれるのだからいい奴だと思う。
「義治。お前はホントーにギター好きだなあ」
と、少々呆れ気味な顔はしていたけど。
この当時、まだ「オタク」なんて言葉は発明されてなかったんだ。
「…それよりも、だ」
「ん?」
「昨日の話を聞かせろ」
「昨日の話?」
「鬼橋会長との話だよ。何があった?何がどうしてどうなった?」
「ん…ああ、文ちゃん先輩のことか」
森竹は一瞬ぽかん、と口を開けた後。
「あああああ、『文ちゃん先輩』、だぁ?!」
と、まるで首振り人形の様にアタマを左右に揺らせながら僕ににじり寄ってきた。面白い奴だな。
「義治、テメ、昨日も鬼橋会長サマをそう呼んでたよな?!いつからだ?」
「へ?」
「いつから会長の事をそんな親しげに呼べる様な仲になってやがったんでありまするか?」
「いつからって…うーん。…最初から?」
うん、そうだ。先週の土曜日の夕方、北側校舎の屋上で彼女と初めて時から心の中ではそう呼んでたし、昨日じっくり話した時だってそう呼んでた…様な気がする。
「…さっ、最初から、だとぅ…?????」
「うん」
森竹の表情が面白いくらい次々と変化した。
「…ででで、会長はそう呼ばれて怒らなかったのか?」
「うーん…最初は何回か注意されたけど、別に怒るという程じゃなかったかなあ」
森竹は唖然として、それからしばらくそうかぁ、とかなるほどなぁその手があったかとか何やら色々とぶつぶつ呟いたかと思うと、突然地団駄を踏み始めた。
「…ちくしょー!俺は奥ゆかし過ぎた!」
何を悔しがっているのだろう。
「そうだ、押し!押しが足らなかったんだ!しくじったー!」
どんどんどん。
奴の地団駄はなかなか気合が入ってるなあ。すれ違う生徒たちが何事かとこっちを見てる。
しかし、奴の地団駄もそう長くは続かなかった。
今話題の人物、鬼橋 文ちゃん先輩生徒会長サマご当人が、この場にご来場あそばされたからである。
「これこれそこの1年生。廊下で四股の稽古などしてはいけない」
と文ちゃん先輩。うーむ、微妙に違っているよーな。
「ちく…」
しょーとか続けたかったであろう森竹は、文ちゃん先輩の一言で固まった。
「ほかの生徒の迷惑になる様な行為は慎んでほしい…何だ志賀君。キミも一緒か」
「あ、おはようございます。昨日はどうも」
「もう気分は晴れましたか?」
「ええ、それはもう。おかげで昨夜はぐっすり眠れましたし」
「む、それは上々」
その、いささか古めかしい表現に、僕は古い知人の口癖を思い出した。
こういう時の文ちゃん先輩は、本当にいい笑顔になるなあ。
文ちゃん先輩は森竹の方を向くと、
「この練習熱心な相撲部員はキミの友人ですか?」
はい友人です。友人ですけどわが校に相撲部はありません、と僕。
「ああ、そうでしたね。くすくす」
「1年3組!森竹修二ですっ!部活には入ってませんっ!帰宅部ですっ!文ちゃん先輩!」
「…文ちゃん…先輩ぃぃぃぃ…?」
あ、鉄血ビームだ。
文ちゃん先輩にぎろ、とひと睨みされた森竹はまたもや硬直してしまった。メドゥーサか?
「すすすすすみませんっ!!鬼橋会長!」
今度は水飲み鳥の置物の様に何度もぺこぺこ下げまくる森竹。
「以後気をつけてください…では志賀君、また後ほど」
そう言うと文ちゃん先輩は軽く会釈して、2年の教室がある2階への階段を下りて行ったのだった。
彼女の姿が見えなくなると、森竹はふぃー…とため息をついた。そんなに緊張することもなかろうになあ。
「…義治」
「ん?」
「…どこが怒らないんだ?」
「怒ってなかったと思うがなあ」
「いや、あれはどう見ても怒っておられたわ」
「そうかなあ。普通だと思うけどなあ」
すると森竹はまたもやため息をつくと、
「…お前って奴を、つくづく尊敬するよ、俺は」
とか抜かした。いやそれほどではないと思うけど。
「…それともやっぱ、お前だけは特別なのかぁぁぁ…?!」
特別…特別ねえ。
昨日の一部始終を振り返れば、たしかにお互い、普段は人に見せない様な所まで晒してしまったし、特別といえば特別…なのかなあ。
…コールタールもどきの話も含めて、さすがに人には言えない内容だったし…
そうかやっぱりそうなのかぁ、俺は出し抜かれたもう二度と恋なんかしねーぞなどと妙に悔しがっている森竹をなだめながら、僕らは教室に向かった。
安心しろ森竹。文ちゃん先輩は、まだ恋愛感情という物を抱いたことがないそうだ…という言葉は教えないでおいたけど。
人様のプライバシーを大っぴらに話すほど口は軽くない…というのは建前で、本当はそれを教えたくなかった…というのが本音の方。
…いいじゃないか。本音と建前を使い分けるのが日本人、なのだそうだから。
その日の放課後。僕はさっそくギターを手にして、また北側校舎の屋上に向かうことにした。例の「ザ・ボクサー」を一刻も早く練習したかったからだ。
この曲は、オリジナルのスタジオテイクと同じキーで弾くためには、全部の弦を半音下げにしなくてはならない。今でこそ半音単位で調弦可能の電子チューナーとかもあるけれど、当時、ギターのチューニングには音叉を叩いてポーンという響きが消えないうちに5弦開放のA音に合わせて、それを基準にする必要があった。それからその音を基準に6・4・3・1弦の5フレットと、2弦の4フレットという異弦同音を使って自分の耳で音を合わせてゆくのが普通だった。「チューニングパイプ」なんていう、吹けば開放弦とおんなじ音が出る道具もあったけど、ギターを手にしながらパイプをぷーぷー吹いている姿がとてつもなくダサく思えたので使う気はさらさらなかった。あんなの使ってる姿を人様に晒したくないという、いわばギター弾きとしての美意識だ。…文句あっか。
でも、「ザ・ボクサー」はこのレギュラー・チューニングで弾くとレコードのキーと合わなくなる。そこでレギュラー・チューニングから半音下げる必要性が出てくるのだけど、これが実に頭の痛くなる様な作業で、慣れるまではいたずらに混乱するばかりだった。
5弦開放のA音に合わせたら、今度はその弦の4フレットを抑えたまま4弦開放音を弾いて音を合わせる。これで4弦はレギュラーのD音より半音低くなるわけだ。後はいつものレギュラー・チューニングと同じ様に合わせてゆけばいいのだけど、最後に大元の5弦も半音下げてAフラットにしなくてはならない…という、何とも手間のかかるチューニング法だった。
何でポール=サイモンは、わざわざこんな面倒くさいチューニングを使ってこの曲のアレンジを手掛けたのだろうか…なんて疑問に思ったこともあったけど、コピーにチャレンジしてしばらくしたら謎が解けた。
この曲のキーは「B」。ギター初心者がまず最初にぶち当たる壁が「F」と「B」のコードの押さえ方だという。
これらのコードは「セーハ」と言って、1弦から6弦まですべての弦を人差し指1本で押さえなくてはならない。
コツさえつかんでしまえば何てこともないのだけれど、初心者はにはこれが実に難しい。
弦をちゃんと押さえきれず、ミュート(消音)させてしまうのだ。こうなると綺麗な響きにはなってくれないし、しかも無駄に力が入りがちで手首が死ぬほど痛くなる。ここで挫折してしまい、後はギターも部屋のインテリアのひとつにしてしまう初心者も多いと聞く。
かくいう僕も、ギターを始めたその日にこの最初の「壁」にぶち当たった。音は出てくれないし手首は痛いしで泣きたくなったのを覚えている。まあそれでも、僕はポール=サイモンみたいに華麗にギターを弾きたい一心でギターを続けてきたのだけれど。
で、だ。この「ザ・ボクサー」はその「B」のキーになっている。
レギュラー・チューニングでBのキーを弾くのは、運指の都合上手間がかかる。ましてや彼の様にアルペジオ主体で弾くスタイルのギター弾きには厄介なキーだといえる。ところが半音下げたチューニングにして弾くと、「C」という一番基本的なコードのポジションで弾いても、実際の音はそれより半音低いBになる。厄介なキーを一番基本的なフォームでできてしまうという、何このコロンブスの卵。
僕はこの天才的な発想に感激して、おお凄ぇ凄ぇと無我夢中でコピーした。夢中で練習してたらそれなりに弾けるようにはなってきたけど、この曲、やたらと独特のフレーズとかも出てくるんだよなあ。歌の伴奏的お決まりの様なアルペジオでは、この曲は弾けない。
だから授業が終わった以上、すぐにでも屋上で練習したかったのだが。
その希望は叶えられなかった。
北側校舎の3階にある美術室と音楽室の間の階段の所で、僕は美術部副部長の倉澤先輩に呼び止められてしまったんだ。
「あら?志賀君。今日もこれから練習?」と倉澤先輩。
「…ええ、まあ」と僕。
美術部員でありながら部室にはロクに顔も出さない僕の幽霊的行動は、とっくに黙認されてしまっていたりする。これは喜ぶべきか否か。
同じ美術部にいながら、僕はこの2年の先輩とはほとんど話したことがない。まあ、ほぼ幽霊部員なのだから当然と言えば当然か。よくよく考えてみれば彼女だけでなく、部のほとんどの仲間ともロクに会話していなかったりするが。たまたま同じクラスの室崎くんと、趣味の合う塚村さんくらいだったっけ、美術部員で比較的よく話すのは。
あ。そういえば。
その室崎くんが今日、何か言ってた様な気もする。…何だっけ。
「…好きなことの練習もいいけれど、たまには部室の方にも顔を出してね、美術部員なんだから。一応」
一応、という所に絶妙なアクセント。はあ。ごもっともでございます。
「それにね、今日だけは出てもらわなけりゃ困るの」
腰に手を当てて、いくぶん前のめりになってくる先輩。
「えっと…何かありましたっけ?」
ウチの文化祭は5月にあるから、そっち関係のことでもなさそうだけど。
「え?室崎くんから聞いてないの?」
呆れ顔の倉澤先輩。彼女ははぁ、と溜息をつくと、
「1月の部展の話よ!今日はこれからその打合せがあるの、聞いたでしょ?」
あ…ああ、そういえばそんな事を聞いた様な覚えもあった。何でも年明けの1月、高崎駅の駅ビルの画廊で、ウチの部展を開催することになったらしい。あそこのオーナーさんとウチの顧問の太田先生が大学の先輩後輩の間柄だったとかで、去年から年に2回、あそこで部展を定期的にやることになったそうだ。今回でまだ3回目だそうだけど、こういうのはいずれ「伝統」って奴にもなるのだろう。
今はまだ黎明期だけどね。
「その黎明期だからこそ、ちゃんとやってもらわないと困るのよ」
「そういうもんですか」
「そういうものよ!ウチはまだ新設校だからね、みんなで伝統を作ってゆかなくちゃならないの。…幽霊部員なんてもっての他だわ」
…反論できませんです。
「それにね、志賀君。君だってちゃんと描けば、それなりの物があると思うよ?」
そうでしょうか?
「春の文化先で君が描いた榛名山もどき」
…あはは、「もどき」ですか。
「先生や部長はよく分からなかったみたいだけど、あたしにゃちゃーんと分かったもの」
「榛名山の絵だってことですか?」
「そうよぉ。あたしにはすぐ分かった。だって君はいつも屋上でギター弾いてばっかだったから、見てる風景なんて榛名くらいだもの」
いやそれは状況分析であって審美眼の対象とかではないのでは…とは言わなかった。
言ったらまたお小言がきそうな気がしたし。
と、階段の下の方から声がした。
「おいおい。僕はそんなに見る目がないわけじゃないよ?」
そう言いながら階段を上ってきたのは、三年の蒼木 剛部長だった。
わが校が設立した初年度に入学して、文字通り1…いやゼロから美術部を作り上げてきた人だ。いつもにこにこしていて、怒った顔を見た事がない…というのは幽霊部員の僕だけでなく、生徒の誰もが彼に抱く感想なのだそうだ。
油彩の腕前の方もなかなかの物で、中学・高校と何度か市のコンクールに入選したこともあるとか。来年の春にはわが校最初の卒業生のひとりになる予定で、本人の志望でそのままカナダ(…だったけな?)への留学が決まっているらしい。
「…僕だって、あれは榛名かなー?くらいは考えていたさ」
さすがに苦笑交じりのお言葉ではありましたけど。
後で聞いた話だけど、あの時僕が描いた「榛名山もどき」は、部内においてはすでにその名称で定着しているらしい。それなりに評判にもなっているみたいだ。悪い意味で。
元々思い入れがあって描いたわけでもないので、どう呼ばれようとかまわないのだけど、さすがにその存在だけは抹消したい。
「でもなあ、さすがにアレを部展に出すのはなあ…」
それは僕も同感です。願わくばさっさとツブして他の人のキャンバスに使ってください。
「あたしはアレでもいいと思いますけど?」
こっちは何だか意地悪そうに倉澤先輩。
「他の部員たちの励みになると思います」
…それは反面教師、という奴でしょうか。
その通りです、ときっぱり言われてしまいました。
「それがイヤだったら、もうちょっと気合入れたの描いてね、志賀君?」
「はあ。前向きに考えたいと思います」
僕は政治家の答弁みたく答えたのだった。
そのまま三人で美術室に入ると、クラスメイトの室崎くんたち部員はすでに集まっていた。
で結局。その日は部展開催に向けてのきわめて事務的な打ち合わせに終始した。
誰が何を何枚描くか、展示のレイアウトの構想、受付役とか搬入とかの役割分担などなど。
チケットとか告知ポスターのデザインをどうしようか、なんて話題に一番時間がかかる辺りがいかにも美術部らしかった。
僕は油彩だけはもう描きたくなかったので(その後2枚は描く羽目になったけど)、まだ得意…とまでは言えはしないけど、それなりに経験のある水彩画とイラストを2枚描くことになった。
マンガチックなのでもいいですか?と蒼木部長に聞いたらいいよ、とのお答えが帰ってきたので少しだけ安心したけれど。
とはいえ、
「志賀君。これから忙しくなるからね、試験期間が終わったら、ちゃんと部室に毎日顔を出して、少しずつでもいいから作業を進めていってね?」
なんて倉澤副部長サマに念を押されてしまったのは痛恨だった。
ああ…貴重な「ザ・ボクサー」の練習時間が…
いやね、絵を描くのだって嫌いじゃないんだ。嫌だったらさっさと退部届を出してる。
ただヘソマガリな性分で、「ああせよこうせよ」なんて指示されたりノルマとか課せられたりすると、途端に創作意欲が減衰しちゃうのは自分の悪い所だとは思う。
僕はまた、あまり手際のよろしくない政治家みたいな答弁をするしかなかった。




