ベルゼブブの疑念
「ふむ、なるほど」
麻梨乃の家に着いてから数十分後、麻梨乃の部屋でガインはそんな声を上げた。
「ティーナだっけ? 住む場所見つかったの?」
隣にいたアリーはそう聞く。ちなみに麻梨乃は今母親の手伝いで晩御飯の支度をしているのでここには不在である。
「ああ。どうやら樹の友人の家に住まわせてもらうことになったらしい。まったく、人のことだって言うのに彼は親切な男だ」
「ガインの件も含めて、でしょ」
「ああ、そうだったな」
ガインがここに住めるように計らったのはその他でもない樹なのだということを思い出し、ガインは頷いた。
「でも、まさか風邪で試験に参加できなかったはずのあなたがこっちに来て試験参加することになるなんて。ジョーの件も含めてだけど、世の中分からない」
しかし、そう言ったアリーの言葉にガインはややばつの悪そうな顔をしながら答える。
「実は、僕とティーナはまだ厳密には試験参加を認められているわけではないんだ」
「えっ? だってこっちには試験を受ける悪魔見習い以外は来られないんじゃ……」
首を傾げるアリーに、そろそろ説明するか、とガインは前置きする。
「実は、僕たちがこっちに来たのはある条件の元だったのさ」
「……えっ?」
同じ頃、片桐さつきの家ではさつきがそんな間抜けな声を上げていた。
「だからー、契約者は探さなくていいのー」
なぜかと言えば、ティーナが突然こんなことを言い始めたからである。
「だって、あなた悪魔見習いなんでしょ? 悪魔見習いは契約者と一緒に行動して自分の試験を受けてくってさっきタツッキーが言ってたじゃない?」
「そうなんだけどー、私の契約者候補はもう決まってるのー」
「……契約者候補?」
聞き慣れない言葉にさつきは首をひねる。契約者であれば先刻樹から聞いた話であり、何の問題もない。だが、契約者候補というのはどういうことだろうか。
「あなた、こっちに来たのは試験のためじゃないの?」
「そうなんだけど違うのー」
「……どういうことなのか詳しく説明してもらっていい?」
埒が明かないと判断したさつきは、ティーナに直接聞いてみることにした。
「簡単に説明するとー、今の私は悪魔見習いの見習いなのー」
「……つまり、悪魔見習いに昇格するには何か条件があるってことなの?」
「そういうことー」
ティーナは頷いた。
「条件って何なの?」
アリーはガインに聞く。
「僕たちが試験に参加する条件、それは元々1つしかなかった暴食の悪魔見習いの資格を現在の暴食の悪魔見習いのサラとティーナ・僕の3人で奪い合うことさ」
「……えっ?」
「つまり、僕たちとサラのうち、誰か2人は魔界に帰ることになる」
「何でそんな……」
言いかけたアリーの言葉をガインが制した。
「君も今の暴食の悪魔については知っているだろう。礼儀正しく常に敬語で話す現ベルゼブブ様のことだ」
「さすがに名前と存在くらいなら何度か耳には」
7つの大罪と言うのはその知名度故によく魔界などのニュースでも出てくるほどの偉い悪魔だ。アリーは自分の上司であるアスモデウスの本名がミルダ・ファルホークであり、サラの母親であること以外に他の悪魔のことは詳しくは知らないが、通名が7匹分あることやその通名くらいなら知っている。彼らの真の姿を全員分確認したのはつい数週間前のことだ。
「そのベルゼブブ様が、前回の事件で不意を突かれたとはいえ、同じ悪魔見習いに連れ去られる失態を犯したサラのことをどうにも信用できなくなっているそうなんだ」
「それはサラのせいだけじゃ……」
ガインは分かっているさ、と前置きした上でこう続けた。
「確かに、これだけならサラのせいとは言えないだろう。だが、鳴り物入りで人間界に唯一送り込まれたサラの成績は、ひいき目で見たとしても他の悪魔見習いよりもはるかに劣るものだ。そこで一度は認めたサラの実力に疑問を感じてしまったことで、本来なら試験を受けることができなかった僕とティーナにチャンスが回されたという訳さ」
「確かに、サラの契約者の樹はそもそも彼女に願いを叶えてもらおうとはしてなかった」
アリーは頷く。樹はサラのことを考えて願いを叶えないように行動していたわけだが、様々な事情によりそれがすべて裏目に出てしまったという訳だ。
「もちろん、その辺りの事情は魔界から見ていたベルゼブブ様も把握している。だから、彼とサラのいろいろなわだかまりも解けた今、改めて樹の契約者にふさわしい悪魔見習いは誰なのかをもう1度短い時間ではあるが確かめようってことになったのさ」
「それって、まさか……」
アリーはその言葉の意味を理解し戦慄する。
「そうだ。僕とティーナの契約者候補、それは町村樹に他ならない。彼の契約悪魔見習いとしての資質が誰に一番あるのか。僕たち3人はその権利をサラと奪い合うために人間界に来たんだ」
ガインのその目は悲しみと決意の入り混じったようなものだった。
「そんな、そんなことって……」
アリーは言葉を失う。自分のしてきたことは意味がなかったのだろうか。
「でも、そんなに君が落ち込むことはない。君がいなかったらサラはもっと早く魔界に返されていたし、そもそもサラにこんなチャンスは来なかった」
「……その辺りのことも知ってるの?」
不思議なほど自分のことを知っているガインのことを彼女は訝しむ。
「ああ。君がずっとサラのことを気にかけていたことも、それが色欲の悪魔アスモデウス様の命だけでなく、友人として責任持って見守ってきたからだってこともベルゼブブ様からは聞いている。だから、今日まで僕たちが送り込まれることはなかったし、こういう形でもう1度チャンスが与えられたんだ。だから、そこに関して君が責任を感じる必要はない。ベルゼブブ様から会ったらこう伝えるように言われてたんだよ」
「……そう言ってもらえるのはありがたい」
アリーはそれだけ言葉を発した。
「ご飯できたよアリー! ガインさんもどうぞー!」
そんなタイミングで麻梨乃の声が部屋まで届く。
「……まあ、この話は後で樹にもするつもりだし、今はこの家の住人としてお世話になるから。しばらくよろしく頼むよ」
「……分かった」
アリーはガインのその言葉を重く受け止めるのだった。




