ラミア・ヴィオレット
「……とりあえず帰るか」
俺はさつきにひとしきり振り回されて疲れ切った精神を休めると、残った2人にそう声をかける。
「そうですね。ラミアさんも行きましょうか」
「あ、ああ。そうだな」
このラミアの返事で俺はここで1つずっと気になっていたことを思い出した。せっかくなので彼女に聞いてみるとしよう。
「……あのさ、ラミアってもしかして自分の名前呼ばれるの苦手なのか?」
「う、うん? な、何を根拠に言っているのだ」
言われたラミアは案の定何やら焦った様子で俺の質問に答えた。
「そういえば私が名前呼んだ時もずっとどもってましたね」
「だろ?」
沙良もやはり気付いていたらしい。沙良の返事を聞いたラミアははあ、と1つため息をついて諦めたように話し始めた。
「……ごまかしきれそうもないな。ばれてしまっているのなら隠す必要もあるまい。そうだ。私は自分の名前を呼ばれるとつい恥ずかしくなってしまってどもってしまうのだ。だから、ガインやティーナには私のことを直接名前で呼ばないように言ってある」
「1度もあの2人が名前を呼ばなかったのでおかしいとは思ってたんですけど、そういうことだったんですね」
沙良は納得したように頷く。
「どうにかしなければならないとは思っているのだがな。何せ子供の頃からずっとこうだから、今さら治そうにも治せないのだ」
「子供の頃からか?」
俺は首を傾げて彼女に聞き返す。
「ああ。実は昔に名前を呼ぶだけで相手の動きを止めてしまう先生がいたのだ。その影響があって名前を呼ばれるとどうしてもどもってしまってな」
「それってサキュバスとかインキュバスの名を冠したあの先生たちですか?」
沙良が震え上がった様子でラミアに聞く。
「あの悪魔を知っているのか?」
「ええ、私も昔に酷い目に遭いました」
沙良も思い出したようにぶるぶると震える。
「……状況が読めないから簡単に説明してくれないか?」
1人話題から置いて行かれた俺は彼女たちに尋ねることにした。
「樹さんがご存じかどうかは分かりませんけど、私たちが普段様々な能力を教わっている先生は当然7つの大罪の先生ではないんですよ」
「あの悪魔たち公務で忙しそうだし、大体全部の学校に派遣するのは無理があるもんな」
俺も頷く。
「悪魔見習いたちは私のように試験を受けて人間界で修業を積むんですけど、その後その1割ほどの悪魔は名前をもらって先生になることがあるんです。ただ、アスモデウスのような固有の名前を持つ色欲の悪魔になるわけではなく、量産型の名前をもらうんです。こっちの世界で言う数学の先生とかそんな感じですね」
沙良曰く、教師は数学の先生、大罪は校長先生のような認識でいいそうだ。
「その中の1つにサキュバスとかインキュバスがあるってことか」
「そういうことです」
沙良は頷く。
「本来私がサキュバスやインキュバスから何かを教わることはなかったはずなんですが、一時期お母様が私を自分の後継者である色欲の悪魔にしようとしていた時期がありまして……」
「ああー、そういえばミルダさんは色欲の悪魔だったっけか」
彼女が色欲の悪魔アスモデウスの名を冠している悪魔であることはアリーから以前に聞いた話であり、既に知っていることだ。
「何? アスモデウス様と知り合いなのか? というか……娘?」
が、その話をした直後、ラミアは驚いたように俺たちの方を見る。
「あれ、お前知らなかったのか?」
「知らないも何も基本的に7つの大罪が本名で呼ばれることはないですからね。私とつながりのあったケンやアリーならともかく、ラミアさんにとっての私はちょっと優秀な悪魔見習い程度の認識でしかなかったはずです」
「そういえばずいぶん前にそんな話も聞いたことがある気がするな」
まだ彼女がミルダの娘であると知る前にケンからそんな話を聞いたことを思い出す。
「何と言うことだ……。そんな話はガインからもティーナからも聞いたことがなかったぞ……」
ラミアは1人驚愕している。
「そういえばあの2人にはライバルだったこともあってこの話はしてませんでしたね。親の七光りって言われるのは嫌なので、このことは内緒にしておいていただけますか?」
だが、そう言った直後、ラミアは何を言うか、と言わんばかりに彼女の手を握った。
「同じ色欲の悪魔を志しているのならともかく、お前がなろうとしているのは暴食の悪魔だろう。それが七光りであるはずがない。今お前がここに立っているのは間違いなくお前の立派な努力のたまものではないか。それを馬鹿にするような奴がいるのならそれは私が許さない」
「……そこまで言ってくれた人に出会ったのは初めてです。ありがとうございます」
沙良は手を握り返すとお礼を言った。
「……あ、いや、少し熱くなってしまった。すまない」
ラミアはそっと手を離そうとするが、沙良がしっかりと握っていて離すことができない。
「ラミアさん。私と友人になっていただけませんか」
「ゆ、友人……私とか?」
「はい。あなたともっと仲良くしたいんです」
真っ直ぐラミアの目を見て言う沙良。
「わ、私でいいのか? あまり面白くはないかもしれんぞ?」
「あなたがいいんです」
有無を言わさぬ沙良の一言だった。ラミアは照れたように顔を背ける。
「わ、分かった。私で良ければよろしく頼む」
「ありがとうございます。あと、私のことはサラでいいですから」
「う、うむ。さ、サラ。これからよろしく頼む」
「はい」
沙良はにっこりと笑顔を作った。
(……食費はかさむけど、今日の夕飯は少し豪華にしてやるか)
俺は2人の様子を見てひそかにそんなことを思うのだった。




