逃走
「何をするつもりだったか……ね。なかなか鋭いところを聞いてくるわね。さすがミルダの娘ってところかしら」
メルはそう自嘲気味に笑う。
「でも、あなたが思ってるほどあたしは何も考えてないわ。あたしはね、あの人にただ人生を救ってくれたお礼が言いたかっただけよ。確かに人間として生きるはずだった人生があの悪魔のとりついた人間のせいで狂わされたことは確かだけどね。それでも私はあの悪魔のおかげで今こうして生きてるわけだから、そっちの方が恩としてはよほど大きいのよ」
「えっ、じゃあ……、まさかあなたは……」
先ほどまで怒っていたアリーはその言葉であることに気付く。
「ああ、そういえばあなたも純粋な悪魔じゃなかったんだったわね。それで、さっきあたしの発言に怒ったわけか」
納得したようにアリーの方を見るメル。
「でも大丈夫よ。あなたの存在がどこから来たものであれ、魔界はあなたを拒まない。選ぶ基準も公平だし、多少の格差なんて、大罪に選ばれてしまえばあってないようなものだから。ね?」
メルはアリーに向かってウインクした。
「ところで言いにくいんですが、おそらく翔さんは約束を守らないと思いますよ」
話がまとまったところでサラはそう切り出した。
「大丈夫よ、それも分かってる。あいつがそういうやつじゃないってことくらいはね。でも、あたしの大罪の能力、忘れたわけじゃないでしょ?」
メルはそうサラに返す。そこでサラはメルの真の目的に気付く。
「まさか、メルさんの目的は……」
「そ、そのまさかよ。そこまで見越してあいつを別の場所に移動させたんだから」
メルはにっこりと笑った。
「そういうわけで、どういうことをするのかをここでばらすわけにもいかないし、ましてや止められるわけにもいかない。メルが僕を傍においてくれたことには感謝するけど、僕はその恩を返したりはしないし、そもそも約束を守る気だってない。僕と君たちとの能力の差は歴然だし、君たちも歯向かおうとは思わないことだ」
「お前はやっぱりそういうやつだよなあ?」
俺は怒りを押し殺しながらも翔をにらみつける。
「失楽の能力は失心、君たちを一瞬ぼんやりさせるだけの能力だ。でも、その一瞬は悪魔の移動スピードさえあれば命取りにすらなりうる。今回は君たちにばれてしまったし、これ以上この計画を進める必要もないという連絡も来ている。おそらくメルも僕を完全には信用してないだろうし、ここに留まるのは得策じゃない。だから、君たちとはここでおさらばだ」
「ふざけんなよ。お前たちが何かを起こそうとしてるって分かってるのにそれを止めないとでも思ってんのか? それに、お前の能力は自分をしっかり持ってれば対抗できるっていう予測だってあるんだ。さっきはミルダさんたち相手に不意打ちでうまくいったかもしれないけど、今度は……」
「なら、試してみるかい?」
俺の言葉を途中で遮り、翔はそう告げる。まるで絶対止められないという自信があるかのように。
「言っておくけど、今の失楽の能力は昔のような軟弱な能力じゃない。本気で能力を使えば、意識をきちんと持っていれば大丈夫なんて生易しい能力じゃなくなっているんだよ。それに……」
そう言いながら翔は人差し指を出すとくるくるっと回す。俺たちは全員その人差し指の自然な動きに気を取られ、その指の動きを追ってしまう。瞬間、視界がぼんやりと傾き始めた。
「なぁっ……」
倒れる間際に周りを見渡すと、ゼノもマーラもミルダも膝から崩れ落ちていた。全員一気にというところが、またこの能力の強力さを物語っている。
「君たち程度に本気を出す必要もない。君たちなんてこの指だけで十分さ」
「くそっ、し、しまった……」
俺たちの意識は刈り取られ、そのまま気を失ってしまった。
「樹さん、樹さん!」
それからどのくらいの時間が経ったのだろう。俺は沙良に揺り起こされ、ようやく目を覚ました。
「……ん? 沙良か? いてて……」
どうやらベッドの上らしい。いつの間にこんなところにいたのだろうか。
「無理に体を動かさない方がいいです。まだ翔さんの能力が完全に解けてないみたいなので」
「体揺らしてた張本人が言うかよ……」
そこまで言った俺は翔の名前で我に返る。
「翔……そうだ、あいつは? 確か俺はあいつにやられて気を失ったはず……」
「残念ながら、もうここにはいないみたいです。倒れていた樹さんを私たちが見つけて、とりあえず私の家に運び込んだところで」
沙良は首を横に振った。
「そういうことか……。くそっ、あいつ、何をするつもりなんだ」
「それについてはメルさんもはっきりとは分からないと言ってました。ただ、完全な収穫なしってわけでもないみたいです」
「……どういうことだ?」
含みのある言い方にそのまま質問を返す俺。
「メルさんも計画を立てて翔さんと接触していたってことです。既にお母様とマーラさん、それにベルゼブブ様は動き始めています」
「じゃあ……」
「はい、まだ翔さんとの繋がりは切れてません。他の方も家にいるので、今から詳しく説明します。こちらに来てください」
沙良は久しぶりにリモコンを取り出すと、俺を手招きした。
 




