苦渋の決断
次の日、
「うわっ寝坊した!」
俺は時計を見て飛び起きた。どうやら久しぶりの高校だったせいか目覚ましのセットを間違えてしまったらしい。
「どうしたんですか朝から……」
隣で眠そうに沙良が起きる。
「遅刻だよ遅刻! いいか、ちゃんと留守番しててくれよ!」
「はーい」
俺は彼女にそう用件だけを伝えると、大急ぎで家を出た。
「……しまったそう言えば今日体育だったっけか」
どうにか時間通りに高校に着いた俺は黒板を見て絶望する。そういえば教員の出張か何かで時間割の変更があったんだった。よりによって体育ではどうしようもない。
(まだ入学してから一か月、わざわざ一人暮らしをするような高校に入学してるから他のクラスに友達もいない。かといってこんな間抜けな理由で体育は休みたくない)
幸いにして今日の体育は5限。まだ時間はある。
(……仕方ねえ)
俺は朝のHRを終えると、ダッシュで離れた校舎へと向かった。
「いやー暇ですねー」
一方、沙良はのんびりお煎餅を食べながらごろごろしていた。彼女に許されたおやつはこれだけ、今食べきってしまうと今日の分はもうないのだが、そんなことはお構いなしと言わんばかりの食べっぷりだった。
「……なくなっちゃいました」
数分も経たないうちに彼女の食糧は底をついてしまった。あと残っているのは昼御飯だけである。
「ちょっとくらい食べても、ばれませんよね?」
誰に言うともなしにそう確認する沙良。彼女はそっと樹がお菓子をストックしている場所まで向かう。そしてお菓子の袋に手を伸ばす。そして彼女の手がお菓子の袋に触れそうになる。まさにその時だった。
(ジャーン!)
「キャッ!」
思わず驚いて手を引っ込める沙良。
「電話ですか、びっくりしました」
音の正体は彼女のリモコンだった。この携帯にかけてくる人間は限られている。まず彼女の実習の専門教師を担当している教師。そして彼女と同じようにこの人間界に降り立ち人間の欲望を叶えるために奮闘している実習生が3人。そして、
「もしもし?」
今かけてきた彼女の実習先の家の住人である町村樹だ。
「樹さん? どうしたんですか? 電話料金を考えてもかけないといけないような用事でもあったんですか?」
「ああ、実はだな……」
彼によるとどうやら時間割の変更を忘れていたせいで体操服を忘れてしまったらしい。
「おおっ! これはいよいよ私の能力の出番ですね!」
沙良は生き生きとしたように叫ぶ。だが、電話の向こうの樹は思わぬことを言ってきた。
「いや、高校まで体操服を届けてほしいんだ。外出許可は出すから」
「えっ? 外出していいんですか?」
意外な要望に沙良は聞き返す。元々彼との約束の中には外出不可が盛り込まれていて、そのせいで今日彼女は家でゴロゴロすることとなっていたからである。
「ああ。もしきちんと俺の体操服を届けることができたら外出不可の条件はなくしてやろうと思う。どうだ?」
「まあそういうことならいいですけど。他に何かすることはありますか?」
願いを叶えられないのは不本意だが、家から閉じ込められる生活をいつまでもしていたいとは沙良も思わなかったので、妥協点としてはいいところだろう。彼女はその条件を飲むことにして、他にしてほしいことがないかを聞く。
「家の鍵はかけてくれ。物が盗まれたらシャレにならん。冷蔵庫の中に入ってるから取り出して使ってくれ。あとその鍵は絶対に無くすなよ」
「了解です。ちなみにいつまでに届ければいいんですか?」
「午後の授業が始まるまでだから1時までだな。なるべく早めに頼む。あと、こっちに着いたら連絡してくれ。会う場所はこっちで指定するから」
「分かりました」
沙良がそう答えた瞬間、電話の向こうで始業チャイムが鳴り響く。
「やっべ授業始まる。じゃあ後でな!」
「はい。では」
彼女の返事と共に電話が切れた。
「さて、それじゃあ樹さんのために一肌脱ぎますか」
沙良はやる気たっぷりに準備を始めた。
(あれで良かったんだよな?)
俺はダッシュで教室に戻りながらそう考える。願いとしては叶えてもらってはいないはずだし、こちらも相応の交換条件は出した。鍵をかけろとも言っておいたからおそらく大丈夫だろう。とここで俺は大事なことに気付く。
(……そういえばあいつ俺の高校の名前知ってたっけ)
それは一番伝えなければならないはずの大事な情報だった。




