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10/7 改稿。

「は?」

 今この女は何と言っただろうか。時空移動装置(タイムマシン)という単語が聞こえた気がしたが、おおよそ今までの人生で、そんなものはフィクションの中でしかお目にかかったことがない。子どもの頃テレビで見たアニメで、青いタヌキ型ロボットが机の引き出しに収納していた奴だ。

「佐藤はか……いえ、佐藤さん。三千世界というものをご存知ですか?いえ、パラレルワールドと言った方が適切でしょうか。私は、レイナ・フェラートと申します。この世界からみればパラレルワールド、その未来から来ました。」

 その言葉のところどころに信じがたい単語を交えつつも、女は話し続ける。

「あなたの異軸同存体(どうそたい)である佐藤博士は、私どもの世界における今日。2014年8月18日、時空移動装置(タイムマシン)の根幹を成すこととなった『三千世界並行存在論』を発表しました。……ですが、その論文の大部分はその後勃発した大戦の戦火によって失われてしまったのです。」

 そして女は、その失われた理論(ロスト・イデオロギー)を求めて時空移動装置(タイムマシン)に乗り込んだ。しかし、時空移動(タイムスリップ)の途中で世界軸座標の入力に失敗してしまい、並行世界(パラレルワールド)であるこの、博士でも何者でもないただの佐藤周の存在する世界へやって来てしまったらしい。


「じゃ、俺は行くから……頑張って。」

「さ、佐藤さん!待ってください!」

 こんな説明を聞かされて、そうか、そういうことだったのか。などと信じるわけがない。やはり、この女は頭がおかしいのではないだろうか。

 再び歩き出した僕の肩へ手をかけ、女が引き止める。

「この時空に三千、いえそれ以上に存在するというパラレルワールド……その全ては、必ず収束し、平均化される。それが世界の意志。揺るがない法則です。あなたの言葉通りならば、こちらの佐藤周は日雇い労働者、かたやあちらの佐藤周は時空研究の世界的権威。今までにこれほどの差異は観測されていません。……おかしい、おかしいんです。こんなことはありえない。何かが狂ってしまっている。」

「あ、そう。」

 だから何だというのだ。手の平に包み込んだ骨をそっと確かめる。こんな状態のままに扱われて、鈴子がへそを曲げてしまってやいないかと心配になったのだ。大丈夫。鈴子は変わらずそこにいた。

 いい加減この女を通報すべきかと迷っているうちに、女がまた口を開く。


「あなたの猫も、死ななかったかもしれません。」

 カチンときた。爪先から脳天までが一気に沸き立ち、全身が蒸発して気体になってしまいそうな錯覚を起こす。

「じゃあ、なんだ?アンタは、スズが、俺の猫が……そんなわけわかんねえ世界だの時空だのっつうのに殺されたってのか?」

「ええ、その可能性が高い。」

「はあ?バカにしてんの?こいつはな、こんなチビでも、一生懸命生きてた。必死で、生きてたんだ!」

「バカになどしていません。私と一緒に……」

「バカにしてんだろ!アンタがなんで俺にあんな嘘をでっち上げたかなんて知らねえ、なんで俺に一緒に来させようとしてんのかも知らねえ!でも、そのダシにこいつを使うんじゃねえ!」

「ご気分を害してしまったなら謝ります。……でも、信じてください。」

「信じられるか、クソったれ!こいつが死んだのは、運が無かったからだ……俺なんかに拾われたことが、不運だったんだ。」

 最後の方は絞り出すようにして吐き捨てた。目の前の女に罵声を浴びせたことで、沸騰していた体は、徐々に冷却されつつあった。なんでこんな頭のおかしい女の言うことに激昂してしまったのか、無視して去ってしまえばよかったのだ、と後悔が少しずつ浸食してくる。

「それです。『運』です、佐藤さん。」

「はあ?」

「あなたには『運』がない。いえ、『不運』が集積していると言った方がいいかもしれません。……何かの干渉によって。」

 あれだけ怒鳴り散らされたにも関わらず淡々と話し続ける女に、毒気を抜かれてしまった。

「『不運』が、集積……?」

 確かに、今までを振り返ってみれば、『不運』……不幸としか言い様のない出来事ばかりが連なっている。しかし、それは自分の『運命』なのだと、既に諦めていた。

「その『何か』を取り除けば……世界の収束作用によって、あなたの人生は修正されます。」


 *


 その日、遅くとも夜の十時を回ったころには必ず帰って来ていた母が帰ってこなかった。普段ならとっくに床に就いている十二時まで寝ずに待っていたが、とうとう睡魔に負けて、僕は居間の椅子の上でうとうとと眠りについてしまった。

 次に目が覚めたのは早朝の四時頃だった。椅子に腰かけ、テーブルに突っ伏す形で寝ていたため、非常に首が痛かったことを憶えている。母も父もやはり居らず、代わりに、電話機に留守録を示す信号が点っていた。欠伸を一つしてからその点滅するボタンを押す。聞こえてくる音声は、機械によって歪められてはいたが、間違いなく母の声色であった。


「お母さんです。連絡できなくてごめんね。実は、お父さんが入院することになりました。今お母さんはお父さんの付き添いで病院にいます。もしかすると、お母さん、朝までに家に帰れないかもしれないけど、あなたは気にしないで学校に行ってね。悪いけど、お弁当は用意できないかもしれません。食器棚にお金が入っているので、それで好きなものを買って食べてね。ごめんね……。」


 そこで母からの伝言は終わっていた。録音された時刻を見ると、大体二時頃だった。まさに寝耳に水の出来事だった。しかし、当時は携帯電話など普及していなかった。入院したという父の容体について知りたくとも、入院先の病院名すら知らない状態では連絡を取ることもできない。

 壁に下げられた時計は、四時十二分を指していた。普段起床する時刻までまだ三時間ほどある。こうしてここで右往左往していても(実際には椅子に座っていたが)どうしようもなかった。心の中では病院にいる父と、そして付き添っているはずの母のことが気になって仕方がなかったが、おろおろしていても何も変わらない。そう何度も何度も自分に言い聞かせて、僕は自室のベッドに潜り込んだ。きっと寝付けないと思っていたが、椅子で寝ていたため疲れが取れなかったのか、それとも案外冷血だったのか、夏蒲団を被って十分ほどもすると眠りに落ちていた。


 その日、目覚まし時計によって午前七時に起こされた僕はなんとか学校へ行き、授業を受け、部活動にはいつも通り顔を出さずに帰宅した。普段よりも授業が長く感じて、疲れ果てていた。玄関戸を開けると、久方ぶりに「おかえり」という声を聞いた。驚いて顔を上げると、廊下の奥から、父の母、つまり祖母がゆっくりと僕を出迎えてくれた。

 祖母は家から電車で三十分ほどのところに祖父と二人で暮らしている。小学生の頃はしょっちゅう遊びに行っていたが、中学に入学してからはそれほど顔を合わせていなかった。

 以前会ったときと同じような優しい表情の祖母に聞いてみると、母は今日も父の病室に付きっきり、更にはいつ家に帰れるかわからないということで、代わりに僕の世話をするべくやって来たらしい。

 その日の夕食は、久しぶりにレンジに入れずとも暖かだった。母とは少し違う甘みの強い煮物を口に放り込みながら、かつては毎日食べていた母の夕食の味を思い出した。



「もういい。好きにしろ。アンタの言う『世界の修正』とやらに付き合ってやるよ。」

 女の言葉を信じたわけではない。また、熱意に負けたわけでもない。ただ、どうせもう何もない身の上ならば、投げ捨ててしまっても構わないか、と悟ったのだ。

 仕事は辞める。どうせ日雇いの穀潰しだ、それほど必要とされていたわけではない、いないより多少マシだが、いなくても困らない。そのようなことを上の人間に言われたことだってある。それにもう、養うべき家族だっていなくなった。

 その場で電池残量の少ない携帯電話を使い、電話で辞意を伝えると、あっさり了承された。

「佐藤さん……!」

 その迷いない行動に、女は困惑したようだった。

「何も仕事を辞めなくても……」

「いい。別に思い入れなんてない。……それに、アンタの言う『修正』が本当にできたら、もっとマシな仕事にありつけるだろうからな。ま、信じてねえけど。」

 ダメなら野垂れ死ぬだけさ、という言葉は口にせず、携帯電話を使うためにハンカチに包んでいた鈴子をそっと抱えなおす。

「とりあえず、こいつの墓を作るまでは自由にさせてくれ。」

「もちろんです。……ですが、今日はもう日も沈んでしまいましたし、明日ですね。佐藤さん、今晩はどちらへお泊りに?」

「多分どっかの橋の下。」

 家であったボロアパートは全焼してしまった。頼る身内や友人などもちろんいない。宿をとる金も惜しい。

「いいいいけませんよ!そんな!」

「いや、大丈夫。昔よくやってたから。」

「いけませんったらいけません!」

 僕は、女に問答無用で連行された。


 *


 その日も、母は帰ってこなかった。翌朝、僕は祖母の作ってくれた朝食(焼き魚におひたし、納豆に白米と味噌汁という純和風のものだ)を食べ学校へと向かった。学校では全く普段と変わらない一日が流れている。ただ、ひとつだけ違うところがあるとすれば、今日僕は昼食に祖母お手製の弁当を持ってきているということくらいだろうか。最近の母が作るものと違って冷凍食品は一つも入ってはいなかった。

「おかえり。」

 変わらない学校生活を終え、家に帰ると、昨日と同じく祖母が僕を出迎えてくれた。

「ただいま。おばあちゃん、母さんは帰って来た?」

「昼に一度色々取りに来たけどねえ……また病院に行ったよ。」

「そう。」

 父は大丈夫だろうか。その心の内が顔に表れていたのか、それとも元よりそのつもりだったのか、祖母は「お父さんは手術も無事終わってしばらく入院することになったって言うから、明日一緒にお見舞いに行こうね。」と言って微笑んだ。

 そうか、父は無事だったのか。かつては働きづめで、顔をほとんど合わせることのなかった父。無職の間も、慣れないながら家事を必死にこなしていた父。そしてつい一昨日まで、昼も夜もなく汗を流して働いていた父。その顔が見たかった。祖母の提案を二つ返事で了承し、僕は自分がほっと安堵しているのを感じた。


 翌日も、僕は祖母と共に朝食を摂り、学校へ行った。父に会える放課後を心待ちにしながらの一日は、普段の何倍もゆっくりに感じられた。

 そして、学校から真っ直ぐ家に帰った僕は、玄関のドアを開ける。すると、リビングの方から祖母の話し声が聞こえてきた。電話をしているのだろう。妨げになっては良くない。大きな音を立てぬよう、忍び足で二階の自室へ入りカバンをベッドの上に放り投げてから、着替えもせずそのままリビングへ向かった。そっと戸を開ける。覗き込むと、どうやら電話は終わったらしく、祖母は電話機の前に立ったまま微動だにしない。その様子を少し怪しみながらも、声を掛ける。

「ただいま、おばあちゃん。今日は父さんのお見舞いに……。」

 振り向いた祖母は、これまでに見たことのない、悲壮な表情をそのしわくちゃな顔に貼りつけていた。能面というのはこんな顔をしているのではないか、と感じた。

「周……お父さんが……。」

「……父さんが、どう、したの?」

 嫌な予感、どころではない。確実に何かあったのだろうということがわかった。その先を聞いてしまったら、きっともう後戻りはできない。しかし、僕が耳を塞ぐか決めかねているうちに、祖母が言葉を継いだ。

「なくなった、って。」


 なくなったって?無くなった?……亡くなった?


 祖母は、静かな声でぽつりと言うと、そのまま口を開かなかった。僕も同じく、すっかり喋り方を忘れてしまっていた。

 そのまま、ふたりきり、無音の時間が永遠に続くように感じられた。

お読みいただきありがとうございます。

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