ハロウィンの夜に
「……寝れない」
はあ、と溜息を零しつつ、友里はベッドから起き上がる。
元々寝つきが悪いうえ、ここしばらく酷い悪夢に魘されているのだ。眠らなければいけない、わかっていても悪夢を見る恐怖にただでさえ訪れない眠りは遠い。
こんな夜は、一人ぼっちが心に苦しい。
「シュガー、ココア……」
ぽつりと零した名前に切なさが強くなる。
真っ白でふわふわなシュガーと艶々した赤茶の毛並のココア。友里が可愛がって何年も一緒に暮らしていたウサギ達だ。けれど今、二匹はいない。
夏が始まる前、仲の良かった二匹は寄り添うように天国へ召された。寿命だとわかっている、平均的なウサギの寿命よりもずっと長生きをしてくれた。
だからいつまでも悲しんでいてはいけない、わかっていてもさみしさはまだ消えない。
わかって、いても。
「なぁるほど、ね」
不意に若い女性の声が響いた。一人きりの部屋のはずと顔を上げて辺りを見回せば、大きくカーテンの開いた窓辺に一人の女性が立っている。
長い黒髪の女性の格好は、どう見ても魔女だ。綺麗な紫の、ミニスカートの。
「……コスプレ?」
本当は、誰?と聞くつもりだったのだが、友里の口から零れたのは素直すぎる感想。
それを受けた魔女はどうやら笑ったらしい。背にした月明かりが強すぎて、影になった表情がわからない。
ああ、そういえば満月だったと思いだし、それから友里は魔女が近づいて来るのを逃げもせずに見ていた。
だってこんな状況、おかしい。魔女が現れるなんて、きっと夢だ。
「ふふ、こんばんはユーリちゃん。いい月夜ね」
「……こんばんは?」
あれ、でもなんか変だな。そう思った時には魔女が傍らに立っていて、安易な身動きは取れなくなっていた。
そのまま白い手が伸びて、友里の頭を優しくなでる。
「確かにこれは厄介かもね。あの子達が心配する訳だ」
「あ、の?」
「ああ、自己紹介がまだだったわね。私はアリア、パンプキングに仕えるハロウィンの魔女」
「パンプキング? ハロウィンの魔女?」
何を言ってるのだろうと思う反面、ああやっぱり夢なんだとも思う。
だってパンプキングなんて聞いた事ないし、ハロウィンの魔女だなんて馬鹿げてる。
「そう、我らがパンプキングがユーリちゃんを特別ご招待してくれって。だから、迎えに来たの」
「ちょっと待って、え?」
「シュガーとココアが待ってる」
「えっ……!?」
だけど、続けられた言葉が、伝えられた名前が。疑問も不審も置き去りにして、大きく心臓を跳ねさせる。
その隙に友里の手を取った魔女――アリアはにこりと笑うと、そのまま窓辺へと友里を連れて来る。
「そうだ、せっかくだからお着替えしましょうね」
にこりと笑ったアリアが指を鳴らすと、キラキラした光が足先からふわりと友里を包む。
一瞬で寝間着から淡いピンクのふわりとしたワンピースに変えられた友里はぱちりと目を瞬いた。
「……本当に、魔女なの?」
「あら、疑ってた?」
ふふっと笑ったアリアが満足そうに友里を眺める。
「うん、可愛い。お花の妖精さんみたい」
「……褒め言葉?」
「もっちろん!! さてと、それでは参りましょう!!」
再び指をぱちんと鳴らしたアリアの後ろ、最後の一瞬見えたのは、鮮やかな赤い満月だった。
ふわり、と浮かんだ気がした。と思った次の瞬間、友里は見知らぬ場所にいた。
キラキラと輝くシャンデリアに照らされた煌びやかで豪奢な部屋だ。物珍しさから思わずきょときょととあたりを見回してしまう。
「その子が例の子か?」
若い、けれど威厳のある男性の声に意識を向ければ、部屋の奥に人影があった。
艶やかで目の覚めるような見事な赤毛。穏やかな光を湛えた切れ長の瞳は深くも鮮やかな緑。
すっと通った鼻筋にまだ幼さをどこか残した線の細い眉目秀麗な美丈夫がそこにいた。
これほど美しい存在を見た事がないと友里はぽかんと口を開けて見惚れる。そんな彼女に優しく微笑むと、青年は長いマントを優雅にひるがせながら歩み寄って来た。
「はじめまして、ヒトのお嬢さん。私はハロウィンタウンの王、エドガー・パンプキングだ。急に招いてしまってさぞ混乱しているだろうね」
「あ、えと、その、三屋友里、です」
近づいて来るあまりの美貌に頭を真っ白にしつつ、しどろもどろになりつつも何とか名前を告げれば、エドガーはうっとりするような極上の微笑みを浮かべた。
「ユーリか。可愛らしい名前だね、愛らしい君によく似合う」
「あああああの!?」
すっと右手を取られて手の甲に口づけを落とされた友里は、今にも泣き出しそうなほど混乱していた。実際目尻には涙が浮かび、顔どころか首まで真っ赤になってしまっている。
そんな状況を見かねたのか、アリアは苦笑するとパンっと一度手を叩いた。
「エドガー様、ユーリちゃんが困っていますわ」
「おや失礼、ついはしゃいでしまったようだ」
共にスッと離れる仕草も鮮やかで、まだ煩い心臓を宥めながらも目は離せない。
そんな友里に微笑み、エドガーはゆっくりと口を開いた。
「ここに招いたのは他でもない、我が民の二人が君を酷く心配して助けて欲しいと望んでいたからだ」
「それって」
ドクンと先程までとは違う理由で心臓が跳ねた。
まさかという期待と違うと思う不安に瞳を揺らしていると、自分の名を呼ぶ可愛らしい声が聞こえて振り返る。
「ユーリ、ユーリ!!」
「わぁい、ユーリだ!!」
白くほわほわとやわらかな髪の少女と艶やかな赤茶色の髪をした少年が嬉しそうに笑っている。その頭に長いウサギの耳があると気付くより前に、友里はその名を呼んでいた。
「シュガー、ココア」
どうしてかはわからない。けれど、間違いなく二人が大切な二匹だとわかっていた。
もう二度と会えないはずの、大切な家族だと。
「今、二人はこのハロウィンタウンの住人なんだ。ずっと君を案じていてね」
ひとしきり再会を喜んでいた友里に笑みを浮かべたエドガー。それを受けた二人は頬を膨らませた。
「だってだって、大好きなユーリが苦しんでるのをほっとけないもん!!」
「前は無理だったけど、今ならユーリを助けられる。パンプキング、ユーリの為に力を貸して!!」
「……え?」
助けるとはどういう意味なのか。
目を瞬く友里に答えてくれたのは、エドガーその人だった。
「君には夢魔が取りついているんだ。おそらくナイトメアタウンの、ね」
「夢魔? ナイトメアタウン?」
「そう。このハロウィンタウンのは驚きに満ちた楽しい怖さ。けれどナイトメアタウンのそれは、救いのない純粋な恐怖。苦痛と絶望こそ最大の喜びだと豪語する街だ」
「そうして名前の通り悪夢を見せるのが得意な者達が多くてね。私が見たところ、貴女にはナイトメアの一人が取り憑いてる痕跡があったから」
「悪夢……確かに夢見は悪いけど……」
そう言われてもすぐには頷けない。取り憑かれていると言われたところで実感がないのだ。
そう言えば、仕方ないとアリアは微笑んだ。
「彼らは夢を渡ってくるから、わからない方が普通よ」
「でもね、これからユーリが僕たちにも許可をくれれば僕たちもユーリの夢に行けるようになる」
「もう悪夢なんかにユーリを苦しませたりしないよっ」
二対のまなざしはどこまでもまっすぐに友里を見つめている。
ひたむきなそれは友里を案じているのだと信じさせるには充分で。
「何も気にする事はない。彼らは我が民、そして彼らが守ろうとする君はこのハロウィンタウンの大切な友人だ」
「パンプキング……」
「エドガー、と呼んでくれ」
それでもまだ躊躇う友里の背中をやわらかな微笑みがそっと押した。
綺麗で、そして自信に満ちた王の顔。大丈夫だと無条件に信じたくなるような。
「……わかった。信じてるから」
頷いたのは悪夢の理由を信じたからではなく、夢でもいいからまた二匹に会いたかったから。
これもまた夢なら、夢の中ならずっと耐えていた言葉を言える。
「シュガー。ココア。夢でもいいから、一緒にいてね」
「もっちろん!!」
「僕たちはここにいるし、夢の中でだってもうさみしくさせないよ!!」
ぎゅうっと抱きついてくるぬくもり。この幸福な夢が、ずっと醒めなければいいのに。
そう願うあまり強く目を閉じてしまう。
「きっと呼んでね、ユーリ!! すぐに駆けつけるからね」
「僕たちはずっとずっとユーリが大好きだよ!!」
不意に遠くなる意識の中で、二人の声だけが聞こえていた。
目をあければ見慣れた天井が見えた。
「……やっぱり、夢か」
不思議な夢だった。不思議で、懐かしくて、愛しくて。終わらせたくない夢を見た。
「……シュガー、ココア……」
大切な二匹の名前を呼んで、ちょっとだけ泣きかけた時。
「あれ?」
いつの間にか手の中に硬い感触があった。何かと思って開いたそこには、小さなかぼちゃのお化けを模した飾りのついた見知らぬ鍵がある。それはどこか夢の中で見たような――……
「まさか。まさか、夢じゃないの?」
寝間着姿、開いていない窓、それでも確かにここにある鍵。
もしもあの夢が、夢ではないのなら。
「きっと、もう、悪夢は見ない」
確信に近い推測。それを肯定するかのように、手の中の鍵は小さくきらめいていた。
約束通り二人が悪夢から守ってくれたり、鍵の使い方を知った友里がハロウィンタウンに遊びに行くようになったりするのは、もう少し先の事。