09. 絶体絶命
裏路地の出口の向こうに、石畳を押しのけるように伸びる赤銅色の線路が見えた。ギークの駅は街を囲む城壁の外にあるけれど、その線路の一部は街の中に入りこんでいる。
この辺りは旧宿場団地だ。何故旧なのかというと、以前は商人向けの宿屋や食堂が繁盛していたのだが、諸々の都合で線路がこの地区に敷設されてから、深夜に走行する列車の騒音に音を上げたそれらの店が、こぞって移転してしまったからだ。取り残されたのは騎士団の詰所という不夜城のみ。かつて商人たちで賑わった地は、いまや目を充血させた騎士が徘徊するばかりだ。
ともかく、旧宿場団地には街の平和を守る『火星』騎士団の詰所がある。大人数の不審者に追われた時に駆けこむ場所としては最適だ。
裏路地を抜けた勢いのまま、イブニを先導してひた走る。石畳の隙間から生えた草が、夜風に身を震わせている。心臓の音が嫌に大きいのは、全力疾走のせいだけではないだろう。そこかしこの廃屋の窓に、あの男たちの目が映っている気がしてならない。
「アスター、ここからなら俺一人で詰所まで行ける。もういいから」
「いいわけないでしょ! 僕も関わらせ……!」
イブニに言い返す言葉が止まった。
ぴかっ。目に見える距離まで近づいた騎士団の詰所に続く道を、光る満月が胴体と足を生やして塞いでいた。違う。例のハゲ男だ。
僕らを見つけたハゲ男が下品な声を上げる。
「よう。やっぱ逃げこむなら、騎士様のお膝元だよなあ⁉」
待ち伏せされていた。裏路地を使って近道したのにどうして。
愕然とする僕の隣で、「……思い出した」とイブニが呟いた。
「お前、ゼクスだろ。吸血鬼の」
「あたり」
ハゲ男は無造作に色眼鏡を外した。現れた真紅の瞳孔がイブニを捉えて細められる。
「吸血鬼って、化け物じみた運動神経してるっていうあの⁉」
「そうさ。化け物にも人間様と同じで金が必要でね。一緒に来い」
僕は即座に来た道を戻ろうとした。もう一度裏路地に入ってしまえば、こっちのものだ。
だが、待ち伏せは他にもいた。ハゲ男がにたりと笑うのとほぼ同時に、二、三人の男が闇の中から唐突に現れた。僕らを捕まえようと伸ばされる腕。ヤバいヤバいヤバい!
腕から逃れようとするうちに、地面に倒され揉み合いになった。「てこずらせやがって」と、相手の男の顔が醜く歪む。躱しきれなかった爪が顔を掠め、ちっ、と熱い線が頬に走った。
顏に傷がついたと理解した途端、頭が沸騰し、理性の栓がぶっ飛ぶ。
「何すんだ! 痕が消えなかったら殺す!」
相手がナイフを持っている? 構うもんか。頭蓋骨の中にもう一つ生まれた心臓から、どくどくと真っ赤な感情が流れ出し、身体中をかけめぐる。僕は生まれて初めて人を傷つけようと拳を握った。
「ぐよ」
不届き者が惨めな声を上げて吹っ飛んだ。僕は拳を振り上げた姿勢で固まった。
「殴るのは良くない。アスターは身体を大事にしているんだろ。慣れていないのに人を殴ったら傷がつく」
僕より先に男を殴り倒したイブニの拳から血が滴っていた。ワインレッドの瞳に燃える、強い怒りの炎を僕は声もなく見上げた。
「調子に乗るなよ、ガキども!」
一人倒したとて、状況は最悪のままだ。落ちた菓子に群がる蟻みたいに、男たちが集まってくる。全力疾走の後で二人とも息が上がっているし、武器も一発逆転の魔法もない。仮にあっても使いこなす技量がない!
「騎士団は何をしてんの! この下品な笑い声が聞こえてないわけ⁉」
僕が歯軋りしていると、イブニが呟いた。
「聞こえていない?」
足元の石畳が小刻みに震え始めた。空気の流れが明らかに変わる。こちらに物凄い速度で近づいてくる強大な、だがとても馴染みのある気配を感じる。
あることに気づいた僕は、イブニを振り返り、息を呑んだ。
「……私は分析する」
イブニは蜘蛛の巣からの脱出に臨む虫のような、生存本能が煮えたぎった形相をしていた。
「アスター。巻き込んで本当にごめん」
謝罪と同時に、腰に何かが巻きついてきて、イブニの方に引き寄せられる。僕の全身にダサい横縞を描いたそれは、イブニの服の右袖から出てきた緑の蔓だった。左袖からも蔓は伸びていて、巻きつくもののないそっちはぐんぐん長さを増していく。
まさか。イブニの意図を察した僕が、「マジか、お」と句点まで言い終えるより先に、イブニが地面を蹴る。
「舌噛むなよ!」
「まええええええええええええはああああうわあああああああああああ!」
夜風をきり、颯爽と現れたアームストロング号に、爆発的な勢いで伸びた緑の蔓が絡みつく。ごりっと歯を食いしばる音が耳の近くでしたと思ったら、風が唸り、周囲の景色が一気にぼやけた。




