04. イブニという人間の生態
翌日もイブニは駅で働いていた。おつかれーと声をかけると、はにかみながら挨拶を返してくれる。僕は大変気分が良かった。
三日に一回の頻度で勤務に入る僕と違って、イブニは連日働いていた。要領はあまり良くないものの、愚直に仕事に向かう姿は先輩たちのウケが良かった。各々が寄ってたかって仕事のコツを授けた結果、イブニはみるみる仕事を覚えていった。
一方で、親方は居候させているにも関わらず、イブニを無視していた。だが、性質の悪いことに、機嫌が悪い時は、言い返さないイブニを八つ当たり対象にする。こんな簡単なことすらできないとは、役立たずを押し付けやがってカラルクあの野郎、と。
何て大人げないんだこの野郎、と僕は親方と大喧嘩した。一歩も譲らぬ舌戦からしばらくの間、僕と親方はすれ違いざま、互いの足をさり気なくかつダメージが最大になるよう踏みつけることに腐心した。
だが、イブニは親方を心から慕っているようだった。八つ当たりされると流石に凹んでいたが、辛抱強く話しかけるのをやめない。先輩たちも僕も「親方の何が良いんだろう」と首をひねった。
そして、僕とイブニの関係は「顔を見れば挨拶をする同僚」から進まなかった。
イブニと衝撃の再会を果たしてから、一か月が過ぎたあくる日の夕方、僕は不機嫌に家を出た。イライラしつつも、出くわした知人に笑顔で挨拶することは忘れない。閉じたところのあるギークの街では、街一番の美男子の憂鬱なんて格好のゴシップにされる。身に覚えのない恋愛譚を流されるのはご免だ。
街で一番美味いパン屋「デュフーリ」の前をうろつく。パンのいい香りにすら、今は無性に腹が立った。
「随分と不機嫌な顔ね。いい気味だわ」
新作スイーツよりも女の子たちの食いつきがいい僕に、唾を吐きかけるようなことを言う女は一人しかいない。
「デュフーリ」の看板娘にして、街一番の美少女ソニア・デュフーリが、「CLOSE」の看板を手に、僕を見ていた。
「随分なご挨拶どーも。まだ中に客がいるでしょ。店閉めていいわけ?」
ソニアは整った鼻筋に皺を寄せた。彼女は僕が自分に比肩すると唯一認める美貌の持ち主だ。だけど、肌に深刻な負荷をかけていそうなしかめっ面を見るたび、十年後も美しいのは僕だけだろうなと嘆かわしくなる。
「八つ当たりしたいから、こっちに来なさい」
「誰が行くか……と言いたいとこだけど、僕も八つ当たりしたかったとこ」
「どうせご両親と揉めたんでしょう。お気楽な不幸自慢なんて聞きたくないわ」
ソニアは有無を言わせず僕の腕を引っ張った。店の裏側に回り、横柄な仕草で小窓を指差す。
逆らうのも面倒なので、僕は大人しく窓から店の中を覗きこんだ。
創業七十年の大台に乗ろうとしている「デュフーリ」の店内はやや古いけれど、いつも掃除が行き届いていて、この辺りでは珍しい木の床は飴色に輝いている。カウンターに並べられたバスケットはほとんどが空で、一つ二つ残されたパンが悟りきった顔で夕陽を浴びていた。
穏やかな時間が流れる店内に、一組の男女がいる。声は聞こえないが、熱心に話しこんでいるようだ。エプロンをつけた少女が手に持った紙切れとパンを交互に指差し、少年は真剣な表情で指の動きを追い、時折熱のこもった視線で少女を見る。店員と客のやり取りにしては妙な雰囲気だった。
「妹に悪い虫がついたの。あいつ、ここ最近毎日のように来るのよ」
「あ———……、うん」
「見ない顔だから、最近引っ越してきたんでしょうけど、いつも閉店間際に来るからいい迷惑。出禁にしたいんだけど、ネリネはいい人よ、って言うばかりだし」
「閉店間際攻めるのはしょうがないよ。あいつ、うちの駅の新人で、下っ端だから晩飯の買い出し当番させられてんの。先輩たちが今の時間帯を狙えって教えたんでしょ」
「は?」
妹と話す少年———イブニを睨んでいたソニアが僕の方に向き直る。割ったパンに髪の毛を見つけてしまった時みたいな、嫌悪感溢れる顔。
「なるほどね。駅の人たちってほんとに卑しいわ。昼にはちっとも来ないくせに、閉店間際に値段を下げた途端、群がってくるんだから」
「売れ残りに金払うんだから、良いネズミでしょ、僕たち」
チュウ、と鳴いてやると、ソニアの顔がますます険しくなる。
「パンだけでなく女も食い散らかそうと狙っているんだもの。ネズミ以下よ」
「んなわけないでしょ。流石に言いすぎ」
あんまりな物言いに苛立ちを隠さず睨んだが、ソニアも一歩も引かない。
「あなたにそれを言う資格はないわ」
僕らは火花を散らし、やがて同時に目を逸らした。
「どんな子なの」
ソニアがぽつりと問う。
「真面目で善人。以上。てかネリネに聞けば?」
この一か月観察を続けてきて、イブニの人柄についてはだいぶ分かってきた。真面目で善人、以上。付け加えるとしたら、「つまらないくらいに」と頭につく。
イブニは今のところ善良な小市民でしかない。初日の浮世離れした雰囲気は鳴りを潜め、彼はギークの駅に馴染みつつある。
最初の出会いで、僕は彼の過去の一端を知った。特別な経歴を持つ彼は、性格の方もさぞ刺激的で特別だろうと期待していたんだけれど……。
「いいえ。あいつは何かあるわ」
「妙に断定的だね」
「最近、嫌な感じの男たちがこの辺りをうろつくようになったのよ。ちょうどあいつが店に来るようになってからだわ」
「考えすぎ。絶対お前狙いでしょ。次は良縁だと良いね」
「……ええ、そうね。せいぜいそう願っておくわよ」
言葉に反して、ソニアの顔には不本意だ、とはっきり書いてある。ずば抜けた美貌を持つソニアが、言い寄ってくる輩に辟易していることは知っている。僕も覚えがあるから分かるが、見せる相手を選べない「顔」の美は、時に心根の腐った奴を引き寄せる。
だがそれが何だというのだ。美しいからこそ多くの者に寄ってたかられ、多くの出会いを経験できるのだ。寄ってくる者こそ選べないけれど、特別な者に見つけてもらえる可能性は、平凡な顔で生まれるよりずっと高い。僕は美しく生まれた利点を、最大限活かして生きていきたい。僕はこんな小さな街に収まる人間じゃないんだから。
だからこそ、僕の美しさに惹かれない特別な人間は面白くない。
眺めているうちに、店の中の奇妙なやり取りは終わり、ネリネがパンを詰めた紙袋を渡そうと一歩踏み出した。
が、ぐらり。彼女の短い脚がふとましい身体を支えきれずに、あらぬ方向を向いた。ソニアがひゅっと息を呑む。土台の作りが甘い粘土細工みたいに、ネリネがすっ転ぶ!
のを、間一髪イブニが支えた。
二人の顔が近づき、はっと背けられるのを僕は何とも言えない気持ちで見ていた。「あの」ネリネに好意を寄せている(?)のなら、女の趣味は悪い意味で特別かもしれない、と。
「……あいつ、来なくなればいいのに」
妹を助けてくれた客に対してこの暴言。隣の女は看板娘の看板を降ろすべきだと思う。
降板女が、僕に「あげるわ」と小さなパンを投げ渡してきた。どうせ売れ残りだろう。手のひらに乗った売れ残りのパンは、見た目よりも軽い。セミの抜け殻みたいに、振ったらカラカラと音が鳴りそうだった。
イブニが店を出たのに合わせ、僕もソニアと別れて駅へ向かった。家から持ってきた憂鬱な気持ちはさらに大きくなっていた。
そして、道中、三人の男たちが自分を尾けてきていることに気づいた。




