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03. 親方という人間の生態

「カッコいいだろ」

「ああ、とてもカッコいい。驚いたよ」


 イブニは興奮冷めやらぬ様子で、アームストロング号が走っていった線路の先を見ていた。無邪気にはしゃぐ姿に、そういえば同い年だったなと、どきりとする。浮世離れした雰囲気が、彼を実際より大人びて見せていたのだ。


「アームストロング号は魔法で月の光を動力に変換して走っているんだよ。ホイッスルの音が、魔法を起動させる詠唱の代わりになってて……」


 だから、昼間や曇天の日、新月の日は運休だとか、ホイッスルは特注で世界に二つしかないとか、僕が早口で語る内容を、イブニは興味深そうに聞いてくれた。


「僕たちは客の案内とか、駅や列車の清掃とか、貨物の積み込みとか、列車が滞りなく運行できるよう補助するのが仕事。ほんとは分担したいんだけど、人がじゃんじゃん入れ替わって、いっつも人手不足でさー。だから、全員一通りの仕事を覚えてる。もっとも、僕は乗務員だけはさせてもらえてないんだけどね」

「人がじゃんじゃん入れ替わる……?」

「親方のせいでね」

「ジルベールさんの……?」


 怪訝な顔をしていたイブニが突然真顔になり、後ろを振り返った。嫌な予感。一拍遅れて僕も振り返る。


 背後に、ジルベール親方が額に青筋を浮かべて立っていた。


 相も変わらず、清潔感を家に忘れてきたとしか思えない風貌だ。フケ混じりの髪や髭は伸び放題で、雨に打たれたタンポポみたいにぺしゃんこ。シャツは糊の代わりに皺が効いていて、今日は茶色の大きなシミまでつけている。人前に出る仕事だという自覚はないのだろうか。


「親方、今日は運転じゃないの?」

「……まあな」


 戦支度万端の蜂の巣を前にした気分だ。これ以上(おやかた)を揺らせば、理不尽が雨あられと僕らに降り注ぐだろう。笑顔で後ずさる。


「ふーん。じゃ、服を洗って、よく寝てね。僕はもうちょっとイブニと話……」

「ああっ⁉ 俺が服を洗ってないだと⁉ アスターてめえ、俺をバカにしてんのか⁉」


 失敗した。親方は、金の有る無ししか人間を測る尺度を持っていないくせに、金が取れるほど爽やかな僕の愛想笑いには何故か引っかからない。

 バカにするなと言うが、一週間風呂に入らないどころか服も洗わず、道端で寝ていたところを遂にゴミ回収業者に回収されかけたのは、ほんの一か月前の話だ。バカにするしかない。


「ネリネだよ、お前の幼馴染! あいつの失敗作のせいで一張羅がカレーにまみれだ!」

「あいつのパンが失敗続きなのは否定しないけど、作業しながらカレー食いたい、パン生地で包んでくれって言い出したの親方でしょ。その一張羅もずっと着てるし。退職金だと思えばいいじゃん。一張羅だって最後にカレー食えて喜んでいるよ」

「一張羅がカレーを食えて喜んでいても、俺は食えてない! 空腹だ、どうしてくれる!」

「それは大変だね。ネリネのとこに怒鳴りこめば?」


 狙い通り、親方はぐうと押し黙った。街一番のパン屋「デュフーリ」を経営するネリネの両親は駅擁護派である上に、親族はアームストロング・ラインの切符を刷ってもらっている印刷所の所長だ。心象を損ねるのは大変よろしくない。


 駅を統括する我らが親方は一言で言うと大人げなく、二言で言うととても大人げない人間である。八つ当たりは当たり前。自分より立場が上の者には腰が低く、下の者には頭が高い。

 

 そんな誰もがどうしようもないと溜息をつく彼が、ストライキの一つも起こされずに「親方」の地位におさまっているのは、誰もが彼の才覚を認めざるを得ないからだ。ジルベール親方はアームストロング号の開発者であり、技師であり、運転士である。その才覚で火の大陸の輸送技術に革新をもたらした彼を、歴史は実態を忘れて偉人として記憶するだろう。


「おい、お前。さっき俺のことをジルベールって呼んだか、呼んだよな?」

「は、はい」


 哀れにも八つ当たりの矛先を向けられたイブニが、親方の剣幕に気圧されたように頷いた。親方がカレーの匂いがする唾をまき散らして喚く。


「俺はその名前が嫌いなんだよ! 親方と呼べ!」

「す、すみません。カラルクさんにつられてつい」


 イブニが口走った名に、思わず天を仰いだ。親方のげじげじ眉毛がぐっと寄る。二匹の毛虫が額でキスした瞬間、親方が吠えた。


「奴の名前を出すなああああああ!」

「お疲れ様でした!」

 

 イブニを引っ張り、素早く退散。ホームを出て、構内を突っ切り、入り口まで逃げる。ぜいぜいと全力疾走の代償に苦しむ僕に、イブニが聞いてきた。


「ジル……親方は、カラルクさんが嫌いなのか?」

「大きっらいだね。親方の前でカラルクの名前は出さない方がいいよ。八つ当たりじゃすまないから。先輩たちがカラルクアレルギ―って陰で言ってるくらい」


 それを聞いて、息切れで苦しげだったイブニの顔がますます歪む。僕はもしやと思って尋ねた。


「もしかして、カラルクと知り合い?」


 カラルク・フレイム。街を守る「火星」騎士団の副隊長で、街の人気者だ。僕の問いをイブニは頷くことで肯定した。


「俺は昨日から親方の家に置いてもらっているんだが……俺に親方を紹介してくれたのがカラルクさんだ」

「あの親方が⁉ 他人を家に置いたこと自体衝撃だったんだけど、それがカラルクの紹介⁉ まーじで何が起きてんの……」


 少し間があって、「……俺もよく知らないんだ」と、イブニが言った。絶対何か知っている間だっただろ、今の。


「考えられるとすれば金だけど、あの嫌いっぷりはなあ」

 少しカマをかけてやろうと軽い気持ちでそう言った。


 ぎろり。

 あ。


 瞬時に自分が失敗したことを悟ったけれど、遅かった。


「二人とも優しい人だ。金のやり取りなんて下品なことはしてない。変な目で見るな」


 氷の巨人の拳骨みたいに冷たい圧力が、なよやかな容姿から発せられる。たちまち僕は震えあがった。


「ごめんごめん! 世話になった人をくさされたら、いい気分はしないよね。まじごめん! この通り!」


 僕は手を合わせ、必死に許しを請うた。謝り倒していると、イブニの頬からだんだん赤みが引いていって、やがて気まずそうに俯いてしまう。


「俺こそごめん。カッとなった…………」


 沈黙。そのまま数分間、僕らは駅の無人のロータリーにただ突っ立っていた。冷や汗が乾ききった頃、僕はようやくイブニがもぞもぞとこちらを窺っていることに気づいた。


「アスター、分かんないことがあったら聞けって言ってくれたな」

「言ったね」

「……謝った後どうすればいいんだ? 帰った方がいいか?」

「いやいやいや! 帰るな帰るな」


 どうしよう、と途方に暮れた顔が、幼子がべそをかいているように見えて、僕は思わず噴き出した。いやいや、笑っちゃダメだよな。こいつはたぶん、喧嘩したことがないんだ。


「互いにごめんって言ったし、仲直りしとこーよ。はい、また友達ね」

 イブニは、僕が差し出したすらりと美しい手を見つめ、か細い声で問うてきた。


「アスターは、俺が変だと思うか? 暗くて、すぐ怒って、普通じゃないって」

「思うけど、最高じゃん。面白くて。僕はお前みたいな奴とこそ仲良くしたいね」

 

 雲一つなく、月の光が最も遠い空まで届いていたその夜、イブニは瞳を揺らして、僕の手を握った。


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