05. 新聞と葡萄
最悪の晩餐会から数週間後、僕とイブニは買い出しをしていた。
カラルクの結婚式が迫り、僕らはますます準備に追われていた。今日もまた備品が足りなくなり、イブニが買い出しを言いつけられたのだ。イブニは大きな計算にはまだ不慣れなため、僕も監督役としてついてきた。
「お前もだいぶ計算早くなったよな」
「アスターと親方のおかげだ」
洗剤の入った紙袋を抱えたイブニが照れくさそうに言った。僕はもちろん、親方も何やかんやイブニの勉強を見てやっているらしい。休憩時間中、イブニの質問に罵倒交じりで答える親方の姿を見たことがある。
「でもさー。もう少し値引き交渉とかしなって。店のおっちゃんたちも値引きする前提で吹っ掛けてんだからさ」
「悪いけど、俺はそういうのはちょっとな」
苦笑いして、イブニは首を振った。悪いと思ってないでしょ、と頭を抱えたくなる。
このことを注意するのは五度目だが、その度に煮え切らない態度を取られてしまっている。
「自分の買い物でするのは勝手だけど、こういう駅の予算使っての買い出しの時は、安く買えるよう頑張って欲しいなーって。今かなり経営厳しいし。そろそろ親方に怒られるよ?」
僕が言うと、もう怒られた、と期待を裏切らない返事が返ってくる。
「その分、給料を少なくしてもらっているから良いだろ」
そういう問題でもない気がする。
どう言ったものか頭を悩ませていると、下からか細い声がした。
「新聞買って……」
視線を落とすと、みすぼらしい身なりの少年が僕らに新聞を差し出していた。十歳くらいだろうか。痩せ細った身体にだぼだぼの服を纏い、媚びるように僕らを見上げている。
少年を見るなりピンときた僕は、財布を取り出そうとしていたイブニの腕を掴んだ。
「新聞買ってどうすんだよ。お前、難しい字はまだ全然でしょ」
「でも可哀想だ。俺が買わないとこの子はご飯が食べれないかもしれない」
「人に恵んでいいのは、余裕がある奴だけよ。あなた、この前お金が足りなくて妹につけたでしょう」
後ろから冷ややかな声がかかる。振り返ると、ソニアが立っていた。
少年が気圧されたように一歩後ろに下がる。無理もない。彼女の美貌には形容しがたい迫力がある。
エノコログサのように自然と目で追ってしまう茶色の髪。ぱっちりとした瞳は見事な杏形だ。雛芥子も恥じ入るような白い肌に、淡い桜の唇が一筆流れている。
だけど、髪は枝毛が目立ち、瞳は常にけだるげ。唇だって荒れている。それがまた、手折られても澄ました表情を崩さないのではと思わせる、空恐ろしい凄みを生んでいた。
ソニアは汚いものでも見るように、その貌をしかめている。軽蔑と嫌悪が溢れる表情すら美しかった。
「小汚いナリでうちの近くに立つの、やめてくれる? 買ってあげるから消えなさい」
ソニアが放った硬貨と新聞を交換するなり、少年は脱兎のごとく走り去った。
「あーあー、怖がられてら」
「黙りなさい」
ぴしりと言ったソニアは、「いらないから引きとりなさい」と僕に新聞を押しつけてきた。一面は、風の大陸の革命軍残党の処刑についての記事だ。風の大陸は何年も、それこそ僕の生まれる前から情勢が不安定だと聞く。行ったことのない遠い大陸の物騒な報道は、僕にとっては小説と変わらない。
「僕、もう今日の新聞買ったんだけど。ゴミ処理の代金は払ってくれないわけ? パンの割引でも良いよ」
「交渉の汚さと雑さと不条理さが駅の親方に似てきたわよ。一番弟子は流石ね」
あまりの暴言をくらうと、人は咄嗟に反応できないということを、僕は身をもって知った。
「もう行こうよ」
この女にだけは負けたくなかったが、さっきのは致命傷だった。とっとと駅に戻ろう。
が、僕とイブニが連れ立って歩き出しても、何故かソニアは僕らの後ろをついてきた。
「何でついてくんの」
「仕方ないでしょう。私も駅に用があるの」
ソニアが手に持ったバスケットを掲げた。カラルクの結婚式で振る舞われるパンやペイストリーの見本を駅に持って行ったネリネが忘れ物をしたため、届けに行く最中らしい。
「そうか。駅にネリネさんが……」
イブニの耳が赤くなる。緑の髪と合わせて、真っ赤な葡萄みたいだ。
初々しい葡萄に、ソニアも気づいたようだった。冷たい視線が背に突き刺さる。
「胸張って。落ち度を見せたら、この世の終わりまでいびられるよ。陰湿妹馬鹿だから」
ぎくしゃくと歩くイブニを、小声で励ます。
「聞こえているわよ」
「聞かせてんだよ。僕、こいつの応援隊長だから」
振り向いて舌を出してやると、ソニアは一瞬言葉に詰まり、「あっそ」とそっぽを向いた。
そう、僕はイブニとネリネの恋路を応援することにしたのだ。




