2話 壁
スポーツ選手がよく言う、才能の壁。
そんな物はきっとない。
いや、勘違いしないで欲しいんだが、天才は居るよ?
でも、天才と凡才にそれほど大きな差異はないと思うんだ。
天才は、凡才よりも、覚えが早いってだけ。
勉強なんて、覚えれば出来るし、スポーツなんて、身体能力に関わらず、やってれば体が覚えていくもんだ。
その身体能力だって、トレーニング次第で如何様にもなる。
天才と凡才の違い。それは、ひとつの物事を習得する時間の違いさ。
それが、彼、涼風進助の口癖だった。
進助先輩は、僕の憧れだった。
中学生から、部活動で卓球を始め、全日本3位2まで登り詰めた実力者でありながら、秀才という言葉を体現したような人だ。
2年生から部長を任された進助先輩は、僕のひとつ上の学年で、学外での練習場所として選んだのがたまたま同じクラブチームだった。
僕は正直、進助先輩と出会うまでは、卓球にそれほど打ち込んでいた訳では無い。
ただ、出来るからやる。という感じだった。
だから、理解できなかった。
すごく楽しそうに、まるで、小学生が遊ぶ時みたいな笑顔で努力をする先輩が。
僕は、ある日、先輩にきいた。
「なんで、そんなに楽しそうなんですか?」
怪訝そうに聞く僕を見て、先輩は、
「楽しいからだよ」と、答えた。
「楽しい?」
「うん。楽しい」
「ランニングも?素振りも?ラリーも?」
「ああ。全部楽しい」
「そんな訳ないでしょう。特にランニングなんて、苦しいだけです」
「それはキミ。理解してないよ? 」
「…は?」
「オレはね?スポーツが好きだ。理由は、自分が成長して行くのをリアルタイムで感じとれるから」
「はあ…」
「ランニングをしている時、苦しくなりながら1秒タイムを縮めたら、それは成長だ」
「……」
「1日のうちの1秒は大したことなくとも、毎日やれば365日目には、365秒早くなる」
そういう成長が、進化しているという実感が、なんだか、生きているのを実感できて好きなんだ。と、先輩は笑った。
そんな、スポコン漫画でしか見た事ないセリフを、本当に使うやつが居るとは思わなかった。
なんとなくムカついて、練習中それとなく張り合って、しれっと負けた。
そんな日々を繰り返していたら、気がつけば先輩は日本代表になっていて、僕はその補欠になっていた。
でも。先輩は…自らを凡才の代表だと誇っていた先輩は、それでも、3位だった。
「いいかい?君が卓球を好きな気持ちは、見ていれば分かる。でもね?神様は、望んだ才能をくれる訳じゃない。」
現役最後の試合、先輩は同じ日本代表で一緒に戦ったメンバーにストレート負けの大敗をきして、そう言われた。
何も言い返さず、ただ、地面に手を着く先輩を見て、僕はもう、二度とラケットを握らないと誓った。
翌日も、彼女、廻山重音は、体育館にやってきた。
しかし、今度は、母親と一緒に。
なんでも、諦めさせに来たのだとか。
小5にもなって、まともなコーチングを受けて無いやつが今更卓球を始めた所で、周りのずっと卓球をやってきた子には追いつけないと、教える為に来たらしい。
まあ、シニアクラスコーチの僕には関係ないが、どうにも気に食わない。
昨日と同じ定位置で腕を組み、そう思った。
時給もらっときながら、仕事そっちのけだな。僕。
まあでも、母親さんの意見も、分からんでもない。
卓球は、見てるよりもずっと危険なスポーツだ。
それは、上の子が卓球をやっていたなら、分かることだろう。
それに、卓球がおよそ、時間と実力が比例するスポーツなのも否めない。
今、プロの第一線で活躍してる子たちは、みんな、物心付くと同時にラケットにぎってるような化け物揃いだ。
そんな、中に、出来るだけの少女がまざった、所でって話だろ。
まあ、その辺は、粗方同意だ。
卓球がしたいだけなら、何もここじゃなくても、学校のクラブ活動とか、部活とか、色々あるだろ。
ここは、素人レベルに合わせちゃくれない。
でも、そんなこと、重音さんが、1番分かってそうだけど。
姉に憧れて始めたい卓球なら、姉がどれだけシビアな世界に居たかも、きっと見てきたはずだ。
それでも、なお、ここにこだわる理由はなんだろう。
そう。それだ。
きっと、ここにこだわるのは、彼女なりの理由があるからだろう。
そんな、彼女の理由。言い換えればま、気持ちを、
大人たちは、まるっきり無視している。
僕はそれが、気に食わないのだ。
「重音さん」
昨日と同じく、早めに休憩にはいった僕は、これまた昨日と同じく、ユースクラスの練習を凝視する重音さんに話しかけた。
「なんですか?」
おお、今日は変態呼ばわりされないな。
「重音さんは、卓球が好き?」
「なんですか、その小学生みたいな質問。好きにき決まってます」
小学生に小学生呼ばわりされた。
まあ、これぐらい水に流そう。僕は大人なので。
「そっか。卓球、やりたい?」
「……」
「どうしたの?やりたいか、どうか、だよ?」
「そりゃ、やりたいですよ」
「なるほど、お母さんに、その気持ちは、言った?」
「言いました!!」
「…!そっか」
驚いた。昨日、優子さんの前であんなにキョドっていた少女と同一人物とは思えないほど、でかい声だった。
これには、優子さんも、重音母も、面を食らっている。
「言ったって!だれも聞く耳なんてもたないでしょう?大人はいつだってそうだ!お姉ちゃんみたいになるからダメとか、今からやったって、あんた見たいな鈍臭いやつ、どうせ上達しないとか、学童でやるクラブみたいなやつもあるとか」
まるで、火がついたネズミ花火みたく、重音さんは、巻くしたてる。
「そんなんじゃ!ないの!!!」
これは…
「私は、プロになりたい!プロになって!お姉ちゃんの卓球が間違ってなかったって!証明するの!!」
これは…本物だ。
母親の前で、いや、これだけの衆人環視の前で、これを言い切る度胸、そして覚悟。
それから、昨日の、独学と思われる反射的プレイ。
この子は、本物だ。
「何バカな事言ってるの?」
途中から話を聞いていた重音母が、割って入った。
「いい?あなた昨日、ここの子に負けたんでしょ?それが現実よ?」
それは、重音さんにちゃんとした指導者がついていなかったからだ。
「今から何をしたって、3-0で負けるような子が、プロになんかなれるもんですか」
試合の内容もみないで、表面の点差だけみればそうかもしれない。
「それに、あなたは、お姉ちゃんとはちがう。ドン臭くて、自分の意思がなくて、普通なの」
普通…普通か。そうか。
……普通?
「なんだそれ」
あれ?今誰がしゃべった?男の声だったぞ?僕か?
「なんだよそれ。」
僕は、気がつけば、重音さんを庇うように、重音さんと重音母の間にたっていた。
「お言葉ですが、お母さん。貴方は重音さんの試合を1度でもその目で見た事がありますか?」
「見なくても分かります。3-0…だったんでしょ?」
「ちっげーーーよ!!タコ!!」
場が静まりかえった。
優子さんが口をあんぐりあけて、青ざめた顔で僕を見ている。
知るか。もう、なるようになれ。
「いいですか?彼女…重音さんは、プロになる為の指導を受けてきた同い年の相手に、卓球の試合をしたんです!」
「はあ?試合ぐらい誰だって出来るでしょ?」
僕が熱くなっているせいか、重音母も心無しか喧嘩腰だ。
望むところだ。
「違います。卓球が試合として成り立つ為には、ある程度、実力差が拮抗してないとダメなんです」
重音母は何も言わない。
そらそうだ、これは、実際の試合を見てないと、紙面だけじゃ絶対に伝わらない領域の話。
「僕は、昨日の試合、この目でしっかり見ました。重音さんのゲーム毎の得点数は、3ゲームとも全て8点を超えていた」
つまり。それは…
「つまりそれは、重音さんの卓球が、ここのレベルとある程度近い所にあったという証明です」
無論、相手の舞さんが手を抜いていた説は否めない。
けれど、僕の見たところ、それはない。
試合後の舞さんは、とても悔しそうだった。
ストレートで勝った人間は、試合内容によほどの不満がなければ、あんな顔しない。
「…それで?」
重音母が口を開いた。
「それで?貴方は何を言いたいの?重音がここの水準と近いからといって、ここの子に勝てるレベルじゃないのは事実でしょ?」
「勝てます」
「はい?」
さあ、ここからだ。
間違えるな。僕。
「勝たせますよ…そうだな。1ヶ月、いや、1週間でいい。時間を下さい。僕が重音さんをここで通用するような卓球選手にしてみせます」
僕はもう、卓球はしない。
才能の伴わない努力の限界を知ったから。
でも、だからこそ。
努力を許されない才能を、見過ごすことは出来ない。